元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「鏡の女たち」

2017-02-05 06:13:50 | 映画の感想(か行)
 2002年作品。お膳立ては大仰だが、語り口の巧みさで見せきっている。この頃の日本映画の収穫であることは間違いないだろう。

 東京郊外の閑静な住宅街に住む初老の女・川瀬愛の娘の美和は、20歳の時に家出をし、4年後に一度帰ってくるものの、娘の夏来を生むと再び姿を消してしまった。それから24年が経ったある日、役所から愛に連絡が入る。失踪した美和の母子手帳を持った女が、警察に保護されているらしい。尾上正子というその女は記憶喪失者で、愛も彼女が実の娘なのか分からない。愛はアメリカにいる夏来を呼び寄せ、正子と対面させる。すると、正子の記憶は少しずつ甦ってくるが、それは昭和20年夏の広島に起因していた。愛と夏来、そして正子は、広島へ向かう。

 まず主演の岡田茉莉子の新劇調大芝居に“引いて”しまう。さらに、この作品が遺作になった室田日出男や西岡徳馬、北村有起哉といった脇のキャストまでもが大げさな演技のオンパレードだ。当初このままではストーリーが空中分解してしまうのではと危惧したが、見終わってみれば見事にバランスの取れた構成になっているのだから映画は分からない。

 監督はベテランの吉田喜重だが、同監督の作品としては「人間の約束」(86年)と近いテイストを持ち、語り口は実にストイックで鋭角的。原田敬子と宮田まゆみによるシャープな現代音楽をバックに展開する寒色系をメインとした幾何学的な構図の映像は見事で(撮影監督は中堀正夫)、どのショットをとっても芸術写真として通用するほどのヴォルテージの高さである。そんな無機的かつ硬質の作劇が、感情を剥き出しにしたようなキャストの演技と上手く中和しているのだ。

 親子の因縁話を追う物語自体はかなりウェットながら、映画からはセンチメンタリズムのかけらも感じさせないのも、この生硬な語り口があってこそである。舞台が原爆投下後の広島に移り、主人公たちの生い立ちが明らかになる映画終盤はいくらでも“お涙頂戴劇”に持って行けるはずだが、感情移入を巧妙に排した演出は安易な予定調和を断固として拒否する。ペシミスティックな結末は“しょせん、人間は今を生きるしかないのだ”という真実を雄弁に語って圧巻だ。

 記憶喪失の女に扮する田中好子のミステリアスな存在感が光るが、孫娘役の一色紗英の自然体演技が緊迫したドラマ運びの中にあってガス抜きのような役目を果たしていて印象的。三條美紀や犬塚弘、石丸謙二郎といった他の顔ぶれも良い。
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