ドキュメンタリー映画の鬼才・原一男監督初の劇映画だが、完成までに紆余曲折があったことは知られている。しかし“構想○年、製作○年”という謳い文句の作品が面白かった例はあまりなく、この映画も見事なほどの失敗作だ。
時代設定になる1969年からの10年間は作者の青春時代であり、全共闘や「あさま山荘事件」などのニュース映像がフィーチャーされるあたり彼自身のノンポリの傍観者的立場を強調しているのかもしれないが、そのことと主人公の谷口知華が身を持ち崩していくストーリーがどうリンクしているのか全く不明。
ひょっとして作者には何か自分を突き動かす強烈なパッションがあったのかもしれないが、映画を観ている限りは全然伝わってこない。これなら別に背景が60・70年代でなくても、シチュエーションを少し変えてやればどんな時代でもOKではないか。
ヒロインを4人の女優(吉本多香美、渡辺真紀子、金久美子、桃井かおり)が演ずるという設定も意味があるとは思えない。作者に言わせれば“男が変われば女性の印象も変わる”ということかもしれないが、多面性を演じ分けられる女優なんていくらでもいるわけで、演技指導に自信がなかったのか、あるいは単にスケジュールの都合か、それとも演技者を信用していなかったのか、いずれにしても愉快になれない。
しかも各キャラクターのセリフに血が通っておらず(田辺誠一をはじめとする男優陣も同様)、劇映画においての作者の素人ぶりが露呈している。
原監督も、今後は本業のドキュメンタリーに戻って欲しいものだ。
時代設定になる1969年からの10年間は作者の青春時代であり、全共闘や「あさま山荘事件」などのニュース映像がフィーチャーされるあたり彼自身のノンポリの傍観者的立場を強調しているのかもしれないが、そのことと主人公の谷口知華が身を持ち崩していくストーリーがどうリンクしているのか全く不明。
ひょっとして作者には何か自分を突き動かす強烈なパッションがあったのかもしれないが、映画を観ている限りは全然伝わってこない。これなら別に背景が60・70年代でなくても、シチュエーションを少し変えてやればどんな時代でもOKではないか。
ヒロインを4人の女優(吉本多香美、渡辺真紀子、金久美子、桃井かおり)が演ずるという設定も意味があるとは思えない。作者に言わせれば“男が変われば女性の印象も変わる”ということかもしれないが、多面性を演じ分けられる女優なんていくらでもいるわけで、演技指導に自信がなかったのか、あるいは単にスケジュールの都合か、それとも演技者を信用していなかったのか、いずれにしても愉快になれない。
しかも各キャラクターのセリフに血が通っておらず(田辺誠一をはじめとする男優陣も同様)、劇映画においての作者の素人ぶりが露呈している。
原監督も、今後は本業のドキュメンタリーに戻って欲しいものだ。