その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

新国立オペラ、素晴らしいシーズンスタート! ベッリーニ「夢遊病の女」

2024-10-15 07:24:37 | 演奏会・オペラ・バレエ・演劇(2012.8~)

新国立オペラのシーズン開幕公演の最終日に鑑賞。Xのポストは絶賛ポストが溢れてたし、私自身、舞台付きオペラは今年の5月以来でうきうき気分。

評判通りの素晴らしい公演だった。歌手陣、合唱、オケ、演出がハイレベルに統合され、ベルカントオペラの醍醐味を味わった。

アリーナ役のクラウディア・ムスキオは透明感あって、繊細な歌声。容姿の美しさもあって、まさにはまり役であった。舞台映えする歌手で、これからが楽しみだ。エルヴィーノのアントニーノ・シラグーザは伸びやかで聴き惚れるテノール。この人、1964年生まれというから今年還暦なのだが、とてもそうは見えない外見と若々しい歌声。この二人がしっかりとした軸になっていたので、舞台の安定感が抜群だった。

脇を固める日本人歌手陣もすばらしい。外国人歌手陣に引けを取らず、ロドルフォ伯爵役の妻屋秀和、リーザ役の伊藤晴、テレーザ役の谷口睦美らが、夫々の演技と歌の両面で舞台を盛り上げた。

いつもながらであるが、新国合唱団にる村人たちの合唱も美しい。これは演出の意図だと思うが、村人たちは終始無表情である。その無表情さを保ちながら美しい合唱が繰り出されるのは、却って不気味で、「個」の無い群衆を印象付けた。

ベニーニ指揮の東フィルの音楽も優しく抒情的で胸を打つ。オケが前面に出る機会はあまり無いが、歌唱と一体化した演奏はしっかりと全体を支え、さすが東フィルと唸らせる。現場の名匠のベニーニの手腕あっての今回のハイレベル公演と思う。

演出は所々、私には解釈不能なところもあったが、過度に主張しすぎることなく、出演者を支え、舞台効果を高めていた。ダンサーたちが、アミ―ナに絡んでいくのは、その意図は良く分からなかった(アミ―ナの深層意識を表現していたのだろうか?)が、ステージにダイナミックな活力を与えていたし、(4階席からなので奥は見切れているのだが)照明効果も美しかった。謎だったのは、第1幕で舞台中央に立つ高いもみの木のてっぺんに二体の男女の人形(血が出ているように見えた)がつるしてあったのだが、あれは何だったのだろう。リンチに遭った人体のようで気になった。

最終公演とあってか、カーテンコールでは舞台、観客席ともに熱い興奮で一杯だった。ムスキオ、シラグーザの二人も全公演を歌い切った充実感が溢れていた。観客も熱狂的なブラボー、ブラビー、拍手で、ここまでの熱い反応は、新国オペラではあまり記憶無いぐらい。私も手が痛くなるほど拍手を送った。シーズン開幕公演として大成功と言えよう。来月は長尺のウイリアムテルである。こちらも楽しみだ。

 

ヴィンチェンツォ・ベッリーニ
夢遊病の女<新制作>
La Sonnambula / Vincenzo Bellini

全2幕〈イタリア語上演/日本語及び英語字幕付〉
公演期間:2024年10月3日[木]~10月14日[月・祝]
予定上演時間:約3時間(第1幕85分 休憩30分 第2幕65分)

スタッフ
【指 揮】マウリツィオ・ベニーニ
【演 出】バルバラ・リュック
【美 術】クリストフ・ヘッツァー
【衣 裳】クララ・ペルッフォ
【照 明】ウルス・シェーネバウム
【振 付】イラッツェ・アンサ、イガール・バコヴィッチ
【演出補】アンナ・ポンセ
【舞台監督】髙橋尚史

キャスト
【ロドルフォ伯爵】妻屋秀和
【テレーザ】谷口睦美
【アミーナ】クラウディア・ムスキオ
【エルヴィーノ】アントニーノ・シラグーザ
【リーザ】伊藤 晴
【アレッシオ】近藤 圭
【公証人】渡辺正親

【合 唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

共同制作:テアトロ・レアル、リセウ大劇場、パレルモ・マッシモ劇場

Co-production with Teatro Real of Madrid, Gran Teatre del Liceu, Teatro Massimo di Palermo

OPERA La Sonnambula
2024/2025 SEASONNew Production

Presented by New National Theatre Foundation, Japan Arts Council, Agency for Cultural Affairs, Government of Japan

Music by Vincenzo Bellini
Opera in 2 Acts
Sung in Italian with English and Japanese surtitles
OPERA PALACE

3 Oct - 14 Oct, 2024

CREATIVE TEAM
Conductor: Maurizio BENINI
Production: Bárbara LLUCH
Set Design: Christof HETZER
Costume Design: Clara PELUFFO
Lighting Design: Urs SCHÖNEBAUM
Choreographer: Iratxe ANSA, Igor BACOVICH
Associate Director: Anna PONCES

CAST
Il conte Rodolfo: TSUMAYA Hidekazu
Teresa: TANIGUCHI Mutsumi
Amina: Claudia MUSCHIO
Elvino: Antonino SIRAGUSA
Lisa: ITO Hare
Alessio: KONDO Kei
Un notaro: WATANABE Masachika

Chorus: New National Theatre Chorus
Orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra

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97歳ブロムシュテッド、極東の地に降臨 @サントリーホール

2024-10-13 07:30:35 | 演奏会・オペラ・バレエ・演劇(2012.8~)

ブロムシュテッドさん(以下、敬意を持って翁)が、郷古コンマスに支えられながら、団員と一緒にステージに現れる。指揮台に据え置かれた椅子に座るまで、どこかで滑りはしないか、固唾を飲んで見守られながら、椅子に座る。もう十分に名声を馳せた97歳になった翁が、10時間以上のフライトを経て、この極東の地を踏み、1月近くも滞在して6回もの演奏会を指揮する。このモチベーションはどこから湧いてくるのか。使命感なのか。そんな思いはどうでも良くて、ただただ、翁への感謝の気持ちあるのみ。そんな聴衆の思いは、歓迎の大拍手に明確に現れていた。

それからは、夢のような1時間40分だったのだが、とりわけ印象的だったのは後半のベルワルドの交響曲第4番。皆が見守る中、椅子に就いた翁が創り出す音楽は、瑞々しく、清明で、若々しい。P席から見る翁の表情は実に活き活きと、エネルギーに満ち溢れている。全く初めて聴く楽曲だが、ベートーヴェンの交響曲4番や8番のような小気味よい明るさを感じ、初めてとは思えないぐらい体にすんなりと浸み込んできた。

N響も力みなく、自発性を感じる演奏で、ポジティブな「気」がステージ上に舞い上がっていた。弦管打楽器の各プレイヤーが前のめりで、この瞬間をとっても大切なものとして感じているのも伝わってくる。濁りなく推進力を感じる演奏は、青天を衝くという表現が相応しい気がした。

前半も良かった。シベリウスの「ツゥオネラの白鳥」での池田さんのイングリッシュ・ホルンの独奏を聴くのは何年ぶりだろう(確か前回、N響が「四つの伝説」を演奏した際は、独奏は池田さんでは無かった覚えがある)。この日も、柔らかく、ふくよかで、抒情的な音色が耳に残る。

ニルセンのクラリネット協奏曲は伊藤圭さんの技巧が光った。正直、初めて聴く楽曲で、ついて行ったとはとても言えなかったのだが、目まぐるしく変化する音楽を伊藤さんはN響メンバーと息を合わせながら、吹き切った。

アンコールはN響のホルン今井さんとファゴット水谷さんも加わって、ニルセンの木管五重奏曲第2楽章から抜粋(フルート、オーボエ無し)。アットホームな雰囲気がなんとも魅力的であった。

来週はA定期でブラームス、再来週はC定期でシューベルト。まだまだ10月ブロムシュテッド祭りは続く。何卒、健康管理留意頂き、元気に残り四公演を完投頂きたいと、切に願う。

 

定期公演 2024-2025シーズンBプログラム
第2019回 定期公演 Bプログラム
2024年10月11日(金) 開演 7:00pm [ 開場 6:20pm ]

サントリーホール

シベリウス/交響詩「4つの伝説」作品22─「トゥオネラの白鳥」
ニルセン/クラリネット協奏曲 作品57
ベルワルド/交響曲 第4番 変ホ長調「ナイーヴ」

指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット
クラリネット:伊藤 圭(N響首席クラリネット奏者)

Subscription Concerts 2024-2025Program B
No. 2019 Subscription (Program B)
Friday, October 11, 2024 7:00pm [ Doors Open 6:20pm ]
Suntory Hall

Program
Sibelius / 4 Legends, sym. poem―The Swan of Tuonela
Nielsen / Clarinet Concerto Op. 57
Berwald / Symphony No. 4 E-flat Major, Sinfonie naïve

Artists
Conductor: Herbert Blomstedt
Clarinet: Kei Ito (Principal Clarinet, NHKSO)

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土井善晴『一汁一菜でよいという提案』(新潮文庫、2021)

2024-10-11 07:30:39 | 

自主読書会の課題図書として読んだ。「一汁一菜」をキーワードに、日本人の食事、生活についての筆者の思いが打ち込まれた一冊。

「栄養的に一汁一菜で本当に大丈夫?」「復古主義的過ぎないか?」と感じるところもあったが、食事の意味合いや重要性について、私自身、日常であまり意識していないことが、分かりやすく言語化されていた。改めて食について見直す機会になり、気づきの多い書である。

文化・伝統・自然としての食事の意味、「ハレ」と「ケ」の区別、家庭料理の重要性、家庭料理・チェーン店・料理店(レストラン)の機能の違い、箸・茶碗・お膳なので食器類の重要性などなど、子供の時からの今に至るまでの今までの食にまつわる自分史についても振返ることができる。

「一汁一菜」という表面的なアウトプットに目を奪われるのではなくて、その考え方・思想について理解し、日常に取り入れるところまで実践したい。一方で、時間の余裕無し・誘惑多しの現代社会においては、実践にはそれなりの意思が必要だろう。まずは、これまでの人生で単身赴任期間を除いて殆ど料理をしてこなかった自らの行動改革から始めるとするか。

 

(自分のための引用メモ)
・人間は食事によって生き、自然や社会、他の人々とつながってきたのです。食事はすべての始まり。生きることと料理する事はセットです。(p15)

 ・一汁一菜とは、ただの「和食献立のススメ」ではありません。一汁一菜と言う「システム」であり、「思想」であり、日本人としての「生き方」だと思います。(p16)

・人間の能力の1つ発達してきたものが、それぞれの風土の中で民族の知恵となりました。ですから、食材に触れて料理すると、意識せずともその背景にある自然と直線的につながっていることになるのです。(p21)

・私たちがものを食べる理由は、おいしいばかりが目的ではないことがわかります。情報的なおいしさと、普遍的なおいしさとは区別するべきものです。(p26)

・家庭料理を失った食文化は、薄っぺらいものです。家庭料理は人間の力です。(p31)

・日本には、「ハレ」と「ケ」と言う概念があります。ハレは特別な状態、祭り事。ケは日常です。日常の家庭料理は、いわば家の食事なのです。手をかけないで良い。そのケの料理に対して、ハレ晴れにはハレの料理があります。両者の違いは「人間のために作る料理」と「神様のために作る料理」と言う区別です。 (p32)

・人間にとって人生の大切な時期に手作りの良い食事と関わることが重要です。新しい家庭を築く始まりに、また、子供が大人になるまでの間の食事が特に大切だと思います。そして、自分自身を大切にしたいと思うなら、丁寧に生きることです。(p.45)

・料理することのない人生は、岡潔が「生存競争とは無明でしかない」とすることにも重なるのかもしれません。無明とは、仏教で言うと、人間の醜悪にして恐ろしい一面です。(p.46)

・家庭料理に関わる約束とは何でしょうか。食べることと生きることとのつながりを知り、一人一人が心の暖かさと感受性を持つもの。それは、人を幸せにする力と、自ら幸せになる力を育むものです。持続可能な家庭料理を目指した一汁一菜で良いと言う提案のその先にあるものは、秩序を取り戻した暮らしです。一人ひとりの生活に、家族としての意味を取り戻し、世代を超えて伝えるべき暮らしの形を作るのです。そしてまた、一汁一菜は、日本人を知り、和食を知るものでもあるのです。(p96)

・人間の暮らしで一番大切な事は、一生懸命生活することです。料理の上手、下手、器用、不器用、要領の良さでも悪さでもないと思います。一生懸命した事は1番純粋なことです。そして純粋である事は最も美しく、尊いことです。それは必ず子供たちの心に強く残るものだと信じています。(p.99)

・お料理と人間との間に、箸を揃えて、横に置くのは、自然と人間、お天道様から生まれた恵みと、人間との間に境を引いているのです。私たちは「いただきます」という言葉で結界を解いて、食事を始めるのだと考えられます。(p.139)

・よそ行きのものよりも、毎日使うものを優先して、大事にしてください。人間は道具に美しく磨かれることがあるのです。家族それぞれ、自分に自分のお茶碗や湯のみ、お箸と決められたものを「属人器」といいますが、日本を含む東アジアの一部だけのことらしいです。それによって、自分だけが使うものに強い愛着、心(愛情)を持つのです。 (p.170)

・お膳を勧めるのは、お膳の縁が、場の内側と外側を区別して、結界となるからです。(p178)

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映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』(監督・脚本:アレックス・ガーランド)

2024-10-09 07:30:53 | 映画

久しぶりに映画館で映画鑑賞。アメリカ内戦を描いたということで、公開前から話題に上ってたので、気になっていた。

米国内で起こった内戦の取材で、前線に入って取材しようとするフォト・ジャーナリスト達を描く。

う~ん、私的には消化不良。分断のアメリカを描く社会派映画かと勝手に想像していたら、戦争アクションのようでもあり、ロードムービーのようでもあり、どっちつかずで中途半端な印象。宣伝では、意味不明だが「ディストピア・アクション」映画。

長い戦闘シーンや人が簡単に殺されていくのも、緊張を強いられ、観ていてつらかった。世界では、国家間、内戦問わず、これに近いことが行われていると思うと胸も痛む。

映画の作りはつらかったが、俳優陣は主演のキルステン・ダンストを始め好演。映像もスケール感、臨場感が素晴らしく映画ならでは映像体験ができる。

 

監督 アレックス・ガーランド
製作 アンドリュー・マクドナルド アロン・ライヒ グレゴリー・グッドマン
製作総指揮 ティモ・アルジランダー エリーサ・アルバレス

キャスト:
リー・スミス: キルステン・ダンスト
ジョエル: ワグネル・モウラ
ジェシー・カレン: ケイリー・スピーニー
サミー: スティーブン・マッキンリー・ヘンダーソン

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楽天モバイルパーク宮城に行ってイーグルスを応援して来た!

2024-10-06 08:18:53 | 日記 (2012.8~)

先日、仕事で仙台へ出張した折りに、立ち寄った東北営業所の仕事仲間から、楽天の応援に誘っていただいた。外野のボックス席を取っているのだが、1人分まだ余裕があるという。「行く、行く」と即答し、終業後、一緒に球場へ。

楽天モバイルパーク宮城を訪れるのは初めて。コンパクトな球場で、いろんなお店やイベントがある。レフトスタンド奥には観覧車まであって、まさにボールパークとしての楽しさが一杯。天候も暑すぎず、寒すぎずで、これ以上のナイター日和はないほど。


(1塁側内野席からの眺め。自席は外野席だが、スタンドを自由に動いて回れる)

ボックス席というか東京ドームとかにある年間予約席なのかと思ったら、まさに外野バックスクリーン横にテーブル付きのボックスが仕切られていて、6.7名のグループで楽しめるようになっている。テーブルと椅子が設置されているボックスもあれば、相撲の升席のようにただ人工芝が敷いてあるだけのボックスもある。そこなら、大人は寝転がって観戦できるし、小さな子供も放っておける。

我らが陣取ったテーブル・椅子付きのボックスからは、フィールド全体を俯瞰できるうえに、ピッチとの高低差もあまりなく、とっても見やすい。試合観ながら、宴会で、一粒で2度おいしいとはまさにこのことだ。

クライマックスシリーズ進出を左右する大事なゲームだったが、楽天は攻撃振るわず、途中で同点に追いついたものの、その後マリーンズに追加点を許し1-2の敗北に終わった。まあ、これだけ打てなきゃしょうがないね。

試合終わっても、ボックス席の宴会は続いて、そのまま反省会。私を除いた6名中5名はユニフォーム着用だから、ああでもない、こうでもないという戦評が続いた。選手と今シーズンの実情にも疎いので私には発言機会はないが、銭湯内のような野球談議は聞いているだけでも面白い。

帰りは仙台駅まで徒歩で。20分弱ぐらいかな。駅チカの飲み屋が集まった飲み屋フロアで2次会。散々、酔っぱらって、午前様前に解散となりました。応援スタイルも土地土地の楽しさがあるわ。

(付録)仙台飯紹介

ランチで食べたマーボー焼きそば。上げ麺の上に麻婆豆腐がかかっている。仙台のどっかの中華料理屋さんが賄料理として作ったのが、広まったらしい。麻婆豆腐は、辛さも痺れもしっかりした本格麻婆。それが、揚げ麺にしっかり馴染んでとっても美味しい。ただ、同僚によると、「店によっては全然美味しくないとこもあるから注意です」とのこと。

その麻婆焼きそばのおかげで、夜の球場宴会では殆ど食べず。ホテルに戻ってから、ちょっと小腹が空いたので、仙台と言えば、そばの神田。いつも盤石の美味しさです。

 

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KAAT神奈川芸術劇場プロデュース W.シェイクスピア『リア王の悲劇』(演出:藤田俊太郎)

2024-10-04 07:29:19 | 演奏会・オペラ・バレエ・演劇(2012.8~)

私には今年3つめの「リア王」の公演。今回は滅多に上演されないフォーリオ版(シェイクスピア自身が『リア王の物語』(クオート版)を改訂したもの)です。翻訳者の河合祥一郎氏によると「フォーリオ版はリア王の長女と次女たちの言い分もしっかり描いてあり、世代間価値観の相違という問題が浮き彫りになっている」(プログラム)とのことです。

木場勝己が演じるリアの圧倒的な存在感に痺れました。王の威厳が滲み出る気魄から段々と認知がおかしくなり狂人と化し、一人の弱き老人と変わっていく寂しさを演じ分けるのは見事。とても今年75歳には見えず、格好いい。

エドマンド役の章平の悪役ヒーロー振りも舞台映えしました。私生児としての逆境を跳ね返すため、肉親も陥れ、打算的に権力者の妻たちの気を引き、自らの立身のために利用する。これだけ徹底していれば、返って清々しいぐらいですが、そのヒール役に章平が綺麗に嵌っていました。

男性陣では、加えてグロスター伯爵の伊原剛志も強い印象が残りました。息子エドマンドに嵌められながらも、主人リアを想い、目をえぐられ、野で遭遇したエドガーを実の子と知らず、手を取られ導かれる姿は涙を誘います。

二人のリアの娘、ゴネリルとリーガンの水原希と森尾舞は凛とした王家の娘らしい演技でした。フォーリア版故か、意地悪さよりも論理的というか、言うことは言う強い女という印象です。コーディリアと道化の2役を演じた原田真絢は、道化役の活き活きとして柔軟な動きや美しい歌が良かった。

これは演出家の考えで、役者には何の責めは無いのですが、土井ケイトが演じるエドガーはエドマンドの姉という設定になっていたのは首を傾げました。女性が男性役をやるというのなら分かりますが、設定そのものを女性に変えてしまうというのは、その意図が良く分からず。いくら今がジェンダーレスの時代とは言っても、役の性別を変える狙いは何なのだろうか。土井ケイトのトムの演技がとっても良かっただけに、個人的にモヤモヤ感が張れなかったのは残念でした。

舞台は大きなステージを目一杯使い、装置も玉座や金属パイプで積み上げたジャングルジム風のグロスター家の屋敷など効果的。嵐のシーンでは強い霧雨を舞台上から降らせ劇的効果を高めていました。風の仕掛けがあればもっと良いのにとはちょっと思ったところはあります。

台詞も適度に削ってあるので、シェイクスピアの日本語劇で時々感じる言葉の洪水的な感じはせずに、自然なスピードと量の日本語劇になっていました。音楽も挿入されて、全般的にとっても今風に仕上がった舞台で、閉幕近づいていることもあってか、とっても完成度が高まっていると感じました。

今回は前列2列目正面のチケットを採れたのも良かった。全然迫力が違うわ~。カーテンコールで役者さん達と目が合う距離で拍手を送れるのも嬉しかった。

 

2024年10月2日 KAAT神奈川芸術劇場

【作】W.シェイクスピア 
【翻訳】河合祥一郎(『新訳 リア王の悲劇』(角川文庫))
【演出】藤田俊太郎  
 

【出演】

木場勝己 
水夏希 森尾舞 土井ケイト 石母田史朗 章平 原田真絢 
新川將人 二反田雅澄 塚本幸男 
伊原剛志

 

稲岡良純 入手杏奈 加茂智里 河野顕斗 宮川安利 柳本璃音 山口ルツコ 渡辺翔

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中村 計『落語の人、春風亭一之輔』(集英社新書、2024)

2024-10-02 07:24:03 | 

一之輔の落語は、ホールでの三人会や独演会で聴いていて、その毒舌や落語のリズムが醸し出す、斜に構えたり、緩かったり、締めるところは締めるメリハリといった独特の雰囲気にいつも取り込まれる。著者が一之輔や周辺の人々へのインタビューを通じて、一之輔の人や考えを炙りだそうとする一冊。

冒頭の「はじめに」で、サブタイトルで「長い言い訳」とした通り、今回の企画がいかに難しいものだったかが長々と記載されている。「はじめに」以降も筆者の苦労がにじみ出ている。捉えどころがなく、変化球の多い一之輔への取材をどうまとめて、読者に何を伝えるかが、相当もがいたのだろうと思わせる。

確かに、読んでいて、焦点がぼけているというか、核心に触れられないもどかしさは読んでいて感じるところではあった。ただ、段々とこの万華鏡的な、個々の要素はバラバラで、多様に変化はするのだが、総体としてバランス取れてまとまっている。これが、一之輔の生きざまであり落語道であり美学なんだという自分なりの納得感を得た。古典も大胆に改変する、寄席を大切にする、人情噺も泣かせないといったポリシーも彼なりの拘りなのだ。

落語初心者の私には、筆者の合間合間での解説や一之輔との会話を通じて、一之輔以外の落語界の知識も増えありがたかった。師匠と弟子の関係、寄席の「ビジネスモデル」(入場料の半分を寄席が取って、残りを出演者に比重分配)、鈴本演芸場と落語協会の関係、落語協会と芸術協会のカルチャーの違い、落語家から見た客席/客層、立川流などなど、「そうなんだ~」「なるほど~」のところも多々あった。

一之輔ファンであってもなくても、楽しめる一冊だ。

 

【目次】
はじめに ~長い言い訳~

一、ふてぶてしい人
前座時代の一之輔が放った衝撃のひと言/不機嫌そうに出てきて、不機嫌そうにしゃべる/「自分の言葉に飽きたらダメなんです」/挫折がなさ過ぎる

一、壊す人
YouTube著作権侵害事件/西の枝雀、東の一之輔/保守的な落語協会と、リベラルな落語芸術協会/「跡形もないな、おまえ」/師匠を「どうしちゃったの?」と驚かせた『初天神』/食わせてもらったネタ/たった一席の二十周年記念/逸脱が逸脱を生む「フリー落語」/一之輔の稽古は「うーん」しか言わない/同志、柳家喜多八

一、寄席の人
談志の弟子にならなかった理由/寄席への偏愛/寄席は落語家の最後の生息地/「捨て耳」という修行/劇っぽくなってきた落語

一、泣かせない人
人情噺に逃げるな/泣かせる側に落っこちてしまうことが怖い/泣く一メートル手前までいく人情噺/一朝は一之輔に嫉妬しないのか

おわりに ~頼むぞ、一之輔~

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N響、9月Cプロ、指揮 尾高忠明、チャイコフスキー・プログラム

2024-09-30 07:32:09 | 演奏会・オペラ・バレエ・演劇(2012.8~)

Bプロは都合で行けず友人にチケットを譲ったので、今シーズン2回目のN響定期。正指揮者の尾高さんによるチャイコフスキー・プログラムです。

前半の<ロココ風の主題による変奏曲>は、チェロ独奏辻本さんの響きにうっとり。美しい音色がホール一杯に響きます。オーケストラとの息もぴったりで、優美なことこの上なし。幸福感一杯に包まれ、音楽を楽しみました。

アンコールではチェロ隊4名も参加してカタルーニャ民謡〈鳥の歌〉。N響のチェロチームの想いも伝わる演奏でした。

後半の〈白鳥の湖〉は、バレエ公演を一度経験しただけなので、有名な〈情景〉の曲ぐらいしか馴染みが無いのですが、さすがチャイコフスキー、どの音楽も美しく、耳に残る旋律にうっとりとさせられます。

N響の演奏も素晴らしく、ヴィオリン、オーボエ、トランペットなどなどのソロとともにアンサンブルの美しさが格別。フィナーレの「情景・終曲」のスケール感一杯で重層的な演奏には胸が一杯。

この日は何といっても、尾高さんのN響の力を最大限に発揮させる指揮ぶりが最も印象的でした。まさに職人芸で、匠のなせる技。ルイージさんのようなぐいぐいと引っ張る熱とは違った、いぶし銀の渋さに唸らせられた演奏会でした。

 

定期公演 2024-2025シーズンCプログラム
第2018回 定期公演 Cプログラム
2024年9月28日(土) 開演 2:00pm [ 開場 1:00pm ]

NHKホール

チャイコフスキー/ロココ風の主題による変奏曲 作品33(フィッツェンハーゲン版)*
チャイコフスキー/バレエ音楽「白鳥の湖」作品20(抜粋)

指揮:尾高忠明
チェロ:辻󠄀本 玲(N響首席チェロ奏者)*

Subscription Concerts 2024-2025Program C
No. 2018 Subscription (Program C)
Saturday, September 28, 2024 2:00pm [ Doors Open 1:00pm ]

NHK Hall

Tchaikovsky / Variation on a Rococo Theme, Op. 33 (Edited by Fitzenhagen) *
Tchaikovsky / The Swan Lake, ballet Op. 20 (Excerpts)

Conductor: Tadaaki Otaka
Cello: Rei Tsujimoto (Principal Cello, NHKSO)*

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やっぱり素晴らしい! <ミュージカル ビリー・エリオット> @東京建物Brillia HALL

2024-09-27 07:30:13 | 演奏会・オペラ・バレエ・演劇(2012.8~)

大好きな「ミュージカル ビリー・エリオット」の日本語版の再演があり、足を運んだ。

(イングランド北部訛り英語の)日本語化の難しさ、政治・社会の理解のハードル、子役陣の育成などなど、この作品の日本語化は極めて難しいと思うのだが、今回で3回目となる日本語公演を実現させた関係者の努力に感謝したい。これは安定した固定ファンの支持もあってのことでもあると思う。

一方で、ロンドンでのロングランはずいぶん前に終了しているし、日本でも3度目ともなるとチケット販売に苦戦しているところはあるようだ。直前購入の割引DMが私のメールボックスにも入ってきていた。

私自身は、日本語公演の観劇は2017年に続いての2回目で、7年ぶりである。観客の8割以上が女性で、ブルックナーの演奏会の真逆を行く華やかな雰囲気。おじさんにはアウエー感満載だったが、「ビリー」にかけての熱意は負けないつもりなので、「ここはワイのホームだ」と自信をもって着席。

冒頭のダーラムの炭鉱ストライキの映像には、サッチャー政権の炭鉱国有化廃止の演説のフィルムが差し込まれていたり(これが無いと今やサッチャーも歴史的政治家だから理解されないだろう)、ロイヤルバレエスクールのオーディションのシーンで、ビリーが用意したカセットテープを回すシーンが無くなっていたりした変更には気づいたものの、基本的にはこれまでの版と同じで、懐かしさで一杯だった。(個人的な話で恐縮だが、このミュージカルは私がロンドン駐在時に一番繰り返して観た作品なので、ロンドン生活の思い出と重なっているのである。)

改めて、本当によくできたミュージカルであることを確認する。階級問題、ジェンダー問題、LGBT、中央・地方格差、地域の共同体意識、経済政策、世代間の価値観乖離、親子の愛、様々なテーマを作品の中に織り込み、ごっちゃ煮にしつつ、ビリーの成長物語として涙と笑い一杯に仕上げる。そして、それを彩るエルトン・ジョンの耳に残る名曲の数々。

今回の公演で言えば、ビリーの石黒瑛土君はもう少しワイルドさや舞台映えが欲しい感じはあったが、悩みもがく寂しがり屋の少年ビリーを堅実に演じた。親友マイケル役の豊本燦汰君ものびのび好演。ダンス陣、子役のバレエダンサーたちもグッド。子役たちの稽古は、ロンドンのロングラン時のような長期に渡って継続的に出演し続けるわけではないので、公演前に相当な準備が入ると思うが、ホント頑張っている。

大人組では、ウイルキンソン先生役の安蘭けいの存在感や動きが、「さすが元宝塚スター!」というオーラであった。鶴見慎吾はちょっと格好良すぎるお父さんだが、長男トニー役の西川大貴との確執は迫力満点で、夫々に感情移入してしまう。

細かいところを上げれば、ピケの迫力やスト破り(Scab)の位置づけ等、もっとこうして欲しいと思うところはあったものの、細かい点はこの作品の良さを考えれば全く気にならない。久しぶりにこのミュージカルの生演を鑑賞できたことを、心から感謝した。

個人的にイチ押しミュージカルなので、是非、一人でも多くの人に見て欲しい作品だ。東京公演は10月26日(土) まで。

 

 

[東京・オープニング公演]2024年7月27日(土)~8月1日(木)
[東京公演]2024年8月2日(金)~10月26日(土)
[東京]東京建物Brillia HALL(豊島区立芸術文化劇場)


キャスト

ビリー・エリオット:石黒瑛土
お父さん:鶴見辰吾
ウィルキンソン先生:安蘭けい
おばあちゃん:阿知波悟美
トニー(兄):西川大貴
ジョージ:芋洗坂係長
オールダー・ビリー:厚地康雄
ブレイスウェイト:森山大輔
死んだお母さん:大月さゆ

加賀谷真聡、黒沼亮、後藤裕磨、齋藤桐人、聖司朗、辰巳智秋、照井裕隆、春口凌芽、丸山泰右、森内翔大、小島亜莉沙、咲良、竹内晶美、森田万貴、石田優月、白木彩可、新里藍那

マイケル:豊本燦汰
デビー:内藤菫子
トールボーイ:猪股怜生
スモールボーイ:張浩一
バレエガールズ:石澤桜來、鈴木結里愛、松本望海、南夢依、宮野陽光

スタッフ

ロンドンオリジナル・クリエイティブスタッフ
脚本・歌詞:リー・ホール
演出:スティーヴン・ダルドリー
音楽:エルトン・ジョン
【振付】ピーター・ダーリング
【美術】イアン・マックニール
【演出補】ジュリアン・ウェバー
【衣裳】ニッキー・ジリブランド
【照明】リック・フィッシャー
【音響】ポール・アルディッティ
【オーケストレーション】マーティン・コック

日本公演スタッフ
【翻訳】常田景子
【訳詞】高橋亜子
【振付補】前田清実・藤山すみれ
(ドラスティックダンス"O")
【音楽監督補】鎭守めぐみ
【照明補】大島祐夫・渡邉雄太
【音響補】山本浩ー
【衣裳補】阿部朱美
【ヘアメイク補】柴崎尚子
【擬闘】栗原直樹
【演出助手】伴眞里子・坪井彰宏・加藤由紀子
【舞台監督】松下城支
【技術監督】清水重光
【プロダクション・マネージャー】金井勇一郎

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今回も記憶に残る名演! チョン・ミョンフン/東フィル、ヴェルディ〈マクベス〉

2024-09-23 07:30:10 | 演奏会・オペラ・バレエ・演劇(2012.8~)

去年7月の記憶に残る〈オテロ〉からはや1年。今年のチョン・ミョンフン✕東フィルによるヴェルディのシェイクスピア・オペラは〈マクベス〉。このシリーズの最終回ということだ。〈マクベス〉は演劇の方はそれなりの数を観ているが、オペラは10年以上ぶりで、この日が待ち遠しくてしょうがなかった。

期待通りの素晴らしい公演だった。マエストロの指揮の元、独唱陣、合唱、オケが三位一体となって非の打ち所無いハイレベルなパフォーマンス。

冒頭の序曲から、東フィルの集中力溢れる演奏に痺れた。そして、全幕を通して刃の上を渡るような緊迫感と攻めの演奏が続く。弦・管・打各楽器がまとまりスコットランドの嵐のような圧を感じた。

外国人歌手を中心とした独唱陣も底力を見せつけた。題名役のセバスティアン・カターナとバンクォー役のアルベルト・ペーゼンドルファーは迫力の低音。マクベス夫人役のヴィットリア・イェオのソプラノも張りがあって美しい。夫を叱咤激励する強い妻であった。久しぶりのマクベスだったので、夫人に多くのアリアが与えられているのは新鮮だった。そして、マクダフ役のステファノ・セッコのテノールも高らかに響く。

更に、個人的に最も受けたのは、新国合唱団の合唱。合唱の美しさもさることながら、特に魔女たちの演技には大拍手。第3幕の舞台上での表情、動作のいかれ方がまさに魔女たちで、舞台装置なくとも魔界に引き込まれた気分であった。演奏会方式でここまでの迫真の演技があると、正直、舞台セットは無くても構わないと思ってしまうほどだ。

合唱指揮の冨平さんのポストによると、この場面、魔女たちをステージ最前線に配置して、演技まで入れたのは、練習の際にチョンさんから出た提案だという。劇的な効果を高めたこの演出に見事に応えた新国合唱団、さすが。

合唱団だけでなく、独唱陣にもしっかり演技が入る。また、照明も場面で変化し、舞台を盛り上げた。演奏会方式として、これ以上はあるまいと断言できるほどの、ステージが展開された。

終演後は、割れんばかりの大拍手と歓声に包まれた。3回の公演の最後ということもあってか、チョンさんを初め独唱歌手陣、合唱陣、オケの皆さん、大きな仕事を終えた安心感と充足感が表情に現れていた印象を受けた。私自身も、大きな満足感一杯で拍手を送り、帰路についた。

 

2024年9月19日(木)19:00
東京オペラシティ コンサートホール

第164回東京オペラシティ定期シリーズ 

指揮:チョン・ミョンフン(名誉音楽監督)
マクベス(バリトン):セバスティアン・カターナ
マクベス夫人(ソプラノ):ヴィットリア・イェオ
バンクォー(バス):アルベルト・ペーゼンドルファー
マクダフ(テノール):ステファノ・セッコ
マルコム(テノール):小原啓楼
侍女(メゾ・ソプラノ):但馬由香
医者(バス):伊藤貴之
マクベスの従者、刺客、伝令(バリトン):市川宥一郎
第一の幻影(バリトン):山本竜介
第二の幻影(ソプラノ):北原瑠美
第三の幻影(ソプラノ):吉田桃子

合唱:新国立劇場合唱団(合唱指揮:冨平恭平)

ヴェルディ/歌劇『マクベス』
全4幕・日本語字幕付き原語(イタリア語)上演
公演時間:約2時間45分(休憩含む)

September 19, 2024, Thu
19:00
Tokyo Opera City (Concert Hall)

The 164th Subscription Concert in Tokyo Opera City Concert Hall
Conductor: Myung-Whun Chung (Honorary Music Director)
Macbeth: Sebastian Catana
Lady Macbeth: Vittoria Yeo
Banquo: Albert Pesendorfer
Macduff, thane of Fife: Stefano Secco
Malcolm, Duncan's son: Keiroh Ohara
Lady-in-waiting to Lady Macbeth: Yuka Tajima
A Doctor: Takayuki Ito
Servant of Macbeth/Murderer/Herald: Yuichiro Ichikawa
Apparition 1: Ryusuke Yamamoto
Apparition 2: Rumi Kitahara
Apparition 3: Momoko Yoshida

Chorus: New National Theatre Chorus (Chorusmaster: Kyohei Tomihira)

Verdi: Opera "Macbeth" in concert style

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