元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「八月の狂詩曲」

2009-12-03 06:22:30 | 映画の感想(は行)
 91年作品。黒澤明監督の29本目の映画で、原作は97回芥川賞を受けた村田喜代子の「鍋の中」。長崎の田舎に住む祖母とその孫たちのひと夏の交流を通して戦争の悲惨さを描こうとしたドラマだ。

 まず、よかった点からあげよう。主演のおばあちゃん役の村瀬幸子の好演。そして4人の孫たちとおばあちゃんとのふれ合いが丹念に描かれていること。それと映像の美しさだろう。この前の作品である「夢」のような過度に説教臭い部分を押さえて、テーマを淡々と訴えているところは評価してもいいだろう。

 次、よくない点だ。前述の部分と矛盾してしまうかもしれないが、映像が安っぽく見える部分があること。原爆のキノコ雲が人間の目に見えるくだりや、ラスト近くの空が雲にかげるシーン、それから孫の2人が森の中で見つける伝説的な大木、などのSFXがらみの場面の稚拙さは目を覆いたくなる。自然の風景を描くシーンの素晴らしさとの落差に愕然としてしまう。

 それとこれも前述のくだりと矛盾するが、押さえているとはいっても、やっぱり説教するのが好きな黒澤監督らしいところがある。孫たちが長崎の街を歩くシーンで孫の一人が原爆の悲惨さについて延々と語る部分は、一瞬長崎の観光案内フィルムを観ているような錯覚に陥ってしまう。さらにおばあちゃんのセリフからテーマをそのまま映像でなくて言葉で語らせる場面があるのは困ったものだ。要するに作者はあまり観客の想像力を信用していないのじゃないかと思う。つまり、セリフでいちいち説明しなければテーマが伝わらないと信じているらしい。

 それから音楽の使い方にも疑問がある。ラストの大雨の中を出て行ったおばあちゃんを孫たちが追いかけるシーンのバックに「野ばら」の下手くそなコーラスがかぶる場面はあまりの映像と音楽のズレに呆然となった(客席から笑いがもれていたくらいだ)。あそこは絶対ヴィヴァルディ「スターバト・マーテル」(曲の断片が本篇にたびたび挿入されている)にして盛り上げるべきだった。

 それにしても、日本映画には“被害者意識”(そして、その裏返しの一方的な“加害者意識”)からしか戦争の悲惨さを見ていない作品が目立つ。この映画にしたって“アメリカのスター(リチャード・ギア)を呼んできて原爆投下の詫びを入れさせた映画”と言うこともできる。過剰な説明的セリフで原爆の悲劇を伝える黒澤監督の姿勢には、自分の海外への知名度を利用してテーマをこれでもかこれでもかと外国人に訴えようという狙いが見えるようだ。それも一つの方法だが、今村昌平監督の「黒い雨」(88年)のように抑えた演技と効果的な映像で迫る方がインパクトが大きいということを知るべきであったろう。
コメント
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