元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ゼブラーマン ゼブラシティの逆襲」

2010-05-18 06:40:47 | 映画の感想(さ行)

 ゼブラクイーンに扮する仲里依紗を見る映画だ。それ以外には何の存在価値もない。近年台頭著しい我が国の若手女優陣は、大半が“ピュア系”である。2,30年前の若い女優達のように(誰のことだ? ^^;)、下品さや禍々しさを売り物にしてはいない。仲里依紗だってこれまでの作品では可愛らしさを前面に出したパフォーマンスに専念していたはずだ。しかし、本作での彼女は今までのイメージをかなぐり捨てるような毒々しさを見せている。

 彼女が身につける扇情的な衣装は、当然のことながら「ヤッターマン」における深田恭子のドロンジョの二番煎じだ。振り付けだってレディー・ガガあたりのパクリだろう。しかし、モノマネであることは分かっていながらも、本作での彼女は実にヤバい(^o^)。

 北欧人の血を引いているためか、肌が抜けるように白く、しかもお腹から下半身にかけての肉の付き具合が半端ではない。それも決して緩んだ贅肉ではなく、締まったまま盛り上がっている。何しろダンスや立ち回りのシーンでは、腰を振るとケツの肉がプルンプルン震えるのだからたまらない。

 三池崇史の演出もさすが心得ていると言うべきか、下からの仰角ポジションを多用した嘗めるようなカメラワークでエロさを強調。近頃の邦画の中では際立ったワイセツ性を獲得することに成功している。仲里依紗としても今後は“肉体派もこなせる清純派(謎 ^^;)”として独自の路線を極めて欲しい(爆)。

 さて、映画の出来自体は低調もいいとこだ。何しろ前作に引き続き脚本は宮藤官九郎。彼に筋の通った作劇など期待してはならない(笑)。いきなり舞台が西暦2025年に飛ぶのも唐突ながら、いつの間にやら東京は「バットマン」シリーズのゴッサム・シティの劣化コピーみたいなゼブラシティと名を変えていて、朝夕5分間だけ権力者が自由に市民を殺していい「ゼブラタイム」の導入によって治安の向上を図っているという設定自体、何もコメントしたくないほどいい加減だ。

 哀川翔扮する主人公は記憶を失っていて、遠心分離器(大笑)によって抽出された彼の“悪の部分”がゼブラクイーンとして実体化しているといった筋書きも噴飯もの。それでも笑えるネタが多数出てくれば許せるのだが、終盤の不発の下ネタをはじめとして、ことごとくハズしっ放しだ。ラストのオチなんて寒々しい限り。仲里依紗の怪演がなかったら、観る気も起こらないシャシンである。
コメント
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