(原題:Burlesque )ミュージカル役者としてのクリスティーナ・アギレラの存在感に圧倒される一編だ。言うまでもなく彼女はアメリカの音楽シーンを代表する歌手であり、おそらくこの年代の白人女性シンガーとしてはトップレベルの実力を持っているだろう。今まで「ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト」でのゲスト歌手としての映画出演はあったが、演技者としては今回初めて。しかし、この堂に入ったパフォーマンスはとてもデビュー作とは思えない。もっと映画に出てもらいたい素材である。
ストーリーは御都合主義の最たる物で、突っ込み所が満載である。そもそも、アイオワの小さなダイナーでウェイトレスをしていたヒロインがロスアンジェルスにやってきて、持ち前の実力を発揮してナイトクラブの売れっ子になるという話自体に説得力がない。
普通に考えれば、彼女がどうして歌と踊りに興味を持ち、どのように田舎町で鍛練を積んで万人を魅了するようなレベルにまで達したのか、そのあたりを重点的に描くべきだろう。クラブの買収話がどうのこうのというネタも、まるで興趣が出てこないようなエピソードである。
けれども、このような設定の映画ではそんなことはどうでもいいと思う。主人公が最初から実力派で、きっかけを与えられればスグに舞台で輝き出そうが何だろうが、画面映えすればそれですべてオッケーだ。
原則的に、ミュージカル映画に小難しいドラマツルギーなど不要。プロットの積み上げのいい加減さにケチを付けるのは、野暮というものだ。楽曲とダンスに満足出来れば、あとは何もいらない。その意味でこの映画は十分に及第点である。
クラブのオーナーに扮したシェールも良い。彼女は相当なトシだと思うのだが、まだまだ声に張りがあり、エキゾティックな魅力も健在だ。エリック・デインやスタンリー・トゥッチも適役。欲を言えばピーター・ギャラガーにも見せ場を用意して欲しかった(笑)。
クリストフ・ベックによるオリジナル楽曲だけではなく、起用した既成曲もセンスが良い。特にボストンの「宇宙の彼方に」やアルファビルの「フォーエバー・ヤング」などが鳴り響いたときには、ロック好きとしては思わず身を乗り出してしまった。
スティーヴ・アンティンの演出は取り立てて才気走ったところはないが、破綻無くドラマを展開させる職人ぶりを発揮。ボジャン・バゼリのカメラによる煌びやかな映像も良い。とにかくキュートなアギレラの魅力が満載の、ゴージャスな雰囲気が味わえる音楽映画の快作だ(策を弄しすぎて沈没した「NINE」とは大違い ^^;)。観る価値は大いにある。
ストーリーは御都合主義の最たる物で、突っ込み所が満載である。そもそも、アイオワの小さなダイナーでウェイトレスをしていたヒロインがロスアンジェルスにやってきて、持ち前の実力を発揮してナイトクラブの売れっ子になるという話自体に説得力がない。
普通に考えれば、彼女がどうして歌と踊りに興味を持ち、どのように田舎町で鍛練を積んで万人を魅了するようなレベルにまで達したのか、そのあたりを重点的に描くべきだろう。クラブの買収話がどうのこうのというネタも、まるで興趣が出てこないようなエピソードである。
けれども、このような設定の映画ではそんなことはどうでもいいと思う。主人公が最初から実力派で、きっかけを与えられればスグに舞台で輝き出そうが何だろうが、画面映えすればそれですべてオッケーだ。
原則的に、ミュージカル映画に小難しいドラマツルギーなど不要。プロットの積み上げのいい加減さにケチを付けるのは、野暮というものだ。楽曲とダンスに満足出来れば、あとは何もいらない。その意味でこの映画は十分に及第点である。
クラブのオーナーに扮したシェールも良い。彼女は相当なトシだと思うのだが、まだまだ声に張りがあり、エキゾティックな魅力も健在だ。エリック・デインやスタンリー・トゥッチも適役。欲を言えばピーター・ギャラガーにも見せ場を用意して欲しかった(笑)。
クリストフ・ベックによるオリジナル楽曲だけではなく、起用した既成曲もセンスが良い。特にボストンの「宇宙の彼方に」やアルファビルの「フォーエバー・ヤング」などが鳴り響いたときには、ロック好きとしては思わず身を乗り出してしまった。
スティーヴ・アンティンの演出は取り立てて才気走ったところはないが、破綻無くドラマを展開させる職人ぶりを発揮。ボジャン・バゼリのカメラによる煌びやかな映像も良い。とにかくキュートなアギレラの魅力が満載の、ゴージャスな雰囲気が味わえる音楽映画の快作だ(策を弄しすぎて沈没した「NINE」とは大違い ^^;)。観る価値は大いにある。