元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「最後の決闘裁判」

2021-11-13 06:58:22 | 映画の感想(さ行)

 (原題:THE LAST DUEL )2時間半を超える尺だが、最後まで飽きさせない。構成が巧みでドラマ運びに重量感がある。キャストのパフォーマンスや映像は申し分ない。そして何より“決闘”の当事者たちが百戦錬磨の騎士であるにも関わらず、見事な“女性映画”になっている点が大いに評価出来る。見応えのある歴史劇だ。

 百年戦争の勃発から半世紀ほど経った1386年のフランス。勇猛果敢な騎士として定評のあるジャン・ド・カルージュの遠征中に、彼の旧友ジャック・ル・グリが屋敷に押し入り、ジャンの妻マルグリットに乱暴をはたらくという事件が発生。彼女は領主に訴えるが、目撃者がおらずジャックの有罪は問えない。この法廷での膠着状態を打破するため、国王シャルル6世は当時すでに禁止されていた“決闘裁判”を持ちかける。ジャンが勝てばジャックの罪状は確定。ジャックが勝てばマルグリットは偽証の罪で死刑になる。エリック・ジェイガーのノンフィクション「決闘裁判 世界を変えた法廷スキャンダル」を元に作られている。

 映画は4つのパートに分かれている。事件をジャン側から見たもの、ジャックの側から見たもの、マルグリットの主観によるもの、そして決闘のシークエンスだ。いわば“「羅生門」方式”なのだが、あの有名な黒澤明作品と決定的に異なるのは、誰かが嘘をついているわけではなく、真実は最初から明らかであるという点である。

 本作で描き分けているのは各当事者の事件に対する“立場”にすぎない。しかし、その“立場”こそが問題なのだ。男2人は事件の重大さに対して言及はするものの、結局はそれぞれが置かれた社会的ポジションからしかコメント出来ない。ところがマルグリットは断じて違う。彼女は辱めを受けたこと自体を訴えているのだ。

 それは社会的立場がどうのとか、世間体が何だとか、そんなことは関係ない。それを象徴するのが、ジャンの母親に対するマルグリットの態度だ。義母も若い頃には、さんざん性的被害に遭ってきたという。しかし立場上“泣き寝入り”をしてきたし、それが当然だと思い込んでいる。ところがマルグリットは彼女の言葉に動じない。自らの誇りを失わないために、命を賭して決然と立ち上がる。そしてジャンもそれを受け入れる。この展開はまさに“現代”に通じるものがあり、今映画化するにふさわしい。

 リドリー・スコットの演出は久々にパワフルなタッチを見せ、ドラマ運びに淀みがなく、クライマックスの決闘場面の盛り上がりは素晴らしい。マット・デイモンとアダム・ドライバーの演技は申し分ないが、やっぱり強い印象を与えるのはマルグリット役のジョディ・カマーだ。演技力も気品もあるこの英国の若手女優の将来は明るい。

 また、ベン・アフレックが一見彼だとは分からない役柄で出ているのも面白い。ダリウス・ウォルスキーのカメラによる寒色系の映像と、確かな時代考証に裏打ちされた美術は、作品のクォリティを上げている。ハリー・グレッグソン=ウィリアムズの音楽も及第点だ。
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「アンナ・マデリーナ」

2021-11-12 06:32:15 | 映画の感想(あ行)
 (原題:安娜瑪徳蓮娜 Anna Magdalena)98年作品。特に優れた映画でもないのだが、当時の有名若手俳優たちの共演と絵に描いたようなラブコメ展開に“まあ、これで良いんじゃないか”と許してしまうようなシャシンだ(笑)。また、香港のゴールデン・ハーヴェストと日本のアミューズとの合作で、その頃はそういうプロジェクトも可能であったことは、今思うと実に感慨深い。

 内気で平凡なピアノの調律師のガーフは、友人で自称小説家のモッヤンのアパートの一室で共同生活を送っていた。ある日、ひとつ上の階にマンイーという若い女が越してくる。彼女が弾くピアノの音がうるさいのでモッヤンは苦情を言いに行くが、なぜか彼はいつの間にか姿を消してしまう。残されたガーフはマンイーと世間話をするうちに、いつしか彼女にゾッコンになる。だが、マンイーがこのアパートに越してきたのは、ある事情があったのだ。ピーター・チャン監督の「ラヴソング」(96年)のシナリオを手掛けた、アイヴィ・ホーによるオリジナル脚本作品だ。



 映画の前半と後半では映画の雰囲気が違ったり、よく分からない劇中劇が挿入されたりと、作者はいろいろと変化球を投げてくるが、ラブコメの範囲を逸脱するものではない。それどころか、変則的なモチーフを取り入れることで恋愛劇としての魅力をアップさせようという意図が感じられる。また、主要キャラクター3人の立場がイーヴンであり、誰かが遅れを取って作劇のバランスを崩すようなことが無いのは認めて良い。

 イー・チュンマンの演出は深みに欠ける代わりに、表面をサラリと流すようなフットワークの軽さがある。そして何といっても金城武にケリー・チャン、アーロン・クォックといった当時としてはトレンディ路線(?)に振ったキャスティングが見ものだ。この顔ぶれならば、多少くすぐったい筋書きでもあまり腹は立たない。さらに、レスリー・チャンやアニタ・ユン、エリック・ツァンらが友情出演しているのも嬉しい。題名はもちろんバッハの妻の名前が由来であり、劇中でバッハの楽曲が違和感なく流れているのも悪くない趣向だ。
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「由宇子の天秤」

2021-11-08 06:31:28 | 映画の感想(や行)
 これは、先日観た吉田恵輔監督の「空白」とよく似たタイプのシャシンだ。つまりは、作者が無理なシチュエーションを仕立て上げ、登場人物たちを迷路に放り込んだ挙句に、何か問題提起をした気になっている。手練手管を弄しただけの筋書きに、観終わって暗澹とした気分になってきた。もっとスマートな作劇が出来なかったのだろうか。そもそも、プロデューサーは何をやっていたのだろう。

 ドキュメンタリーディレクターの木下由宇子は、3年前に北関東の地方都市で起こった女子高生イジメ自殺事件の真相を追っていた。テレビ局の意向と衝突することも珍しくはないが、それでも自らの筋を通すために毅然とした態度で職務に当たっている。一方、彼女は父親の政志が経営する学習塾を手伝っていたが、新しく入ってきた高校生の小畑萌が妊娠していることが発覚し、成り行きでその面倒を見ることになる。そして何と、萌の相手は政志らしい。由宇子は自分の仕事と身内の不祥事との間で揺れ動くことになる。



 ヒロインはディレクターと学習塾の講師を“掛け持ち”しているのだが、昼夜問わず取材に追われるテレビの番組製作スタッフが、仕事の片手間に塾講師や塾生の世話が出来るほどの時間を取れるとは、とても思えない。教え子に手を出したと言われる政志の内面は理解出来ないし、だいたい素人相手に避妊の手立ても講じないとは、呆れるばかりだ。

 萌の父親は定職に就いておらず、公共料金や社会保険費も払えないほどの貧乏暮らし。しかし、なぜか娘を(月謝が高いはずの)学習塾に通わせている。くだんのイジメ自殺事件は、さんざん深刻さをアピールした挙句に、腰砕けするような“結末”しか用意されていない。由宇子(及びその仲間)と対立する局の責任者も、描写が通り一遍で訴求力不足。

 結局はマスコミの独善もイジメ問題の根深さも、社会的格差や教育問題も、何ら深く突っ込まれることなくエンドマークを迎えてしまう。しかも、2時間半という長尺だ。キャラクター設定を見直してエピソードを整理すれば、あと30分は削れたのではないか。脚本も担当した春本雄二郎監督の仕事ぶりは感心せず、ここ一番の盛り上がりに欠ける。

 主演の瀧内公美は相変わらずの熱演を見せるが、筋書きが要領を得ないので独り相撲の印象しかない。あと関係ないけど、彼女は全編地味なセーターと地味なアウターに身を包んでいるが、何か意味があったのだろうか。光石研に川瀬陽太、丘みつ子、松浦祐也、河合優実ら脇の面子のパフォーマンスは良好ながら、作品自体が低調なので効果が上がらず。とにかく、社会派作品を撮りたいのならば、もっと真摯に題材に向き合えと言いたい。
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「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」

2021-11-07 06:58:00 | 映画の感想(英数)
 (原題:NO TIME TO DIE)これは、断じて「007」シリーズではない。主人公も、皆がよく知っているジェームズ・ボンドではなく、“別の誰か”に成り果ててしまった。この長い連作が積み上げてきたレガシーを、すべて捨て去ったような所業だ。もちろん、創造的破壊という言葉があるように、停滞するシリーズに代わり新しい“何か”が登場するダイナミズムを予感させるのならば、それで良い。しかし、本作には先が全く見えないのだ。まさに“破壊して終わり”の様相を呈している。

 前作で宿敵スペクターを片付けた後、引退して妻のマドレーヌと悠々自適の生活を送っていたボンドのもとに、古くからの友人でCIA局員のフェリックスが訪ねてくる。謎の大量殺戮兵器を開発した科学者が誘拐されので、手を貸して欲しいというのだ。この一件には古巣のMI6も捜査に乗り出しており、ボンドの後任のエージェントが介入してくる。そして事件の黒幕は、マドレーヌの生い立ちに大きく関係しているという。ボンドは再び戦いの場に身を投じる。



 まず、主人公が最初から妻帯者として出てくるのはマイナスだ。もっとも、ダニエル・クレイグが主役になってからボンドの軟派なプレイボーイとしての側面は薄れているが、今回はあまりにも所帯染みているので観ていて居心地が悪い。そして、事件のポイントである新兵器の正体がハッキリしない。

 人体に侵入するナノマシンという触れ込みだが、具体的な仕様(?)は明らかにされないまま、特定の誰かを感染死させるという“効用”のみがクローズアップされる。しかし、これは単なる殺人の道具に過ぎず、世界征服のツールには成り得ない・・・・と思っていると、いつの間にかボンドも“感染”した挙げ句に意味不明の展開に終始。そもそも、敵の首魁のポリシーというか、彼が何を目標にしているのかイマイチ分からない。

 期待されたアクション場面は、序盤のイタリアでのカーチェイスこそ盛り上がったものの、あとは総じて低調。終盤近くの銃撃戦など、緊張感の欠片も無い。キャリー・ジョージ・フクナガの演出は冗長で、メリハリの無いまま2時間40分も引き延ばしており、中盤以降は眠気との戦いに終始。

 そして何といっても、これまでシリーズの中で重要な役割を担っていた人物や組織が軒並み退場したのには面食らった。極めつけはラストの処理で、これは何かの冗談かと思ったほどだ。エンドクレジットでは続編の製作が告知されているものの、この状態ではどうしようもないだろう。ここ数作は“無かったもの”として、新たにリブートするしかない。

 レイフ・ファインズやナオミ・ハリス、レア・セドゥ、ジェフリー・ライトといった顔ぶれは、作品自体の覇気が無いためかマンネリに見えてしまう。悪役のラミ・マレックも精彩を欠く。印象に残ったのはキューバのCIA局員に扮したアナ・デ・アルマスぐらいだ。なお、史上最年少でこのシリーズの主題歌を担当したビリー・アイリッシュの仕事ぶりは秀逸。今後もチェックしたいミュージシャンだ。
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「ケイト」

2021-11-06 07:00:48 | 映画の感想(か行)

 (原題:KATE)2021年9月よりNetflixで配信。日本を舞台にした活劇編で、これはやっぱりアメリカ映画に付き物の“えせ日本”が炸裂しているシャシンかと想像したが、それほどでもないので一安心(笑)。ただ、設定には随分と無理があるのは事実。日本はもちろんアメリカにおいても“あり得ない筋書き”だ。しかしながら、ヤケクソ的な開き直りが感じられ、あまり嫌いにはならない。また、キャストの奮闘ぶりも光る。

 日本を根城に活動する女殺し屋のケイトは、東京でのヤクザの親分を片付けるミッションを最後に足を洗おうと思っていた。ところが仕事前に敵の奸計に嵌まり、毒を盛られてしまう。残された“余命”はほぼ一日。彼女は短い時間でターゲットを始末するべく、必死の戦いに身を投じる。

 ケイトと行動を共にするのが、以前大阪で彼女が手に掛けたヤクザの娘のアニだ。アニは親の敵が誰であることは知らないまま、ケイトの復讐劇に手を貸す。このモチーフはけっこう効果的で、いつアニが真実を知るのかというサスペンスに繋がっている。さらに、この一件には“裏の事情”があったというのも、まあ予想通りながら興味深い。

 セドリック・ニコラス=トロイヤンの演出は殊更才気走った箇所は無いが、前半の料亭での立ち回りやカーチェイスの場面は上手く撮っている。しかし、このような街中での大規模な刃傷沙汰が普通に展開するというのは、いかにも無理筋だ。さらには軍隊並に完全武装したヤクザ同士の出入りに至っては、いったいどこの世界の話なのかと思ってしまう。

 ただ東京の裏町の描写は「ブレードランナー」を意識しているみたいだが(撮影監督は「ドリームランド」などのライル・ヴィンセント)、取り敢えずは及第点だ。ラストの扱いはベタながら、けっこうグッと来た。主演のメアリー・エリザベス・ウィンステッドは大奮闘で、格闘シーンやガン・ファイトもソツなく見せる。

 アニに扮する日系カナダ女優ミク・マーティノーは日本語がたどたどしいが、まあ許せるレベル。ウディ・ハレルソンに浅野忠信、國村隼といった脇の面子は無難に仕事をこなしている。ネイサン・バーによる音楽や使用楽曲の質が大したことが無いのは残念だが、異色ガールズバンドのBAND-MAIDが登場するシーンはけっこうウケた。
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「キャッシュトラック」

2021-11-05 06:23:58 | 映画の感想(か行)
 (原題:WRATH OF MAN)ガイ・リッチー監督作としては、先日観た「ジェントルメン」と同程度のクォリティ(つまり、あまり上等ではない)。しかも、元ネタは2003年製作のフランス映画「ブルー・レクイエム」であり、彼のオリジナルでもない。筋書きも、凝っているようであまり練り上げられておらず、鑑賞後の印象は芳しいものではない。

 ロスアンジェルスの現金輸送専門の警備会社フォルティコ・セキュリティ社の従業員が、業務遂行中に強盗に襲われて死亡する事件が発生。同社は欠員を補充するため新人を募集するが、採用されたのがパトリック・ヒル、通称“H”である。英国人である彼はヨーロッパでも同様の仕事をしていたらしく、入社試験の成績はギリギリながらも合格。



 さっそく任務に就いた彼だが、またしても強盗団が襲来。だが“H”はアッという間に悪者どもを片付けてしまう。実は彼には“別の顔”があり、フォルティコ社に入ったのもある目的のためだった。そんな折、強盗団は最も現金が動くブラック・フライデーに同社に集まる大金を強奪する計画を立てていた。

 主人公の“H”は実は地元のシンジケートのボスなのだが、なぜかフォルティコ社の誰も彼のことを知らず、FBIすら“H”を野放しにしている。中盤に“H”が警備会社に入った動機が明らかにされるが、入社前に彼はターゲットを探すものの見つからないという謎な御膳立てが提示される。地域を仕切る大物ならば、スグに相手は特定出来ると思うのだが、そうならない理由も分からない。

 リッチー監督得意の“時制を前後させる作劇”も、元々の筋書きが単純なのであまり効果無し。クライマックスの激闘も、強盗団の手筈と現実の事件が同時進行するという一見トリッキィな仕掛けが用意されるが、大して意味のあることだとは思えない。そもそもこの計画自体が強盗団側もかなりの犠牲を伴うことが十分に予想されるシロモノなので、観ていて面倒臭くなってくる。

 主役のジェイソン・ステイサムは頑張っているが、活劇場面がガン・ファイト中心で、持ち味の肉体アクションが見られなかったのは残念。ホルト・マッキャラニーにジェフリー・ドノバン、ジョシュ・ハートネット、スコット・イーストウッド、ニアム・アルガー等の他の面子は可も無く不可も無し。ただ、アラン・スチュワートのカメラによる西海岸らしくない(?)暗鬱な映像や、クリストファー・ベンステッドの迫力ある音楽は及第点だった。
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「この茫漠たる荒野で」

2021-11-01 06:32:51 | 映画の感想(か行)

 (原題:NEWS OF THE WORLD )2021年2月よりNetflixで配信。「ジェイソン・ボーン」シリーズなどで知られるポール・グリーングラス監督作なので、ハードなアクションが展開するのかと予想したが、良い意味で期待を裏切られた。これは堂々とした風格のウエスタンだ。西部劇全盛時の作品群と比べても、まったく遜色がない。また、現代に通じるテイストも持ち合わせており、観て損のない佳編である。

 南北戦争終結から5年、元南軍大尉のジェファソン・カイル・キッドは、各地を回って住民たちに新聞に載っている世界中のニュースを読み聞かせる仕事をしていた。ある日彼は、馬車の事故現場に一人取り残されたジョハンナという10歳の白人の少女を保護する。6年前にネイティブアメリカンに連れ去られ、そこで育てられた彼女は英語が話せない。キッドは地区の管理事務所にジョハンナを連れて行くが、担当者が戻るのはかなり先だという。そこで彼は、彼女を親族のもとへ送り届けることにする。ポーレット・ジャイルスによるベストセラー小説の映画化だ。

 当然のことながら、旅する2人の行く手には難関が立ちはだかる。厳しい自然は容赦なく牙をむき、ならず者どもは次々と襲ってくる。だが、それらの描写にはスペクタクル性は希薄だ。適度な緊張感を維持しつつ、必要最小限の扱いで済ませている。元より、本作の主眼は活劇ではない。コミュニケーションとメディア・リテラシーの重要性こそが、この映画の主題だ。

 キッドとジョハンナは最初は話が通じないが、互いの心情と屈託を理解するにつれて徐々に距離を詰めていく。反面、血が繋がっているはずのジョハンナの親戚は、彼女を人間として見てはいない。キッドが聴衆に披露するネタは、皆が興味を持ち前向きになれるようなものばかりだ。いたずらに扇情的な記事は絶対に選ばない。いわば彼は、この時代の貴重なインフルエンサーだ。吟味された題材を効果的に伝える。それは、怪しげな情報が野放図に飛び交うばかりの現在に対するアンチテーゼとも言える。

 グリーングラスの泰然自若とした演出に加え、主演のトム・ハンクスがイイ味を出している。彼もそれなりに年を取り、ますます円熟味を増しているようだ。ジョハンナに扮するドイツの子役ヘレナ・ゼンゲルも実に達者。ダリウス・ウォルスキーのカメラによる美しい映像(映画館のスクリーンで観たかった)。ジェームズ・ニュートン・ハワードの音楽も万全。感動的な幕切れも含めて、鑑賞後の気分は上々である。
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