元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「グレースと公爵」

2017-02-12 06:49:35 | 映画の感想(か行)
 (原題:L'anglaise & Le duc)2001年作品。フランス革命期における混乱をオルレアン公爵の元愛人であった英国人女性グレース・エリオットの目を通して描く。監督はエリック・ロメール。当初、若い女性の“惚れたの別れたのという話”が得意なロメールにこういう歴史ドラマが描けるのかと思っていたが、映画を観て大いに納得した。これは良い映画だ。

 1792年、パリの民衆はルイ16世の王権停止を求めて蜂起し、国王一家は投獄される。グレースは何と別邸へと避難するが、まもなく民衆による反革命分子の大虐殺が始まる。彼女は助けを求めてきたシャンスネ侯爵を匿うものの、彼はオルレアン公爵の政敵であり、オルレアンはいい顔はしない。それでもシャンスネをイギリスに逃がす手筈を整える。翌年、ルイ16世は処刑される。やがてロベスピエール率いるジャコバン派が台頭。グレースとオルレアンは審判を受けることになる。



 ここには史劇らしいスペクタクル場面やケレン味たっぷりの演技はまったくない。泰西名画のような背景の中に俳優たちをデジタル合成するという方法で難しい歴史考証をすべてクリアし、いわば舞台劇のような空間の中で、映画の焦点を登場人物の心理描写のみに絞り込ませている。そうすると膨大なセリフによってキャラクターを造形するというロメール本来の手法が活きてくるのだ。

 考えてみれば、この方法は彼が今まで撮ってきた恋愛喜劇だけに通用するものではなく、登場人物の内面を掘り下げるという意味でシリアスな題材にも十分応用が利くのである。それがまた“市民革命”とは名ばかりの弾圧と殺戮に満ちたこの時代の真実と、犠牲になる人々の有様を鮮烈かつ冷静に描き出すことに成功している。物量主義だけが歴史ドラマの方法論ではないのである。

 グレースに扮するルーシー・ラッセルは堂々たる名演。革命の在り方に疑問を持つモラリストのヒロイン像を見事に創出している。公爵役のジャン=クロード・ドレフュスの存在感も捨てがたい。フランソワ・マルトゥレやレオナール・コビアン、キャロリーヌ・モラン、アラン・リボールといった脇を固める顔ぶれも確かな仕事ぶり。映像処理の素晴らしさも含めて、これはこの頃のヨーロッパ映画を代表するクレバーな秀作と断言したい。
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「ザ・コンサルタント」

2017-02-11 06:23:46 | 映画の感想(さ行)

 (原題:THE ACCOUNTANT)話の組み立て方は悪くないし、観ている間は(ラストを除いて)退屈しないが、鑑賞後には内容を忘れるのも早い。これはひとえに、単なる活劇編を超えるようなモチーフを提示出来ていないからだ。しかも“何とか新味を出してやろう”という思いが前面に出ているものの、それが上手く達成されていない結果を突きつけられると、何ともやるせない気分になってくる。

 主人公クリスチャン・ウルフは、シカゴ郊外に小さな事務所を構える会計士だ。口数が少なく派手さは無いが、的確に依頼人の要望に応えるため、評判は良い。だが、彼の本当の姿は、世界中の怪しげな組織の裏帳簿を仕切り、なおかつ邪魔者を始末する掃除屋だ。ウルフはある大手電機メーカーの財務調査を引き受けたところ、巨額の不正経理を見つける。そのことを会社幹部に話した途端、経理担当者のデイナ共々何者かに命を狙われるようになる。一方、財務省の監査部門に勤めるメリーベスは、上司のレイモンド・キングから裏社会の会計処理を請け負う謎の人物の調査を依頼される。だが、レイモンドにはこの男を追う別の目的があった。

 会計士という“表の顔”の設定は興味深いし、多国籍企業の阿漕な遣り口の描写も悪くない。さらには主人公が自閉症であったにも関わらず、厳格な父親はウルフが子供のころからスパルタ式に鍛え上げ、結果屈折した内面を持った人間に育ってしまったという設定は作者の良い意味での気負いが感じられる。

 しかし、主人公がどうして凄腕のスイーパーになったのか、その経緯が説明されていない。ウルフに指令を出す謎の“元締め”の存在も暗示されるが、思わせぶりな描写で終わってしまう。だいたい会計士のくせに帳票を“手書き”で表示しないと内容が分からないというのは、見ていて脱力した(システムのデータをディスプレイ上でチェックすれば済む話だろう)。

 アクション場面はスピード感はあるが、工夫がない。他の凡百の活劇映画と変わらないレベルだ。極めつけはあのラスト。ウルフは敵方のリーダーが自身に近しい“ある人物”であると認識するのだが、そこから急にナアナアの展開になり、煮え切らないまま終わる。それまでの大立ち回りは何だったのかと、首を傾げるばかりだ。

 ギャビン・オコナーの演出は可もなく不可もなし。主演はベン・アフレックだが、盟友のマット・デイモンの「ジェイソン・ボーン」シリーズに対抗するかのような役柄ながら、あまりサマになっていない。もっとギラリと光る内面の凄みを出して欲しかった。脇にはアナ・ケンドリックやJ・K・シモンズ、ジョン・バーンサル、ジョン・リスゴーといった多彩な顔触れが揃っているのだが、いずれも使いこなせていない。カメラワークは平凡。マーク・アイシャムの音楽だけは良かった。続編はいくらでも作れそうだが、本国でも大ヒットはしていないようだし、実現は難しいかもしれない。
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「ケアフル」

2017-02-10 06:35:05 | 映画の感想(か行)
 (原題:CAREFUL )92年カナダ作品。日本未公開で、私は第5回の東京国際映画祭で観ている。監督のガイ・マディンは「ギムリ・ホスピタル」(88年)や「アークエンジェル」(90年)を手掛けているが(どちらも未見)、主に短編映画の分野で活動しているらしい。

 19世紀、アルプス山麓の街トルツバート。ギムナジウムの学生ヨハン(ブレント・ニール)は、幼馴染みの婚約者クララ(サラ・ネヴィル)がいながら、自分の美しい母親に近親相姦的愛情を抱き、そのために精神錯乱になり自殺する。ヨハンの死後、その弟グリゴリス(カイル・マクローチ)がクララを愛するようになるが、クララもまた自分の父親に近親相姦的愛情を抱いていたことが発覚する。



 ・・・・というようにプログラムからストーリーを引用してしまったが、物語自体はこの映画に関してあまり意味を持たないように思う。ハッキリ言ってこの作品は今まで私が観てきた映画のどれとも違う。誰も真似ができない独特の雰囲気とユニークすぎる映像処理は観る者を仰天させずにはいられない。

 すべてスタジオ撮影。シェイクスピアかギリシア悲劇のパロディみたいなドラマ。サイレント映画の手法の大胆な導入。画面の切り替え(フェイドイン・フェイドアウトの多用、強引なワイプ処理)はもとより、字幕だけの画面が多く挿入され、弁士のようなナレーションも入る。そして何よりわざとフィルムの粒子を荒くしたようなタッチが目を引く。

 モノクロ映像に故意にノイズを加え、それにコンピュータ処理で着色したらしいヴィジュアルもユニークだが、サウンドまで画面に併せて“シャーシャー”という大きなヒスノイズが全編鳴りっぱなしなのには、まったく閉口していいのやら感心していいのやら・・・・。登場人物も徹底してマンガ的で、ドラマ運びのタイミングやら語り口はマジメなようでいて、どこか完全にオフビートである。

 笑える場面があるかと思うと、突然残酷なシーンがあったり(それが全然違和感がないのだ)、とにかく、ここで私がくどくど説明するより実際観てもらわなければ、この奇抜さはわからないだろう。“おたく度”においては“全盛期”のティム・バートンをも凌ぐ。私としてはあまり好きではない個性だが、一見の価値はあると思う。
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「アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場」

2017-02-06 06:36:15 | 映画の感想(あ行)

 (原題:EYE IN THE SKY)ワンシチュエーションの映画だが、練られた筋書きと畳み掛けるような演出により、見応えのあるシャシンに仕上がった。もちろん、取り上げられた題材の重大性も如何なくクローズアップされており、なかなかの力作だと思う。

 イギリス軍の諜報部門のキャサリン・パウエル大佐は、最新鋭のアメリカ軍のドローン・リーパー(MQ-9)偵察攻撃機を使い、米軍と共にテロリスト壊滅作戦を指揮している。彼女はケニアのナイロビに過激派組織アル・シャバブのテロリストが潜伏していることを突き止め、彼らが大規模な自爆テロを決行しようとしていることを察知。国防大臣のフランク・ベンソンにドローン機からの攻撃を要請する。

 これを受けてアメリカ・ネバダ州の米軍基地では、新人のドローン・パイロットのワッツ中尉らがミサイル発射の準備に入った。だがその時、ターゲットであるテロリストの隠れ家の近くに幼い少女がパンを売りに現れる。民間人を巻き込んでしまえば軍当局は批判の矢面に立たされる。しかし、このまま自爆テロが発生するのを放っておけば、多数の犠牲者が出るのは確実。パウエル大佐たちは究極の選択を迫られる。

 シチュエーションはひとつだが、視点は多岐にわたっている。英国諜報部と米軍の様子はもちろん、各閣僚やケニア政府の対応、さらには少女の家族や現地の諜報員など、それぞれの関係者が合理的と思われる行動を取るたびに、事態は混迷の度合いを増していくという、その切迫性の描出には並々ならぬものを感じる。特に、保身と建前で責任回避を図る政治家たちの言動がリアルだ。

 そんな中、パウエル大佐はある“プラン”を提案するが、それは一見最小のダメージに抑えられるものの、深刻な結果を残すことには変わりはない。

 軍や政府の関係者は、現地で情報収集にあたるエージェント以外、遠く離れた会議室やドローン遠隔操縦室に留まっている。メディアによるリアルタイムの報道映像が“テレビゲームのようだ”と表現されたのは湾岸戦争の頃だが、これはもちろん戦地と後方支援組織との距離的・立場的な乖離を揶揄したものであった。しかし、実際にはそれは偽りなのだ。紛争現場であろうと指揮系統の中枢だろうと、戦争の悲惨さはリアルタイムで伝わってくる。本作のやるせない結末が、それをヴィヴィッドに示している。

 ギャヴィン・フッドの演出スタイルは正攻法で、まったく“揺らぎ”がない。これからも作品を追いかけたくなるような力量を持っていると思う。パウエル大佐役のヘレン・ミレンはまさに快演で、有能だが冷酷な職業軍人の実相に鋭く迫っていた。アーロン・ポールやバーカッド・アブディ、ジェレミー・ノーサムといった脇の面子も良い。また、この映画はアラン・リックマンの俳優としての最後の仕事(この後に「アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅」で声だけの出演あり)になった。実に感慨深い。
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「鏡の女たち」

2017-02-05 06:13:50 | 映画の感想(か行)
 2002年作品。お膳立ては大仰だが、語り口の巧みさで見せきっている。この頃の日本映画の収穫であることは間違いないだろう。

 東京郊外の閑静な住宅街に住む初老の女・川瀬愛の娘の美和は、20歳の時に家出をし、4年後に一度帰ってくるものの、娘の夏来を生むと再び姿を消してしまった。それから24年が経ったある日、役所から愛に連絡が入る。失踪した美和の母子手帳を持った女が、警察に保護されているらしい。尾上正子というその女は記憶喪失者で、愛も彼女が実の娘なのか分からない。愛はアメリカにいる夏来を呼び寄せ、正子と対面させる。すると、正子の記憶は少しずつ甦ってくるが、それは昭和20年夏の広島に起因していた。愛と夏来、そして正子は、広島へ向かう。

 まず主演の岡田茉莉子の新劇調大芝居に“引いて”しまう。さらに、この作品が遺作になった室田日出男や西岡徳馬、北村有起哉といった脇のキャストまでもが大げさな演技のオンパレードだ。当初このままではストーリーが空中分解してしまうのではと危惧したが、見終わってみれば見事にバランスの取れた構成になっているのだから映画は分からない。

 監督はベテランの吉田喜重だが、同監督の作品としては「人間の約束」(86年)と近いテイストを持ち、語り口は実にストイックで鋭角的。原田敬子と宮田まゆみによるシャープな現代音楽をバックに展開する寒色系をメインとした幾何学的な構図の映像は見事で(撮影監督は中堀正夫)、どのショットをとっても芸術写真として通用するほどのヴォルテージの高さである。そんな無機的かつ硬質の作劇が、感情を剥き出しにしたようなキャストの演技と上手く中和しているのだ。

 親子の因縁話を追う物語自体はかなりウェットながら、映画からはセンチメンタリズムのかけらも感じさせないのも、この生硬な語り口があってこそである。舞台が原爆投下後の広島に移り、主人公たちの生い立ちが明らかになる映画終盤はいくらでも“お涙頂戴劇”に持って行けるはずだが、感情移入を巧妙に排した演出は安易な予定調和を断固として拒否する。ペシミスティックな結末は“しょせん、人間は今を生きるしかないのだ”という真実を雄弁に語って圧巻だ。

 記憶喪失の女に扮する田中好子のミステリアスな存在感が光るが、孫娘役の一色紗英の自然体演技が緊迫したドラマ運びの中にあってガス抜きのような役目を果たしていて印象的。三條美紀や犬塚弘、石丸謙二郎といった他の顔ぶれも良い。
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「牝猫たち」

2017-02-04 06:40:15 | 映画の感想(ま行)

 面白くない。アップ・トゥ・デートな題材を要領よく集めたつもりだろうが、どれもが消化不良に終わっている。現役の監督たちが新作ロマンポルノを手掛ける“日活ロマンポルノ・リブート・プロジェクト”の第三弾。監督は白石和彌だが、「日本で一番悪い奴ら」(2016年)で見せたパワフルなタッチは影を潜め、何やら煮え切らない仕事ぶりだ。

 池袋にあるデリヘル店“極楽若奥様”で働く3人の女、雅子と結依と里枝は仲が良いが、実は互いのことをあまり知らない。住所不定の雅子をよく指名する高田は資産を持っているため食うには困らないが、長い間引きこもっていて、ネット上で見つけた“イタい奴”を潰すことを趣味にしている。結依はシングルマザーで小学生の息子が1人いるが、虐待していて仕事中も他人に預けっぱなしだ。お笑い芸人の谷口と仲良くなるが、クスリをキメたままの危険な性交渉にのめり込む。里枝には夫がいるが、浮気されている。彼女の常連客である金田老人は妻に先立たれ、孤独を紛らすために里枝と過ごす時間を唯一の楽しみにしていた。しかし金田は彼女の夫の存在を察知し、捨て鉢な行動に出る。

 ネットカフェ難民に幼児虐待、薬物問題にネット依存症、独居老人にワーキングプアと、現代の社会的病理をずらりと並べて悦に入る作者の得意顔が目に浮かぶようだが、残念ながらこれらの問題は断片的な小ネタとして扱えるほど“軽い”ものではない。じっくりと腰を落ち着けて撮っても、成果が上がるとは限らないほどヘヴィな素材だ。それらを十把一絡げにサッと流してみても、求心力は発揮できない。たとえ個々の描写に印象的なモチーフがいくつか存在したとしても、全てが単発的でドラマに絡んでいかない。

 テーマの配置に一貫性がないため、ストーリーも視点が定まらずチグハグなまま終わる。コメディでいきたいのかシリアス路線でいくのか、あるいはオフビートな作りで観る者を手玉に取るのか、とにかくトータルな“作戦”を練らないまま製作に着手してしまったような、居心地の悪さが終始付きまとう。成人映画では重要であるはずのカラミの場面だが、これも不発だ。少しもエロティックではなく、美しくもない。

 井端珠里に真上さつき、美知枝といった女優陣は演技が硬く、魅力に乏しい。しかも、揃いも揃ってグラマラスなボディとは正反対の体付き。監督の嗜好なのかもしれないが(爆)、個人的には受け付けられない。無意味に揺れるカメラワークにも閉口する。ただ、白川和子がチラッと出ていたのは少し嬉しかった。彼女が成人映画の“現役”であった頃をリアルタイムで知る世代に私は属してはいないが、過去のスターに敬意を払うという姿勢だけは評価してもいいだろう。
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「訴訟」

2017-02-03 06:28:50 | 映画の感想(さ行)
 (原題:CLASS ACTION)91年作品。一流自動車会社の重大な不手際という題材は、とてもハードで興味深い。しかしあまりにも予定調和の面が出すぎていて、諸手を挙げての評価は差し控えたいと思う。

 ベテラン弁護士のジェディダイア・タッカー・ウォードは、全米有数の自動車メーカーが製造する乗用車メレディアンの爆発事故により重傷を負ったオーナーがメーカー側を訴えた案件に取り組んでいた。メーカーの弁護士マギーはジェディダイアの娘だが、長年にわたる親子の確執により父親の社会的弱者優先の姿勢に背を向け、今は主に大企業や富裕層を顧客とする法律事務所に勤めている。



 2人の法廷でのやりとりは熾烈を極め、それを目の当たりにしたマギーの母親はショックで倒れてしまうが、それでもジェディダイアとマギーのバトルは続く。そんな中、マギーはメレディアンの設計チームのメンバーから、もともとこの車は欠陥車であり、そのことはメーカー幹部も当時の顧問弁護士も承知済であったことを聞き出す。事実を知った彼女は態度を一変。メーカーの不正を暴く方向に舵を切る。

 自動車会社が引き起こす不祥事は、この映画が作られた時期に比べて現在は減るどころか逆に目立ってきている。また本作では、全欠陥車をリコールするよりも訴えられた際の裁判費用の方が安く済むので手を打たなかったというメーカーのとんでもないスタンスが明らかになるが、いかにもありそうな話である。その意味で、この題材が持つ訴求力は高いと言えよう。

 だが、ジェディダイアを演じるのがジーン・ハックマンというのは“出来すぎ”である。60年代から反体制派リベラルの象徴みたいな役柄をこなしてきた彼が出てくると、たとえこの主人公の私生活が褒められたものではなくても、映画の結末は分かってしまう。さらに言えば、マギーが事実を知るプロセスやジェディダイアとの和解を果たすプロセスが丁寧に描かれてはいない。御都合主義に思える。だからサスペンスが盛り上がらない。

 マイケル・アプテッドの演出は今回はキレに乏しく、ここ一番のクライマックスを提供できていない。マギーに扮するメアリー・エリザベス・マストラントニオは好演だが、ヤン・ロービッシュやコリン・フリールズといった脇のキャストが弱い。なお、ジェームズ・ホーナーの音楽は良好。薄味になりがちな映画全体を多少なりとも引き締めていた。
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