元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「フロスト×ニクソン」

2009-04-16 06:25:18 | 映画の感想(は行)

 (原題:FROST/NIXON )甘っちょろい映画だ。まず、本作の素材が77年にテレビで実際放送された歴史的インタビューだというのが大きな問題である。これがたとえば事実を元にしたノンフィクション小説ならばドラマとして映画化する意味があっただろう。ところが、題材がテレビ番組という、すでに完成された“映像化作品”である限り、同じ映像メディアである映画が入り込む余地はかなり小さくなる。

 このネタをあえて取り上げるとしたら、番組にまつわる舞台裏などをコメントした当時の関係者のインタビュー等を散りばめたドキュメンタリー映画にするぐらいしかないだろう。これをドラマ化してしまうと、どんなに頑張っても元ネタの番組映像に敵うわけがないのだ。グダグダ言うより、そのインタビュー映像を簡単な注釈を付けて流した方がよっぽどインパクトが強いに決まっている。

 ただし、この映画の元になっているのは番組そのものではなく、それを題材にした舞台劇である。演劇から映画になったものは数え切れないほどあるし、製作の筋道としては間違ってはいない。しかし、舞台を映画にしたことでこの内容の“映画向けでないところ”がクローズアップされたのは皮肉なものである。

 最初に、どうして演劇としてこのネタが通用したのかを考えてみる必要がある。それはズバリ演技者のパフォーマンスがモノを言っているのだと思う。ニクソン元大統領に扮するフランク・ランジェラとインタビュアー役のマイケル・シーンというキャスティングは舞台版と同じらしいが、おそらくステージ上では俳優の持ち味が発揮されて、実録ものを超えた高揚感が横溢してるのだろう。

 しかし、映画になると主役二人の存在感だけに寄りかかることは出来ない。横方向に広いスクリーンの上では他の出演者も多数行き来するし、各シーンの舞台になる場所も限られたステージとは違った“具象的な”エクステリアを伴い、主役の二人だけをクローズアップできる舞台劇の“抽象的な”背景とはほど遠いものになってしまう。結果として、事実を漫然と追っただけの平板なシャシンにならざるを得ない。

 極めつけは映画のテーマをナレーションで滔々と説明してくれること。これが舞台版だったら納得できる。なぜなら、最前列に座っている者を除けば観劇の客に役者の細かい表情なんて読み取れるはずもなく、セリフでちゃんとフォローしなければ言いたいことは伝わらないからだ。しかし、クローズアップが可能であるはずの映画版でそのようなことをやる必要はない。映像ですべてが語れるはずだ。それなのに舞台版の筋書きに拘泥してしまったのは、ロン・ハワードをはじめとする作者達の認識不足でしかない。

 そもそもフロストがどうしてこの番組を作ろうと思ったのか、その理由も明かではない。もちろんウォーターゲート事件の真相やニクソンの外交政策に関して、何ら語られない。要するに製作意図がまったく見えない映画で、失敗作として片付けられても仕方がないだろう。
コメント
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