生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

2012年の目標!

2012年01月01日 15時16分38秒 | ちょっと立ち止まって・・・
さてさて、正月休みも残すところ、あと2日のみ・・・

そろそろ、今年の目標を立てねばならぬ。目標なくして成果なし。目標は声に出したほうが実現しやすいから。

で、目標をつらつらと書いてみる。


1.武蔵野大学大学院修了
 やはり、この大目標ははずせない。一時はあきらめかけた目標を意地でも達成しなければならない。

2.放送大学大学院入学と単位の修得
 目標1が達成されれば、入学は100%達成されます。他大学院修了による単位認定が10単位あるはずなので、必須30単位の半分超を取得したいと思います。今回は、教材や放送での学習をしっかり行い、きめ細かい学びに取り組みたいと思います。

3.放送大学入学
 目標1が達成されれば、入学は100%達成されます。入学と同時に卒業が確定します。多くならないように注意しながら単位を取得し、卒業論文の準備に取り掛かりたいと思います。

4.英語の学習
 そろそろ本当に学習しないといけないと感じています。本当にやらないといけないな~

5.痩せる
 現在、66.5キロなので、63キロまで痩せてみたいと思います。

6.旅行へ行く
 長男の入試も終わっているはずだから、家族旅行に行きたいと思います。

7.資格の取得
 やはり、資格も取得したいところであり、3つぐらいでどうかしら。

8.宗教を学ぶ
 去年は哲学で失敗したので、今年は宗教ということで学びを深めたいと思います。

去年同様8つということで。とりあえず、武蔵野大学大学院を修了しないかぎり、次へのステップは拓けない。



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資格について

2012年01月01日 06時37分06秒 | 資格
元旦とは、いろいろとゆっくり考えることができ、まさに、哲学日和といえる。

ふと、資格について考えてみる。というのも、リンクさせていただいている「資格マニアのページブログ ビジネス資格数日本一 234種(307個)  挑戦と挫折の記録」に「三人合わせて資格数は1,122個!!」という記事があったためである!

このブログの管理人さんは、私が密かにリスペクトしている方である。資格に特化した業界で、資格を多数取得されている人は、そもそも、それが仕事なのだから、当然といえば当然なのである。無論、この対談に参加されている中村氏と鈴木氏は、当然というレベルを超越した存在なので、それぞれ、尊敬しているのだが、上井氏は、「仕事を続けながら」、この域にまで到達したところが、すばらしい!

現在は独立されているものの、つい先日まで某大手企業でしかるべきポジションで働きながら、資格王になられた特別な存在なのである。

今でこそ、年間2つしか資格を取得せず、資格王争いから、完全に離脱した私であるが、資格が嫌いなわけじゃない。むしろ、資格を愛し続けているといっても過言ではない。

産業能率大学大学院では、「銀行における人的活用プラン-行員のスキル向上とモチベーション維持の施策-」という修士論文で、内容においては、産業カウンセラーやキャリア・コンサルタントという資格の知識を、いかんなく発揮している。何故か、この題名の論文にもかかわらず、数十にもおよぶ資格が名を連ねている!

明星大学大学院で纏め上げたのは、「生涯学習社会における資格の役割についての考察」であり、修士論文は資格そのものである。これまた、論文上に出てくる資格の数は数十におよび、特筆すべき点は、資格を「職業資格」と「教育資格」に区分し、民間と大学との係わり合いを考察した点であろう。

武蔵野大学大学院の成果物は、「キャリア形成におけるビジネス・キャリア制度の活用」であり、これまた、人間のライフサイクルを資格から俯瞰したものである。

修士論文3本が、すべて資格絡み。それくらい資格が好きなのである(笑)

しかし、何度も書いているが、最近の資格乱立には辟易している。『ネットで10分、あっと言う間に資格の出来上がり~♪』って風潮にはついていけない。無論、ネット検定でもかまわないが、難なく合格するものが多すぎる。そして、その数を競って何になる?

私の愛する資格とは、生涯学習における『目標』であり、知識の到達度を測る『結果』なのである。そして、知識が到達した場合、『合格証書』が与えられ、それが社会的に『評価基準』となり、社内FAや転職等において『エビデンス(能力の到達状況の証明)』、自分がやりたい仕事を獲得することで『自己実現』へと導くものなのである。

本来なら、ちゃんとした基準を作って、その中で、資格の保有数などを競うというのなら、モチベーションも湧くだろうし、少なくとも、何のために存在しているのか理解に苦しむ「××検定」は除外され、何らかの生涯学習に貢献するものと考えられる。

で、当面、基準がないので、以前、文部科学省の生涯学習分科会で出された、「資格について」の別紙1、2、3、4で数えてみてはどうだろうか?

私の場合、保有資格231個のうち、123個が該当。おちゃらけた資格ばかり取得しているようで、実は、文部科学省生涯学習分科会的に見れば、生涯学習に立脚した資格をコツコツ取得してきたといえる。

123個を軽くオーバーするって超人がいれば、再び、資格戦線に復帰する意欲も出てくるかもしれないが、数を稼げる別紙4のビジネス・キャリア制度を押さえているのが私なので、きっと、私が日本一なんだろうな・・・


※「資格日本一」といった我欲を捨て去ろうと思っていたのですが、やはり、日本を代表する資格王の3氏が集うと知り、煩悩を抑え切れなかった弱い自分が情けない・・・あれだけ、「数にこだわるな」といい続けてきたのに・・・
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新年、明けましておめでとうございます。

2012年01月01日 04時44分46秒 | その他
2012年元旦、新年、明けましておめでとうございます。

やっぱり、除夜の鐘を聴く前に、グーグーと、深い眠りに陥ってしまいました・・・

さて、昨年は震災もあり、おめでとうということすら、はばかられる風潮がなきにしもあらず。年賀状も控えめなものがセレクトされるとのこと。

そういうことを考えると、思い出すのが一休宗純の次の句。

門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし

新年、めでたくもあり、めでたくもなし。そう、日々、人は確実に死に向かって歩んでいる。100年も経てば、先に逝った人とも、この現世に残っている人とも、あの世で再会できる。言い方は悪いが、「何故か、今、この瞬間を生かされているに過ぎない」のである。

私自身、来年、まだ生きているかは不明である。胃にできたポリープがガンかもしれない。あるいは、不慮の事故や災害に遭遇するかもしれない。確率的には、当然、何%かの死に対する可能性を包含しているのが人間であり、すべての生きとし生けるもののサダメでもある。

地球の歴史を考えると、我々人間は、本当に「刹那」を生きる存在にしか過ぎない。生ま出でて死ぬまで、長いようで、ほんの一瞬なのである。ただ、そんな一瞬にしか過ぎない人間の命であるが、確実に、リレーのバトンを協働して繋いできたから、人類の歴史が存在している。

だから、「すべての人々が尊く、すべての人々が儚い」といえるのかもしれない。

短くも長い人生であるが、個々に長短はあるものの、すべての人に、この「瞬間」という時間は、平等に与えれている。私にも、あなたにも。無論、色々と「制約」があったり、「使用制限」があったりして、完全に平等とは言えないかもしれないのだが、建前上は、「時間」というものは平等であるといえる。

過去から遡れば「儚い時間」も、自分の人生からすると、意外と「長い時間」ということとなる。しかし、確実に、タイムリミットは廻ってくる。

ならば、やはり、私としては正月をめでたく思い、されど、その思いにうかれることなく、自分の信念に基づいて、人生を消費していきたい。人生と言う燃料タンクがエンプティになるまで、ブザマに、泥臭く、そして、しぶとく、生き抜きたい。

年頭のことばとしては、かなり、重いものとなってしまったが、それこそ、「めだたくもあり、めでたくもなし」である。めでたいこの瞬間に、うかれ続けることなく、めでたくもない人生の終わりについて考えてみる。でも、そういうことが考えられるだけでも、幸せといえるのではないだろうか。
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