元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ロレンツォのオイル 命の詩」

2011-11-15 21:07:50 | 映画の感想(ら行)
 (原題:Lorenzo's Oil )92年作品。この映画は“死病もの”である。このテーマが観客を引き付ける理由は“死んでいく主人公がかわいそうだ”ということに尽きると思う。その場合、観客側が健康体であることが大前提となる。つまり、主人公の悲惨な運命に同情して、こらえきれなくなって泣く。病気さえなかったら、素晴らしい人生を送るかもしれないのに・・・・という切ない思いでいっぱいになり、涙を流す。そうすると、自分が“いい人”に思えてくる。

 “普段はバカなことばかりやってる自分でも、こうやって人の不幸に心から同情できるような、いいところもあるんだよなぁ”てなぐあいで、スッキリした気分で劇場を後にできる。そしてまた平凡な日常に埋没していく。一方、身内が重い病にかかっているような人は“死病もの”なんてまず観ない。まさに“冗談じゃねぇ”だ。そして、日常が平凡じゃない人(?)も、“どうして映画を観てまで悲しい思いしなけりゃならねえんだよっ。こちらは毎日シビアーな生活を送っているというのに!”という感じで、たぶん観ない。

 結局“死病もの”なんて観る側の勝手なエゴイズムを満足させるだけの、きわめてウサン臭いシロモノだと思う。いくら出来がよくても、この基本線は崩しようがない。ま、映画は観客の欲望を満足させるためにあるのだから、これが“娯楽”として通用することに文句はないが・・・・。

 ところが、この「ロレンツォのオイル/命の詩」は、そんな“死病もの”に対する送り手と受け手の甘えた先入観を木っ端微塵に打ち砕く作品である。



 ALD(副腎白質ジストロフィー)という難病に冒された幼い息子を救うため、医学の知識のまったくない両親が、あらゆる文献を読みあさり、さまざまな治療の可能性を試み、ついに特効薬を発見するまでの物語(彼らはこの発見で医学の学位を授与された)。実話の映画化で、監督は「マッドマックス」シリーズや「イーストウィックの魔女たち」(87年)などのジョージ・ミラー。

 当初この題材をアクション派のミラー監督が撮るのは場違いではないかと思ったが、彼は医師の免許を持っており、何よりも「マッドマックス」の悪役たちをそのまま難病ALDに置き換えただけの(乱暴な比喩だとは思うが)パワフルな展開に、彼の資質があらわれていて、この起用は成功したと言える。

 もしも自分の息子が直る見込みのない病気にかかっていると告げられたら・・・多くの“死病もの”の映画は、この“直らない”という時点から出発し、死ぬまでのプロセスを描くことに腐心する。医者がそう言うのなら仕方がないと、信じて受け入れるしかないのか(中には信用しない親もいるだろう)。でもこの映画の親たちは、自分たちで治療法を探そうとする。それも安易にオカルト方面の手助けを借りず、見事に科学的に、アカデミックな方法をもって目的を達成しようとする。

 この発想は凄い。病院を信用せず自宅に治療室を設置し、死ぬまでをいかに心地よく(?)過ごすか、という命題を求めるあまり、医療関係のPR機関に過ぎなくなった“ALDの子を持つ親の会”の幹部を徹底的に糾弾し、少しでも悲観的なことを考える看護婦はただちにクビにする。彼らにとって“息子がもし死んだら・・・”と考えること自体が“負け”と同じなのだ。

 “お涙頂戴路線”に対する抑制は見事にきいている。主役の両親を信用しきった作者のスタンスは安易にウェットな展開に流れることを断固として拒否する。主役のニック・ノルティ、スーザン・サランドンは絶望的な状況にあっても決して望みを捨てない人間の美しさを体現化していて感動的だ。

 それは何も、必要に迫られたとはいっても専門外の医学的知識を身につけてしまった二人の超人的努力に対する賞賛だけではない。ヘタをすると互いにヒステリックにののしりあい、八つ当りしそうな切迫した状況の中で、相手を尊重し合い、冷静に対処する人格の高さをも描き出している点である。しかし、サランドンの子供のいない妹に対する確執など、人間としての弱さもちゃんと描き出しており、血の通ったキャラクターになっているのも感心した。

 イタリアなまりの主人公になりきったノルティもいいが、確固とした信念を持ち、毅然とした、それでいて優しい母親像を見せてくれたサランドンの演技は素晴らしい。それから、二人と対立するベテラン医師のピーター・ユスティノフの存在感も光った。

 ALDはある種の酵素が先天的に欠乏していて、特定の脂肪酸が血液中にたまり、それが脳を冒し全身マヒで死にいたるという病気である。このプロセスおよびどうやって病気を直していくか、なぜ二人が突き止めた特効薬が効くのか、映画は実に素人の観客にもわかりやすく、難しい医学用語を噛んで含めるように説明し、それがちっとも不自然でなく、誰が観ても“おおっ、なるほど”と納得させるセリフ回しが大きな効果をあげている。ミラー自身とニック・エンライトによる脚本の勝利であろう。

 バックに流れるサミュエル・バーバーの“弦楽のためのアダージョ”(「プラトーン」でもおなじみ)やマルチェロのオーボエ協奏曲などのクラシックの名曲がドラマを盛り上げる。

 決して楽しい映画ではない。けれども“死病もの”にありがちなセンチメンタリズムとは無縁。全篇を覆う強靭な求心力、見応え十分の秀作である。主人公たちの勇気に感心するとともに、もし自分が主人公の立場だったらどうなるか(誰でもその可能性はゼロではない)という重い問い掛けがのしかかってきた。

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