元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「RAMPO」二題

2008-06-26 20:26:39 | 映画の感想(英数)
 両方とも94年作品。江戸川乱歩生誕100年記念として作られた「RAMPO」は製作・奥山和由、監督にNHKドラマ「花の乱」などを手がけた黛りんたろうが当たり、娯楽映画としてにぎにぎしく公開されるはずだった。しかし、出来上がった作品を奥山は“こんなので客が呼べるかっ!”とばかりに一蹴。“こうなりゃオレが撮る”と、はからずも自身の初演出作品となる奥山版「RAMPO」は拡大公開されることになったが、黛側も黙ってはおらず、かくして同じ題名、同じキャストで内容の違う2本が同時期に封切られることになった。

 ストーリーはほぼ共通している。昭和初期、乱歩(竹中直人)の新作「お勢登場」が発禁となるところから始まる。若い人妻が亭主を長持の中に閉じこめて窒息死させてしまうこの小説は、奇しくもそのころ起こった、骨董屋の主人が長持の中で怪死した事件と酷似していた。その妻に興味を持った乱歩は、彼女に会ううち、魅かれるものを感じる。平行して乱歩が執筆中の小説には、彼女そっくりのキャラクターが出てくる。小説の中の彼女は前の亭主の死に関わった疑いを持たれながら、今では伊豆の変態侯爵(平幹二郎)の妾となっていた。“また死人が出る”という匿名の依頼により、明智小五郎(本木雅弘)が侯爵の館に潜入し、捜査を開始。いつしか乱歩は、小説と現実の境目が見えなくなってくる。

 まず黛バージョンの感想について述べよう。奥山の言うとおり、これでは客は呼べない。弛緩したドラマ運びと稚拙な演技指導は映画以前の出来で(セリフの聞き取りにくさといったらない)、私が製作者だったら永遠にオクラ入りにしておくところだ。ただ一点だけ納得したのは、女のミステリアスな過去をちゃんと説明しているところで、支離滅裂な話になんとか筋が通っているように感じた。

 よって、それを“改善”した奥山バージョンの大勝利! と手ばなしでホメられないのが辛いところだ。奥山の演出は一応は破綻を見せない撮り方で、黛版を観たあとではホッとするのは確か。

 しかし、奥山は勘違いをした。“改善”されるべきは、このワケのわからないストーリー展開、つまり脚本であり、客を呼ぶための“サブリミナル効果”や“f分の1ゆらぎ”“匂いの出る映画”といったキワ物的オマケを付けることではない。

 ミステリー的趣向は皆無に近く、大時代な設定や解決を放り投げたようなラストは閉口するばかり。平幹二郎や阿部寛の女装を見て喜ぶ観客がいると思うのか。「怪人二十面相」の映画化記念パーティに出席しているゲスト出演者たちを“有名人をこんなに集めたんだぞぉ”とばかりに念入りに撮す無神経さ。どうも外見さえハデにすれば観客を呼べると思っているフシがある。

 まあ、取り柄といえば冒頭の“長持ち窒息事件”の顛末を描いたアニメーションだろうか。けっこうオドロオドロしくて楽しめた。全篇アニメにすればよかったのかも。ヒロイン役の羽田美智子だけはまあ良かったけどね。

 それにしても、この頃の奥山和由は毀誉褒貶はあるにせよ、なかなかやる気を見せたプロデューサーであったことは間違いない。松竹のお家騒動により放逐されてしまったが、もう一度邦画メジャー会社に復帰させたら面白いものを作るのではないだろうか。
コメント
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