元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ラスト・アクション・ヒーロー」

2008-12-13 07:19:51 | 映画の感想(ら行)
 (原題:Last Action Hero)93年作品。映画の世界と現実を行き来できる“魔法のチケット”を手にいれた少年が、アクション映画「ジャック・スレーター」の主人公(アーノルド・シュワルツェネッガー)といっしょに悪人を懲らしめるという、基本的には勧善懲悪のシンプルな活劇ながら、「カイロの紫のバラ」みたいな映画の外と内を交錯させた設定で目新しさを狙っている。

 ところが、映画自体はあまり面白くない。こういうシチュエーションではいくらでもアイデアがわいてくるはずで、観客の意表を突いた展開でアッと驚く映画になるだろうと期待するのは当然だが、もう見事なほどに裏切ってくれる。

 映画の中の悪人が現実の世界にあらわれて暴れる、なんてのは誰にでも考えつくし、スタローンという俳優がいない映画の世界では「ターミネーター2」の主演がシルベスター・スタローンになっていたり、アニメーションのキャラクターが歩き回っていたり、というのも意外性に乏しい。「T2」のロバート・パトリックがゲスト出演していたり、いろいろと楽屋落ち的ネタも多いのだが、大金かけてこの程度かと思うほどのこころざしの低さ。ベルイマン監督の「第七の封印」の死神が現実にあらわれるくだりは、もっと面白くなるかと思ったらハズレ。そして終盤に本物の俳優シュワ氏が出てきて自身のパロディを演じるあたりは完全にシラけてしまった。相手役の少年がちっとも利口でないのにも閉口する。「ホーム・アローン」の主人公なら10分で解決してしまうネタである。

 監督は「ダイ・ハード」などのジョン・マクティアナン。たしかにアクション・シーンだけはスゴイ。今回は現実でなく映画の中の世界を描いてるので、もう何でもあり、限界を知らないメチャクチャさで唖然とさせる。でもそれがどうした。アクションの連続だけでは映画にはならないぞ。きちんとした脚本とキャラクター設定があってのアクション映画である。このへんが「ダイ・ハード」と大きく違うところだ。そして何よりもマクティアナン監督にコメディのセンスがほとんどないのが痛い。シュワ氏が初めて製作にタッチした作品だが、このレベルで満足してもらっちゃ困ると思ったものだ。
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「ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト」

2008-12-12 06:35:43 | 映画の感想(さ行)

 (原題:SHINE A LIGHT )出来としては決して悪くないが、観たときのインパクトはハル・アシュビー監督が82年に撮った「ザ・ローリング・ストーンズ」の方がはるかに上だ。もちろんそれは鑑賞時の状況によるところが大きい。

 アシュビー版が公開されたときは、ストーンズが日本で公演するかどうかがまったく見えなかったのだ。よって、あの作品の上映はファンにとってコンサートの代替イベントでもあった。そのせいか、観客のノリは凄まじかったことを覚えている。演奏に合わせての手拍子足拍子はもちろん、メンバー紹介のシーンでは“ウォーッ!”という地響きにも似た歓声が劇場内に巻き起こったものだ。

 あれから20数年経ち、ストーンズも日本公演を果たし、すっかりヴィンテージな(?)お馴染みバンドとして定着してしまった現在、コンサート・フィルムの劇場公開に意味を持たせるにはよっぽど効果的な演出面の工夫が必要だが、本作はそれが十分だったとは思えない。会場はニューヨークのビーコン・シアターで観客は2千人ほど。対してアシュビー版は大規模コンサートだった。

 スタジアム級の会場で撮られるコンサート映画は確かに存在価値はある。なぜなら、大部分の観客にとってミュージシャンを間近では見られない。だから演奏する側に寄った映像を作る意義はあるのだと思う。しかしこの映画は大物クラスのコンサートとしては小さい場所を選んでいる。確かに観客席にいるような臨場感は味わえるのかもしれないが、ならば“実際にライヴに行った方が数段マシ”という結果になるのではないか。マーティン・スコセッシ監督特有の、何か抑圧されたような空気感もマイナスだ。

 肝心の演奏内容だが、これはやはり横綱相撲と言って良い。ミック・ジャガーはとうの昔に60歳は超えているはずだが、贅肉のカケラもないボディと激しいアクションは年齢を全く感じさせない。他のメンバーも飄々とした味を維持していて、無様に太っている奴なんか一人もいない。特筆すべきはゲストで、クリスティーナ・アギレラ、バディ・ガイ、ジャック・ホワイトという強力布陣。プログラムに絶妙のメリハリを加えていた。欲を言えばもっと“お馴染みの曲”をやった方が良いと思ったが、監督の意向もあることだし仕方がないだろう。

 さて、気になったのは会場にクリントン元大統領とその取り巻きも来ていて、彼自身開会前のスピーチなんかもおこなっていたこと。ハリウッドは民主党支持者が多いとはいえ、この手の映画でそういうテイストを挿入するというのは場違いかと思う。そもそもロックというのは“政治なんかクソくらえ!”といったアナーキーさが身上ではなかったのか。
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「不滅の恋 ベートーヴェン」

2008-12-11 06:31:25 | 映画の感想(は行)
 (原題:Immortal Beloved)94年作品。この映画の話題性というのは、ショルティとかマレイ・ペライア、ヨー・ヨー・マやエマニュエル・アックスといった一流どころのプレイヤーが、この映画のサントラのために、わざわざ新録音をしてくれたこと、それに尽きるのではないか。「アマデウス」以来の快挙といっていいが、内容は「アマデウス」とかなりの差がある。

 ベートーヴェンの死後、“遺産はすべて「不滅の恋人」に送る”という遺書が発見される。管財人のシンドラー(ジェローン・クラッペ)は故人の足跡を追い、「恋人」が誰なのか探るうち、ベートーヴェンの実像を発見していくという(チラシより引用)筋書きである。

 ラストは意外な「恋人」が披露されるが、観終わって感じるのは“だから何だよ”という素朴な疑問。楽聖に秘めたる恋のひとつやふたつあっても何も驚かないし、それがわかっても新しいベートーヴェン像が提示されるわけでもない。従来から音楽評論家の間でなされていたベートーヴェン研究に関する書物を読んだ方が面白いのではないか。「アマデウス」のように、一歩踏み込んだ深いテーマを扱っているわけでもなし、ベートーヴェンを演じるゲイリー・オールドマンの(熱演ではあるが)凡庸さも手伝って、観たあとすぐに忘れる類の泡沫映画に終わっている。ベートーヴェンの甥カールに対する異常な愛情が示されるシーンでは、オールドマン得意のキレた演技が全開して当然なのだが、まるで不発。

 監督は「キャンディマン」などのバーナード・ローズだが、開巻近くの楽聖と「不滅の恋人」とのホテルでの密会未遂シーンの下世話さに代表されるように、扇情的メロドラマは得意でも登場人物の内面描写にはまるで役不足の二流ぶりを露呈している。まあ、衣装や舞台装置はなかなかだし、その点では観る価値あるかもしれない(ロケはプラハで行なわれたらしい)。そしてやはり前述の演奏陣。“ベートーヴェンの音楽はやっぱりいい”と思わせるレベルの高さ。サントラのみ推薦・・・・ってことで結論づけてしまおう。
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「私は貝になりたい」

2008-12-10 06:33:44 | 映画の感想(わ行)

 一番の見所は劇中で主演の中居正広が“よさこい節”を歌うシーンかもしれない。いつ音程が外れないか、または歌詞を間違えないかと、ヒヤヒヤした。実にスリリングなモチーフだったと思う(爆)。要するに本作はそれぐらいしか興味の持てる場面はないのだ。退屈極まりない凡作と言って良い。

 冒頭の海岸のショットからして脱力ものだ。ドラマの設定は高知県である。しかし、どう見てもこれは島根県の隠岐ノ島だ(実際のロケ地もそうである)。高知県にだって足摺岬をはじめとした海沿いの景観は存在するのに、いったい何を考えて撮っているのだこのスタッフは。

 死刑判決を受けたBC級戦犯の夫を助けるため、妻(仲間由紀恵)が二百人もの署名を集めるべく奔走する姿は、もろに「砂の器」である。脚本は橋本忍だが、よくもまあ平然と過去の作品のネタを二次使用出来るものだ。映像にもキャストの演技にも深みは全くない。特に主演の中居など大仰な身振り手振りで熱演ぶっているだけで、よく見ればセリフを羅列しているに過ぎない。感情移入なんて、もちろんのこと無理だ(子役が良かったのが、唯一の救いである)。

 全体的には画面がデカいだけで、テレビドラマそのものである。監督の福澤克雄はTV版「砂の器」のディレクターだが、映画を撮るに当たって工夫した跡はほとんどない。隠岐ノ島の景勝地などを小綺麗な観光映画のように流すだけで“映画を撮った”と思っている。もちろん、作者の戦争犯罪に対する考え方やそもそもの戦争観も提示されていない。東京裁判をはじめとする終戦直後の茶番劇についての本質的な言及なんか望むべくもない。ただ情緒的に流してお涙頂戴を狙おうとする。以前観た「明日への遺言」の方がタッチが重厚だった分いくらかマシだった。

 さて、本音を言わせて貰えば、一連の戦争裁判についてはよっぽど趣向を凝らさなければ映画として面白くはないと思う。なぜなら、これは出来レースなのだ。罪状のデッチ上げから進行と結末に至るまで、何の意外性もない。なぜなら、日本は戦争に負けたからだ。

 世に言う“勝てば官軍、負ければ賊軍”というのは古今東西不変の真実である。軍事裁判の不合理性とそれがもたらす悲劇をメソメソと嘆くよりも、負けた原因(負けると分かっていた戦争を起こした理由)をキチンと描くべきではないのか。被害者意識(およびその裏返しとしての加害者意識)ばっかりに気を取られている限り、先の大戦に関する日本映画の内容は少しも進歩なんかしないのだ。
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「櫻の園」

2008-12-09 06:49:24 | 映画の感想(さ行)
 90年作品。今年(2008年)になって同じ中原俊監督による“続編”みたいな作品が公開されたが、私は観る気が起きなかった。なぜなら、元ネタになった本作がまるでピンと来なかったからだ。ましてやその“二次使用”で前作を超えられるはずもない(事実、評判は良くないようだ)。

 とある私立女子高校の創立記念日に起こったいくつかのエピソード。チエーホフの「桜の園」を上演する演劇部の部員たちの、朝から上演までの2時間の出来事を描く。キネマ旬報ベストワンはじめ90年の映画賞を総ナメにした映画で、確かに映像面に限っては高水準の作品だとは思う。

 たとえば舞台になる演劇部の部室である。部屋に中二階を設けて四方に階段と鏡を置いた空間設計が見事。照明を落として、そこに春の日差しが射し込む。登校して来る女生徒たちの息遣いを室内を一杯に満たすような、藤沢順一のカメラがいい。クレーンを多用した見事な移動撮影。ラストの、誰もいない部室の開け放たれたままの窓に桜の花びらが舞うシーンは、忘れられない余韻を残す。

 しかし、内容は物足りない。登場人物にまるで血が通っていない。確かに主要キャラクターの4人(中島ひろ子、つみきみほ、白島靖代、宮澤美保)をはじめ、女優陣はすべて好演だ。でも、彼女たちが本当に現在の女子高生像を体現しているかというと、ちょっと違うのではないかと思う(女子高生の知り合いはいないので断定は出来ないが ^^;)。私立の名門女子校、女の子だけの秘密めいた会話、厳格な校則など、それらしいモチーフは出ていた。ところがなぜかどれも表面的で、あえて言ってしまえばウソっぽい。

 公開当時、年取った男性評論家に絶賛されたのもよく分かる。これはオジサンどもが勝手に想像するところの、人畜無害な、夢みる少女、いいとこのお嬢さん像なのだから。「櫻の園」は結局絵空事なのだと思う。それにしてもこの程度の映画を堂々キネ旬ベストワンはじめ各映画賞に選んだ評論家連中には納得できない。これはせいぜいベストテンの9位か10位にすべりこませるくらいがちょうどよかったと思うのだが。
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「ブラインドネス」

2008-12-08 06:59:59 | 映画の感想(は行)

 (原題:BLINDNESS )終盤近くの、荒れ果てた町並みの描写は迫力があった。メジャーな映画会社ではなく独立系の作品でありながら、これほどのスケール感と迫真性を獲得した映像を提示できたとは、さすがに「ナイロビの蜂」などで実績のあるフェルナンド・メイレレス監督の手腕は確かなものだ。しかし、残念ながらこの部分以外には感心できるような箇所はそれほどない。

 ジョゼ・サラマーゴの「白の闇」の映画化。前触れもなく突然に失明する奇病が全世界を席巻。政府は罹患者の隔離を進めるが、次第にカタストロフが避けられないような状況に陥ってゆく。感心しないのは、この病気が引き起こす事態が“語るに落ちる”ような単純極まりない構図しか提示出来ていないことだ。

 先日観た「ICHI」では“目が見えないと善悪の区別が付かない”というメッセージが全編を覆っていたが、本作はそれを拡張したものに過ぎない。つまりは“ああなるほど、目が見えないと社会秩序も道徳も無用のものになるのだなァ”といった図式的な御題目しか提示出来ていないのだ。ひとえにこれは描写力の不足にある。

 ただの御題目をテーマに据えて悪いということはない。それが真に説得力を持った主題として機能するように作劇を工夫すればいいのだが、本作にはそれが欠けている。環境劣悪な“収容所”に押し込められた患者達が嘗める辛酸の数々はシビアだが、それは十分予想されたものであり、意外性は少ない。

 彼らの中でただ一人失明していない者がいる。医師の夫を支えるために自らも感染したふりをして隔離施設に入所する妻が、いわば狂言回しになってストーリーは進むのだが、その“目が見える”という圧倒的なアドバンテージを十分活かす意表を突いたようなエピソードがない。せいぜい土壇場で横暴な奴らをこらしめたり、あるいは“出所後”に食料を見つける際に役に立つ程度。これでは物足りない。

 身も蓋もなく言ってしまえば、アクションなどの娯楽要素を取り入れるか、または完全に突き放したようなタッチで冷徹に“世界の崩壊”を追うのか、どちらかに徹した方が良かった。これではただ観ていて気が滅入るだけの重い映画だ。それではいけないと思ったのか、ラストはいくらか希望を持たせるようにはなっているが、それが取って付けたようにしか見えないのは辛い。そこまでやるならば、この奇病の原因にまで言及するようなモチーフを入れた方がずっと面白かったのではないか。

 ジュリアン・ムーアをはじめマーク・ラファロ、ダニー・グローヴァーと熱演を見せるキャストが目立つのだが、彼らを見ていても“大変だねぇ”といった人ごとの感想しか抱けない。閉口したのは伊勢谷友介と木村佳乃の日本勢で、もとより大根な彼らに浮ついた役柄を振ったこと自体、大いに盛り下がる一因となっている。この配役が採用された理由は、奇病発生の背景よりも謎かもしれない。
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小林泰三「ΑΩ(アルファ・オメガ) 超空想科学怪奇譚」

2008-12-07 18:32:22 | 読書感想文
 近年出てきたホラー作家の中で最も“あぶない奴”と言われているのが、この小林泰三(こばやし やすみ)である。「玩具修理者」や「兆(きざし)」「本」「C市」といった諸作でその異常ぶりは遺憾なく発揮されているが、このSF長編は、往年のヒーロー物TV番組に対する彼の思い入れがたっぷりと描かれ、血肉にまみれた中短編とは違った味わいを持っている。

導入部は「ウルトラマン」の第一回とそっくりで、さらに「マグマ大使」や「仮面ライダー」からの引用と思われるシーンも多数。子供の頃に特撮ものにハマっていた身としては、読んでいて思わずニヤリとしてしまう。もちろん得意のスプラッタ場面も満載だが、読後感がさっぱりしているのは、この作家にしては珍しいポジティヴな姿勢が貫かれているからだろう。

 余談だが、女性作家によると思われる文庫本の巻末解説は、勘違いしたようなモノローグが延々と続くだけの駄文で、この程度のパフォーマンスしか出来ないプロもいるという事実を示した意味では壮観である(苦笑)。
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「ハッピーフライト」

2008-12-06 06:53:11 | 映画の感想(は行)

 矢口史靖監督の成長に驚かされる一本。彼がデビューした時に感じたのは、その“いじけたオタク”のような自意識過剰な性行だ。つまりは“自分では面白いと思うネタなんだけど、一般ウケしないかもしれない”といった強迫観念を抱きつつ、それでもやらずには済ませられないオタクらしい執着性を、何度も後ろを振り向きながらおずおずとスクリーン上に出してくるヘタレぶりである。それは初期のマイナー臭い諸作はもちろん、普遍的なエンタテインメント指向が認められた「ウォーターボーイズ」や「スウィングガールズ」でも残っていた。

 しかし本作は違う。堂々たる娯楽大作だ。物語のアウトラインは往年の「大空港」シリーズを思い起こさせる航空パニックものだ。ところが数多く作られた航空災害映画と比べてこの映画が屹立したオリジナリティを獲得しているのは、その圧倒的なディテールの積み重ねである。ハッキリ言ってしまえば、細部の綿密な描出だけで成立しているような作品だ。

 旅客機が空港を飛び立ち目的地に到達するまで、いかに多くのスタッフが関与しているのか、そして彼らの存在無くしては飛行機なんて1ミリも動かないことを示している。たとえば機械整備担当の厳格な職務遂行ぶり。作業時間が少しでもオーバーしたり、工具がひとつでも紛失したりすれば重大なトラブルに繋がる恐れがある。そして管制室の確実なチェック体制。処理した案件を記したプレートを次々に別の箱に移すという、けっこうローテクだと思われる方法だが、業務の進捗状態が一目で分かる合理的なやり方である(ヘタにシステム化すると電気系統の故障の影響を受けやすいだろう)。

 鳥と航空機が激突するのを防止するため、猟銃(空砲)を持った職員が空港付近をパトロールしているのも、正副パイロットが食中毒で共倒れするのを防ぐためそれぞれ別の食事メニューを取ることも、この映画を観て初めて知った。これら膨大なディテールは言うまでもなく作者のオタク的性質の賜物なのだが、今回は観客の顔色を見るような遠慮がちな姿勢は微塵もない。その提示の仕方は自信に溢れている。

 もちろん“苦労してリサーチしました”という恩着せがましい態度や、ウンチクを勿体ぶって並べる傲慢さにも無縁だ。とにかく、数々のネタが絶妙のリズムで繰り出される演出リズムには舌を巻く。脚本も良く練られていて、前半からの各モチーフの振り分けが、中盤以降の航空パニック映画としてのサスペンスに至る伏線となっているあたりは見事。

 もちろん、連発されるギャグも効果的で、その多くを担っているのはドジな新米スッチー役の綾瀬はるかだ。筋金入りの天然で、行く先々で笑いを巻き起こす。田畑智子や平岩紙ら地上スタッフも天晴れなボケ具合。対して時任三郎や寺島しのぶは矜持を持ったプロを代表するキャラクターで、作劇を引き締めている。ならば中心人物であるはずの田辺誠一扮する“機長研修中パイロット”は影が薄くなっているのか・・・・ということは決してなく、それ相応の見せ場もちゃんと用意されている。

 とにかく、登場人物とプロットの絶妙のアレンジメントを堪能できるウェルメイドな快作だ。ちなみにANAがジャンボジェットでのロケを許可するなど全面協力している。同社の株も上がるかもしれない。
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「きけ、わだつみの声」

2008-12-05 06:35:01 | 映画の感想(か行)
 95年作品。戦没学生の手記に題材を取った「きけわだつみの声」(50年)の再映画化だが、内容は前作とまったく異なっている(らしい)。現代の国立競技場でラグビーの練習をしていた大学生(緒方直人)が、戦時中に学徒動員で出征した当時のラグビー部員たちの霊魂に導かれ戦争を体験するという、「ウィンズ・オブ・ゴッド」に続く“戦争タイムスリップもの”(?)で観る前は多少ウンザリしたことは確か。だが、そこは早坂暁の脚本と出目昌伸の演出。とりあえず最後まで観ていられた。

 感想だが、“文部省特選”らしく実にソツがなく手際のいい演出のテンポで、太平洋戦争の“入門編”みたいな印象を受けた。ただ、それ以上の感慨は得られない。オリジナリティの欠如。作者の確信犯ぶりがどこにも見当たらない、平板な時間が流れるだけである。

 「プラトーン」の上官殺し、「炎628」の現地人虐殺、「ハンバーガー・ヒル」の無謀な突撃、「野火」の人肉食いetc.「独立愚連隊」の生き残りみたいなのが出てきたり、「英霊たちの応援歌」や「零戦燃ゆ」などと似た展開も目立つ。要するに、過去の戦争映画のハイライト・シーンの寄せ集めだ。笑ったのが冒頭近くの“わが国はアメリカや中国と戦闘状態に・・・・”というセリフ。当時は“中国”なんて言うものか。“支那”だろ“支那”。こんなとこに気を遣ってどうするんだ。

 何やら“こういう映画が作りたい”という意志よりも“欠点をひとつずつ潰してとりあえず無難に仕上げたい”気持ちの方が強いように思われる。こんな映画はいらん。製作当時は戦後50年記念映画として封切られたが、この程度のものしか送り出せない邦画界は悲しい。ヘンに色目使って総花的にお茶を濁しているから、こういうネタに関しては他のアジア映画に負けるのだ。いい子ぶった映画しか作れないなら最初から撮らないでほしい。極右でも極左でもいいから“あの戦争はオレはこう思う。文句あるか”というような破天荒で悪意に満ちた、そして面白い戦争映画が日本ではできないものなのか。
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「ラブファイト」

2008-12-04 06:34:06 | 映画の感想(ら行)

 脇役の一人であるはずの大沢たかおが製作総指揮まで担当していることが最大の敗因だ。小さい頃から弱虫で、今もイジメられてばかりの男子高校生。彼の“守護神”みたいになっている、幼なじみでケンカのやたら強い女の子。そして彼を憎からず感じている思い込みの激しい女生徒。彼らが織りなす“三角関係(みたいなもの)”を中心に展開するハジケた感じの学園コメディかと期待したが、それはすぐに裏切られる。

 彼が強い男になろうと一念発起して入門するボクシングクラブの会長役で大沢が登場すると、途端に映画のヴォルテージが急降下してしまう。実はこの映画、主人公は大沢であるらしい。しかもその筋書きたるや冗長を絵に描いたような脱力ぶりである。

 若い時分には世界チャンピオンを狙える位置にいながら、新進女優との色恋沙汰で挫折。その屈託をダラダラと見せられた挙げ句、中盤にはくだんの“昔の彼女”(桜井幸子)が登場して、現在の冴えない境遇と大沢への未練が、これまた退屈極まりないタッチで語られる。果ては大沢をリングに立たせて八百長ドキュメンタリーで目立とうとするボクサー崩れの若い男優との確執が、意味もなく沈んだ雰囲気で映し出されるに及び、映画の方向性が完全に失われていると見限らざるを得なかった。

 高校生のドラマに見せかけて、自己陶酔的なモノローグもどきで映画を私物化している大沢の根性の腐り具合が、たまらなく不愉快だ。若い俳優達には“こんな大人になってはダメだぞ!”という反面教師になったのではないだろうか。成島出の演出にもまるで精彩が無く、こういうネタにしては長い2時間を超える上映時間に、終盤近くには面倒くさい気分になってしまった。

 唯一の収穫がヒロイン役の北乃きいの奮闘。ヘタレ男子高校生の林遣都や、彼にモーションを掛ける女子に扮する藤村聖子の演技は、まったく注目するに値しないが、北乃だけは違う。「幸福な食卓」で彼女を初めて見たとき、可愛くて演技力はあるが他の若手女優達に比べるとルックス面でのインパクトに欠けると思ったものだ。ところが本作では“顔で目立てないのならばアクションで勝負!”とばかりに、程度を知らない大暴れで観る者の度肝を抜く。特に、前のめりで突き出す連続パンチと切れ味鋭い回し蹴りは、本物の活劇女優としての資質を垣間見せる。実に面白い個性で、今後も出演作を追いかけたくなる人材だ。
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