国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展の一つ「表現の不自由展・その後」に抗議が殺到し3日目で中止となった。
「表現の自由」について考えようとした企画だそうだが、脅迫やいやがらせで「表現の自由」が奪われるという悪しき前例を作る結果となってしまった。主催者は、このタイミングで開催すれば、このような結果になることを想像することができなかったのか?という主催者の一人が、この企画にゴーサインを出した愛知県知事なので、住民税は小平で払っているものの、愛知県で生活し、それなりの税金を落としている立場からすると、税金も投入されているだろう企画展が、中止となった愚かな結果に辟易している。
一部識者の話では「表現の自由」を守るため、この企画を中止してはならないと言っているが、京アニの惨劇を模倣する脅迫がある以上、「表現の自由」より「人命を守る」ことに重きを置くことは当然と思う。爆破予告がある会場でイベントを継続したり、殺人予告のある学校で試験を実施することは、その予告の内容に対抗できるだけの警備ができなければ回避すべきと個人的には思っている。
「表現の自由」を守った結果、殺されて「表現できない」ことになったとして、誰が責任をとるのだろう。一部の識者が責任をとってくれるのか?それが担保できない以上、主催者はイベントを中止すべきである。イベントは中止されたとしても、その他の方法で、表現を続けることは可能なのだから。
憎むべきは卑劣な行いをする鬼畜な人々である。しかし、犯行声明が発せられ、来館者の生命が脅かされている状況において、対策を打たなければ「表現の自由」より「生命」が低く見られたことにならないか。賢明な主催者なら、こういう事態も想定して、警備の人を増やすとかも考えるだろうが、予算がなければ中止するしかないだろう。日韓関係の悪化や京アニ事件がなければ、別の選択肢もあったのかもしれないが、一番最悪なのは、見て見ぬふりをして何もしないことである。
とはいえ、この愚かな結果は主催者側の先見性の無さに大きく起因する。テーマが「表現の不自由」だけに、それを中止することは「表現の自由」に対し土をつけてるという前例を作ってしまうこととなる。途中で中止するくらいなら、最初から開催するなよ!って思うのは私だけだろうか?