元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「山桜」

2008-06-14 07:52:40 | 映画の感想(や行)

 藤沢周平の小説でお馴染みの庄内平野に広がる海坂藩の状況が、今の日本と酷似しているのにはびっくりした。豪農どもと結託した重臣が、財政危機を打破するために新田の開発を画策。その財源として年貢や税金の利率を大幅に上げようとしている。財政赤字額を“国民一人当たりウン百万円の借金!”とばかりに煽り立て、国民には負担増を押しつけ、その裏では政界と財界と官界がグルになって我が世の春を謳歌するという、現在の日本経済の実情とまったく一緒である。時代劇とはいえ、時事ネタにしっかりと向き合った姿勢は評価したい。

 さて、同じ藤沢文学の映画化でも山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」や「武士の一分(いちぶん)」とは違い、柔らかい雰囲気が横溢しているのは、主人公を女性に設定しているからだろう。ヒロインは中堅武士の娘・野江。最初の結婚相手には早々に死なれ、再婚相手は金儲けにしか興味のない男。しかも義理の父母は低劣な俗物で、彼女は手ひどいイジメに遭っている。

 今は亡き叔母の墓参りに行った折、かつての縁談の話がありながら彼女の些細な拘りのために一緒になれなかった弥一郎(東山紀之)と出会う。いまだ独身だという彼に心をときめかす野江。正義感の強い弥一郎は義憤に駆られて藩の不正に立ち向かうが、普段の藤沢作品ではそっちの方をメインにするはずが、カメラは野江の方を向いたままだ。

 彼の一本気な生き方を再見するに及び、つまらない気の迷いで本命の男を逃し、意に添わない結婚に甘んじてしまった自らの不明をハッキリと自覚する野江。そしてやっと自分の意志で人生を歩み始めることを決意する。本作は社会派映画であると同時に女性映画でもあったのだ。

 彼女が辛い日々に埋没したままではなかったのは、親切な使用人達との交流や彼女の実家の温かさがあったからだが、それらが徐々に彼女の心理状態に影響を及ぼしてゆくプロセスをしっかりと描く。弥一郎の所業の正しさを信じきった上での、ラストの彼女の行動には無理が感じられず、しっとりとした感動を呼ぶ。

 野江に扮する田中麗奈は好演で、いつもの元気一杯の役柄ではないが、しっかりとした眼差しと凛とした姿勢がヒロイン像を上手く体現していた。野江の両親役の篠田三郎と檀ふみをはじめ富司純子、永島暎子など、脇を固めるキャストも言うことなし。

 篠原哲雄の演出は丁寧で、山田洋次ほどの底力はないことを自覚してか、ケレン味のない正攻法に徹している。パステルカラーを主体とした映像および衣装デザインの美しさ。特に冒頭の野江と弥一郎が再会するシーンのバックにそびえる満開の山桜は、見事と言うしかない。
コメント
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