![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/ef/ec95e58dfd7429b505c972c88cb0fdd3.jpg)
さてさて、六甲に保存されていた車両たちはホジ3以外にも多数あります。
そして、頸城鉄道の廃線後、西武鉄道のユネスコ村で一時期走っていたあと
また頸城に戻り大切に保存されていた2号蒸気。
これらの奇跡の大集合で、軽便博物館と呼べるほど充実した車両たちが
百間町の車庫に21世紀に集まっているのですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/fd/3c3fa2b83879346a457f840f7c243f61.jpg)
まずは、今回はまだ無火ではあったものの
その状態の良さから復活も検討されているという2号蒸気(SL)。
1914(大正3)年の頸城鉄道開業時に用意されたSLが自重5t機で小さく、
翌1915年にすぐに導入されたという歴史を持つ9t機です。
頸城へ来る前は、なんと国鉄の大井工場の敷地を造成するのに使われていたらしい。
製造はドイツのコッペルで、製造は1911(明治44)年...あと2年で100歳ですな!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/2b/854fd9e0877ea561c27251daa4264a2d.jpg)
美しく輝くコッペルの銘板!
で、次は「まさかの復活」で動態保存化されたディーゼル機関車(DL)のDC92。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/88/801afb41d6daaad9f9eed22acb7e962a.jpg)
DC92の形式数字は、
D=ディーゼル、C=車軸の数(Cは3本をあらわす)、9=自重9t、
2=この前に導入されたDL、DB81に次ぐ2号機を意味します。
1954(昭和29)年協三工業製。協三は産業用機関車などでは有名なメーカーで、
あのディズニーランドのSLもここで新製されたものだったりします。
名義上は1号SLの改造、とのことなのですが車軸以外はほぼ新造です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/a0/cbe060fef97b35b0f3554a2cdba242b6.jpg)
検査表記が廃車直前のままなのが泣けます(ToT
復活に当たってはエンジンが再生されたのか、尾小屋のDC121のように載せ換えたのかが
非常に気になりますが、情報が得られていません...。
続いて、ハ6です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/d3/689a35587911f1691be346b5d8713cc9.jpg)
頸城には開業当時にホハ1~5、ホトク1(前述の通りホジ3に改造された)と6両のボギー客車が用意されましたが、
残念ながらホトク1→ホジ3以外は残存していません。
ただし、客車はこれ以外にも2軸客車が何両か在籍していました。
そのうち六甲には2両の2軸客車が保存されていましたが、現在も姿を見ることが出来るのはハ6だけのようです。
もう1両の客車ニフ1は、六甲ですでに朽ち果てていて台枠だけになっており、
頸城に里帰りしているはずなのですが今回姿を確認できなかったです。
さすがに捨ててしまったのか、それともどこかで直しているのか、気になりますね。現役時代は稼働の多い車両だったようで、ぜひ復活を期待したいです。
ハ6は戦後の1949(昭和24)年に購入した旧魚沼鉄道の客車で、さらに元をたどると青梅鉄道で作られたものだそうです。
製造年はわかっていないそうですが、ダブルルーフのオープンデッキ2軸客車の姿は
明治大正期の客車の姿を良く残していて好ましいです(^^;
実際には多客期以外はさして使われていなかったようで、
稼働している写真を見たことがあまりありません。
あとは貨車が3両...いいですよねえ。保存車といえば華のある機関車、動力車が残るのが普通なのに、
ナローゲージの小さい小さい貨車が生き残っているなんて、ほんと嬉しいです。
こういう「あたりまえのふつうのものが残っている」ことにieは萌えるんですよねえ。
ワ7。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/ac/0bc7bbac0281b2268471f335823fb2cb.jpg)
中にはホジ3のドライブシャフトらしいものが転がってましたw
1914年開業時に用意された木造有蓋車、ワ1~11の中の1両です。
ワ7はワ10とともに、木の板を鉄板張りに変えた車両でした。
積載量は5t。こんなに小さくても5tも積めるんですね。
動かせるような状態ではないのか、車庫に置かれたままで、動態運転はされませんでした。
ワ14。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/c4/b26bd7017a0298fa177fe59c5593a33d.jpg)
ハ6同様、旧魚沼鉄道から来たそうです。積載量は4t。
木の板ボロボロでしたが、木なので張り替えれば直るのではないかなあと素人ながらに考えました。
いつか先の復活運転の際には、ぜひ客車にくっつけてほしいですね。
ト。ト1~6のうちのどれか。無番だったのでどれかわかりません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/41/377ccbd4862994afe1289af222a6bb3d.jpg)
何にせよナローの客車や貨車が残っていることことはとっても貴重!
動力車もいいが被牽引側にも弱いieにはたまらない車両たちでした。
このあと、まだまだ百間町ではイベントがあったのですが、
遠方ゆえ帰路につかねばなりません。
パークアヴェニューを運転させていただいたゐぬの師匠にもお礼を述べて、
後ろ髪ひかれる思いで会場を後にしました。
そして廃線跡をたどりつつ、いまでも浦川原駅舎が残るバスターミナルへ行き
直江津に戻って寿司を食べて帰路へ。
夢のような1日でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/11/2dff02be530cc6c89847df141e43274f.jpg)
百間町~明治村間に残る築堤。
目を閉じればまぶたの裏に頸城の車両たちが駆け抜けていきます...。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/43/071e0b4bdc98092f145cbce33addada6.jpg)
今でも残る旧浦川原駅。頸城鉄道はいま高架になっている後ろのほくほく線の真下を通っていたとの事。
>>百間町を離れる際に撮ったC5さんと車庫、頚城の車両たちとの並びという
感動のショットです(汗
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/7e/ecfcfef56f45bad11e3d43e887517404.jpg)
いかにナローの車両が小さいかわかりますよね
>>頸城鉄道の復活はまだまだ夢があるようで、大池いこいの森付近で
もっと長い距離で復活運転を考えているらしい!
そのときはぜひホジ3を復活させてほしい...
そしたら通ってしまうかもしれません!
>>ちなみにこの日デジイチの充電池自体がカメラに入っていないというミス(号泣
をしてしまったのですが、
先般買ったソニエリのサイバーショット携帯(au S001)の性能を信じてそれで撮影。
今回の頸城のブログ記事写真は全部ケータイカメラの画像です。
なんとかなるもんですねえ(^^;