元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ドライビング・MISS・デイジー」

2006-02-04 18:06:43 | 映画の感想(た行)
 89年作品。舞台は1950年代のジョージア州アトランタ。元教師で未亡人のミス・デイジー(ジェシカ・タンディ)は、ある日自動車事故をおこしかけ、息子のブーリー(ダン・エイクロイド)によって、黒人運転手ホーク(モーガン・フリーマン)を雇うハメになる。最初はホークに反感を抱くデイジーも、次第にうちとけていき、やがて二人は奇妙な友情で結ばれるようになる。

 ご存じアカデミー賞の作品賞と主演女優賞を獲得した映画だが、正直言ってそれほどのシャシンとは思わなかった。

 ソフト・フォーカスをかけた画面がまず気に入らない。こういう映像は、中身もぼやけた甘ちゃん映画と相場が決まっているのだが、やはり今回もそのとおりだった。このミス・デイジーが嫌いなキャラクターである。要するに気むずかしい年寄りであり、私だったら一日たりとも一緒にいたくない人物だ。運転手のホークは彼女となんと25年もつき合うことになるのだが、とうとう対等の関係を結ばないまま、彼女は老人ホームでボケてしまう。納得できない。

 二人の関係は最初は「女主人と召使い」であり、それが「やんちゃ娘とその保護者」になり、最後は「ボケ老人とその話相手」になっていく。どうしてもこれが「友情」とは思えない。イコールの関係ではない。

 キング牧師の話に感動するミス・デイジーであるが、そのくせ、二人で旅したとき、ホークが途中で用足しのため車を停めることを許そうとしない。「年よりの私がこんなに頼んでいるのに、あなたはわからないのか!」と激怒するホーク。それでも結局、彼女は根本的に変わらないままだ。

 凝った衣装や舞台装置など、観ていて感心もするし、巧妙なメーキャップもなかなかの見物だ。ただ、ノスタルジーのぬるま湯につかったようなこのストーリーは、どうしても受け入れ難い。

 「ドゥ・ザ・ライト・シング」のテーマ曲を歌っていたパブリック・エネミーのナンバーの歌詞に“「ドライビング・MISS・デイジー」みたいな、黒人を人間扱いしないふざけた映画がアカデミー賞とっちまうハリウッドのいやらしさにはヘドが出るぜ”とあるけど(正確な訳ではないが、だいたいこういう意味だろう)、私もそう思う。アカデミー賞すなわちリッパな映画、という考えは持っていないが、この映画が当時「フィールド・オブ・ドリームス」や「マイ・レフトフット」をおさえて受賞した、というのは、やっぱり釈然としない気分である。
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「カーテンコール」

2006-02-04 07:35:08 | 映画の感想(か行)
 同じく昭和30年代を扱った「ALWAYS 三丁目の夕日」が大仰なファンタジー映画(内実は陳腐な人情劇)でしかなかったのに比べ、映画黄金期から昭和40年代以降の衰退期(そして現代)までを幕間(まくあい)芸人の半生を通して描いた本作の方がカツドウ屋としての“こころざし”は高いと言わねばならない。

 確かに難点はある。狂言廻しになる出版社の契約記者(伊藤歩)とその周りの登場人物はどうも薄っぺらだ。そして何より取材対象の芸人が在日韓国人であったことは物議を醸すだろう。舞台になる下関市は在日が多く(関釜フェリーも就航しているし)、そういう役柄があってもおかしくはないが、だからといって“差別”と“区別”とを混同するような言い回しまであるのはいかがなものか。

 監督の佐々部清は「チルソクの夏」でも“半島ネタ”を扱ってはいたが、あれは公式な日韓交流イベントを題材にしていたせいか、“歴史問題”もサラリと流していた。対して今回の“在日”はそうはいかない。しかもそれを物語のメインに据えるとなれば、いま一歩の配慮が必要だったろう。

 しかし、それらを補って余りあるのが、作者の映画に対する愛情である。素人芸しかやれない主人公がそれなりの人気を保っていられたのも、隆盛を極めた映画のおかげ。上映作品を盛り上げるつもりが逆に映画に盛り上げて貰っている。そしてそれを承知の上で楽しむ観客。やがて映画は斜陽化し、幕間芸人も存在価値がなくなる。

 劇場主が張藝謀監督の秀作「あの子を探して」のポスターを見ながら“いい映画なのに・・・・(どうして観る人が少ないのか)”と呟くシーンに代表されるように、映画そのものは今もレベルは落ちていないにもかかわらず、もはや娯楽の王様の地位には戻れない。その哀切の情が心を打つ。主人公役の藤井隆(そして井上堯之)、その娘に扮した鶴田真由の好演が印象的。
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大山尚利「チューイングボーン」

2006-02-03 19:23:01 | 読書感想文
 第12回日本ホラー小説大賞長編賞受賞作。元同級生の女性に「列車から外の風景を3回撮影してほしい」と頼まれた主人公が3回とも飛び込み自殺の現場に出くわしてしまったことから始まる怪異譚。

 最初は「この事態の裏に隠された思わぬ真相が明らかになるのだろう」と思って読んでいたら、物語の主眼はそこではなく、実は次第に壊れてゆく主人公の内面であることが分かる。筋道としては「それもアリだ」とは思うが、どうにも面白くない。主人公はこの事件が起きてから常軌を逸してゆくのではなく、実は最初からおかしくなっていて、自殺騒ぎはそのきっかけに過ぎないことが明かされるが、問題はその描写がかなり鬱陶しいことだ。

 どうしようもない男の、これまたどうしようもない内面を、単にダラダラと書き流しているだけ。たぶん作者は「ホラー小説に純文学的テイストを組み合わせて独自の味を出してやろう」と思ったのかもしれないが、結果として中途半端。要領を得ない凡作に終わっている。

 この程度の作品が日本ホラー小説大賞の長編賞を受賞するとは、この賞自体の存在価値を問われることにもなろう。
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「フォー・ザ・ボーイズ」

2006-02-03 06:47:41 | 映画の感想(は行)
 91年作品。第二次世界大戦中のロンドンの軍隊慰問ショーで知り合った人気コメディアンのエディ(ジェームズ・カーン)と歌手ディクシー(ベット・ミドラー)。2人はそれから50年もの間、ショー・ビジネスの世界で活躍する。そして長年のエディとの名コンビに対する全米芸術勲章の授与式を目前に、ディクシーは自らの波乱に富んだ生きざまを語り始める。

 監督は「黄昏」(81年)などのマーク・ライデル。原案はミドラー自身で、プロデュースも担当している。

 3つの戦争を背景にしたラブ・ストーリーであるとともに、音楽とショー・ビジネスの変遷でアメリカの歴史をも描いている。絶対悪であるナチス打倒の大義名分があった正義の戦い、兵士たちは礼儀正しい英雄であった第二次大戦から、共産主義と敵対した朝鮮戦争とマッカーシズムの50年代、そして得るものが何もなかったベトナム戦争と、アメリカが大国の地位から滑り落ちていく過程を背景に、夫を亡くしたディクシーと、妻と不仲のエディとの恋人同士とも友情ともつかない関係が綴られていく。その中で、戦争の不条理と愛国心、ヒューマニズムが巧みに語られ、上映時間2時間半も少しも長く感じられない。

 そしてやはり見物はミドラーのステージングで、冒頭の停電になった舞台で懐中電灯のあかりだけで歌う“PS.アイ・ラブ・ユー”、ベトナムの最前線で熱唱するビートルズの“イン・マイ・ライフ”、相変わらずの歌唱力にうなってしまう。

 このように“うまい映画”ではあるが“感動できる映画”かというと、物足りない。ライデル監督の演出はソツがないが、ソツがなさすぎて面白味に欠ける。すべてが予定調和なのだ。いろいろ辛いこともあったけど、人生捨てたものではない、といった結末はいいとしても、もうちょっと観る者を圧倒するような仕掛けや思い切った演出ができなかったのだろうか。

 ライデル監督とミドラーのコンビといえばジャニス・ジョプリンをモデルにした「ローズ」(79年)を思い出す。これは凄い映画だった。ミドラーの迫真の演技と素晴らしい熱唱、ライデルのたたみかける演出で圧巻だった。映画ファンとしてはどうしても比べたくなるが、やはり今回の作品はイマイチこちらに迫ってくるものがない。

 日本を舞台にしたシーンの珍妙さや、ラストの老いた2人(凝ったメイクアップだ)の少々鼻につくクサイ演技にはちょっとげんなりしたせいもあり、絶対のおススメとは言えないが、とりあえずは観て損はしない作品だとは思う。題名の“ボーイズ”とは、たぶん兵隊たちのことを示しているのだろう。
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「欲望のあいまいな対象」

2006-02-02 18:56:49 | 映画の感想(や行)

 (原題:Cet Obscur Objet du de'sir)複数の俳優が一人のキャラクターを演じる映画といえば、まずこの作品を思い出す(‘77/仏=スペイン)。ピエール・ルイスによる「女と操り人形」の5度目の映画化で、名匠ルイス・ブニュエルの遺作でもある。

 主人公である初老の男(フェルナンド・レイ)が駅のホームで追ってきた若い女に向かってバケツで水をぶっかけるシーンで始まり、映画は主人公がそれまでの経緯を他の乗客に話すという回想形式を取っているが、件の女を演じているのがキャロル・ブーケとアンヘラ・モリーナのダブル・キャストだ。

 当然、この二人はまるで似ていないのだが、私は当初“二人一役”に気が付かなかった。まるで普通に一人の俳優が演じているかのように見える。私の観察力不足を勘案しても、この撮り方には感心するしかない。

 もちろん、映画が進むに連れ徐々に二人の女優に演じさせていることが分かってくるようになるが、そのプロセスが映画の筋書きとちゃんとシンクロしているところが凄い。つまり、初めのうちは主人公は彼女の一面しか見ていないが、付き合っていくといろんな内面が見えてくるということだ(映画では“貞淑さ”をC・ブーケに象徴させ“魔性”をA・モリーナに演じさせている)。

 これは主人公に限らず、すべての男が遭遇するケースではないだろうか。最初は女の外見にしか目がいかないが、やがて隠れた多面性に振り回されるようになる。彼女(or妻)の機嫌の良いときと悪いときはまるで別人のようだ・・・・とは男なら誰しも思うはずだ(笑)。そういう“男の側に立った対女性観の振幅度合い(?)”をスペクタキュラーにまであざとく演出し観客を最後まで引っ張ってゆくブニュエル演出恐るべし(爆)。

 当時彼は80歳近かったにもかかわらず、なおも敢然と“女性の神秘”に挑んでゆく姿勢には感服するしかない。これに比べれば、複数の女優を漫然と並べただけの「またの日の知華」なんていう映画が“子供の遊び”に思えてくる。
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「またの日の知華」

2006-02-02 06:47:28 | 映画の感想(ま行)
 ドキュメンタリー映画の鬼才・原一男監督初の劇映画だが、完成までに紆余曲折があったことは知られている。しかし“構想○年、製作○年”という謳い文句の作品が面白かった例はあまりなく、この映画も見事なほどの失敗作だ。

 時代設定になる1969年からの10年間は作者の青春時代であり、全共闘や「あさま山荘事件」などのニュース映像がフィーチャーされるあたり彼自身のノンポリの傍観者的立場を強調しているのかもしれないが、そのことと主人公の谷口知華が身を持ち崩していくストーリーがどうリンクしているのか全く不明。

 ひょっとして作者には何か自分を突き動かす強烈なパッションがあったのかもしれないが、映画を観ている限りは全然伝わってこない。これなら別に背景が60・70年代でなくても、シチュエーションを少し変えてやればどんな時代でもOKではないか。

 ヒロインを4人の女優(吉本多香美、渡辺真紀子、金久美子、桃井かおり)が演ずるという設定も意味があるとは思えない。作者に言わせれば“男が変われば女性の印象も変わる”ということかもしれないが、多面性を演じ分けられる女優なんていくらでもいるわけで、演技指導に自信がなかったのか、あるいは単にスケジュールの都合か、それとも演技者を信用していなかったのか、いずれにしても愉快になれない。

 しかも各キャラクターのセリフに血が通っておらず(田辺誠一をはじめとする男優陣も同様)、劇映画においての作者の素人ぶりが露呈している。

 原監督も、今後は本業のドキュメンタリーに戻って欲しいものだ。
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「イントゥ・ザ・ブルー」

2006-02-01 19:43:12 | 映画の感想(あ行)

 バハマを舞台にした海洋アクション映画。財宝を積んだ沈没船のすぐそばに麻薬が満載の飛行機も沈んでいるという設定には失笑してしまうし、これらを巡る主人公たちとマフィアや警察、それにライバルのトレジャーハンターの四つ巴の争奪戦も何やら締まりが無く、プロットの辻褄を合わせるのに精一杯という感じである。

 でも、そんなことは実はどうでもいいのだ。この映画の美点は目の覚めるような海中撮影と、売り出し中の若手女優ジェシカ・アルバの水着姿だけなのだから(爆)。

 「ブルークラッシュ」で素晴らしいサーフィン場面を演出したスタッフが、本作でも力量をいかんなく発揮。ウェットスーツを着用させずに出演者の表情や身体の動きを存分に見せているあたりは感心。特に主演のポール・ウォーカーが的の目を欺くために文字通り“海底に身を隠している”場面(マスクも付けないフリーダイビング状態)には舌を巻いた。

 何でも撮影時期は冬だったそうで、いくら温暖な地区といってもかなりキャストは苦労したはず。敢闘賞ものだろう。

 で、肝心のジェシカ嬢だが、スケベ心丸出しのカメラワークにもかかわらず全然下品にならないのは若さと本人のキャラクターゆえだろう(共演のモデル系ねーちゃんと比べても断然勝っている)。これからも映画ファンを楽しませてほしい(^o^)。
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映画検定って何よ(笑)。

2006-02-01 07:02:10 | 映画周辺のネタ
 キネマ旬報社は今年4月に「映画検定」なる試験を実施するらしい。

(該当HPより概要引用)
「映画検定」は“もっと映画を知ることで、もっと映画を楽しもう”というテーマのもと、周囲の人達に映画の楽しさ、面白さを伝えられるような方々が増えることを願って実施するものである。また、映画を生涯学習のテーマにする方々が増えており、それに対応していきたいという背景もある。
(引用終了)

 で、その検定内容というのは・・・・
・映画検定3級(映画の歴史・作品などについて基礎的な知識レベルを持っている)
・映画検定2級(映画の歴史・作品などについてやや高度な知識レベルを持っている)
・映画検定1級(映画の歴史・作品などについて高度な知識レベルを持っており、映画の魅力を自分の言葉で語ることができる)
・・・・というもので、当初行われるのは2級と3級の試験。1級は2級合格者のみを対象とした論述式だという。

 最近「ナントカ検定」って流行ですな。「○○観光検定」とか「おたく検定」とかいうのもあったか(笑)。合格しても屁の役にも立たず、逆に変人と思われる可能性大の「企画」ではある。こんなの受ける奴は一般ピープルにはあまりいないと思うが、映画関係の文章書いてゼニ貰っている連中に強制的に受けさせたら面白いと思う。たぶん3級も合格しない自称「映画ライター」がゾロゾロ出てくるはず・・・・。
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