元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「栄光と狂気」

2009-04-17 06:46:02 | 映画の感想(あ行)
 (原題:Rowing Through)96年日本=アメリカ=カナダ合作。“洋の東西を問わず、楽しく撮ったダメ映画を作家の映画として誉めるケースが最近、破廉恥なまでに増えている”。これは雑誌に載った原田眞人監督の製作手記にある一節だ。しかし残念ながら、楽しく撮ろうが苦しんで撮ろうが、出来た作品が“作家の映画”として評価されるのは当たり前のことである(節操なく誉めるのは確かに破廉恥だが)。むしろ、この手記の一節には“苦労して作ったオレの映画を、お遊びで作られた有象無象のシャシンと一緒に評価してほしくない”という尊大な態度が見受けられて、どうも愉快になれない。

 デヴィッド・ハルバースタムのスポーツノンフィクションを元に、モスクワ五輪のボート競技のアメリカ代表であった主人公が、アメリカの大会ボイコットによる失意から立ち直り、4年後のロスアンジェルス五輪を目指して頑張る姿を描く、奥山和由プロデュースのオール海外ロケ作品。ほとんどが外国人のキャスト(セリフも当然英語)、過酷な撮影条件etc.確かに撮るのは大変だったろう。でも、苦労したからいい結果になるとは限らないのが映画だ。

 観ていてちっとも面白くないのは、出てくる連中が全然地に足がついていないこと。西洋人が日本を舞台にして撮った作品に共通する、あの何ともいえない違和感が、逆の立場のこの映画にもあてはまる。名のある俳優は一人として出ていないので、頼みは演出力のみなのだが、これが“脚本通りにやりました”というレベルで話にならない。登場人物の存在感は俳優の演技力だけによって出てくるものではない。演技にちょっとしたディテールや工夫を持たせる監督の演技指導力のウェイトは大きいはずなのに、見事なほど何もやっていない。

 たぶん原作はエキサイティングなのだろう。映像化が難しいボート競技のシーンは流麗なカメラワークでそれなりに見せるし、ロケ地のカナダの風景も美しい。でも、これを原田監督が撮らなきゃならない理由は皆無だ。演出も地元の気鋭の作家にやらせた方がはるかによかった(製作に加わったクロード・ガニヨンがメガホンを取ってもOKだったはずだ)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする