Retrospective...

イラストレーター/ライター遠藤イヅルの困った嗜好をばらす場所

【プジョーな話】トラクシオンの陰に隠れる一方の雄、プジョー402まつり。

2011-03-31 | プジョーな話。


アニメの名探偵ホームズが乗っていたような、馬車にタイヤがついたようなクルマではなく、
なんとか現代でも乗れるんじゃないか、というクルマが出始めた1930年代以降、
戦前のフランス車ではトラクシオン・アヴァンがあまりにも有名で、逆に言えば、
ライバルだったプジョーや、ルノーがどんなクルマを作っていたのか、
むしろあまり知られていないように思います。


今日の「まつり」は、一部の方に熱狂的に支持をいただいた2週連続のタルボからいったん脱出し
(汗→でもいったんってことはまだ続くンかw)、
そんな戦前、1930年代のプジョーの1台...アールヌーボ的であり、アールデコ的でもある、
フランス以外からは出得ぬサルーン、「プジョー402」をお送りします。



きゃーすごい寄り目!



え、今度は急に古すぎだって?(汗


メーカーの発足から、402の登場までをおさらいすると誌面があっというまに尽きるほど、
歴史のあるメーカー、プジョー。なにしろ創立は1890年!
元は自転車や歯車などの製造をしていた会社なので、
現在でも、自転車、ペッパーミル等の製品を生産しているのは有名な話です。


発足以来、同族経営、堅実な設計、それでいて実際は進歩的な技術を持っていたこのメーカーは、
戦前から前輪独立懸架、シンクロメッシュ付きのギア、そして自製のダンパーまで備え、
他のメーカーより一歩先んじていたのですが、ルノー、そしてシトロエンのライバル車たちも
追いついてきてしまいました。


とくに、シトロエンは1934年、なんと前輪駆動、モノコックボディを先駆採用した量産乗用車として
あまりにも有名な「トラクシオン・アヴァン」を登場させました。
それに対するプジョーの答えとも言えたのが、この402なのです。



いうまでもなくトラクシオン・アヴァン



現在にも通じる、プジョーの「X0X」という数字車名は、402が登場するのをさかのぼること6年前、
大衆向け大量生産車として登場した1Lクラスの「201」で、最初に採用されました。
その後プジョーは、201のひとつ上の1.5Lクラスをになう「301」、さらにその上、
1.7Lの「401」、そしてハイエンドモデルとして、2.2Lエンジンを積んだ「601」と、
次々と「01」シリーズを生み出して行きます。


そして次の「02」シリーズの最初を飾ったのが、この402。
シャーシ設計こそ401のものを低床化したもので、
トラクシオン・アヴァンとは異なり後輪駆動でしたが、
この車のエポックは、なんと言ってもその流線型のボディ・デザインでした。



402B リムジン



この頃流線型がとても流行しており、
日本でも蒸気機関車に流線型のカバーをつけたC55が、
まさにこの402と同じ頃に登場したりしています。
ですが、自動車(量産車)に流線型を取り入れて販売数を伸ばしたのはプジョー402が始めてでした
(流線型を取り入れたといえば、厳密に言えば、
その直前に出たクライスラー/デ・ソートのエアフローという
クルマ...商業的には失敗...があって、しかも402はこれに似てるんですが...)。



グリルの中のライトがよくわかる



スラント気味のグリルにはなんと中にヘッドランプが仕込まれ、
前後フェンダーの間にはステップもないという、当時では相当に大胆なデザインだったのです!


402には4ドア6ライトのリムジン、ロードスター、
クーペ・デカポタブル(コンバーチブル)、クーペ・トランスフォルマブル(格納式ハードトップ!)、
タクシー、コメルシアルなどなどの、数多くのバリエーションがありました。




いちばん標準的なモデルのリムジンでは、全長は4.85m、全幅1.65m、全高1.58mもある大きなクルマでした。
ホイールベースは3.15mのノルマルと、3.3mのLの2種類が用意され、
後者になると全長は5mを超えていました。



たぶんこれはリアドア以降の窓がちょっと長いのと
サードシートがあるので、リムジンの「L」だと思うんだが。




ちなみにこれもリムジンの「L」だ。
ファミリアールって名前ではなかったのかな?


まあトラクシオン・アヴァンのノルマルも、正直大きなクルマでしたが(^^
しかも、この「L」には、いかにもフランスらしい屋根の開くモデルが用意され、
まだまだ戦前の華やかなりしころの自動車文化の香りを漂わせていました。



その中でも白眉は、「トランスフォルマブル・エレクトリーク」です。
のちの206CCや207CCもびっくりな「電動格納式ルーフ」を持っていたんです!
格納ルーフで有名な1957年のフォード・スカイライナーよりも20年以上も前に!



派手にトランクが開くが剛性は平気なのかw



犬っぽい


実際には前述の601や401でもすでに採用されていたものではあるのですが、
この402がその集大成ともいえるものでしょう。



402のエンジンは1935年から1938年までは2Lでしたが、
1938年途中からマイナーチェンジを行い402Bに進化した際に、2.2Lとなりました。




ところで、プジョーは402の生産をしつつ、ひとまわり小さな1.8Lの「302」を1936年にリリースしています。
トラクシオン・アヴァンでいう「レジェール」に相当するモデルとも取れる302は、
外観こそぱっと見402とそっくりですけど、全長4.5m、ホイールベースも2.88mと、
402に比してだいぶコンパクト。


で、ややこしいのはここから。
1936年、この302に402の2Lエンジンを積んだ「302SS」が登場するのですが、
これが翌1937年、「402レジェール」として402シリーズに編入されるのでした。



402レジェール



402レジェール コーチW3
世界で初に近い、Bピラーのない設計。




さらにさらに、翌1938年には前述のとおり402は402Bになったのですが、その際この
402レジェールも402Bレジェールになり、エンジンも2.2Lになり、
その際、ベルリンの外観も大幅にモディファイされたのです。
窓を大きく、ピラーを細く、ボンネットも長めに見せるなど、
プジョーが「ベルリン・スポール」と呼ぶほどのスポーティなスタイルになりました。



402Bレジェール。


これも402Bレジェール。サンルーフもプジョーの伝統。



402B レジェール コーチ・デカポタブル グランリュクス。
302、402時代からある、5座のコンバーチブル。





しかし、この頃のクルマってのはほんとうに優雅ですね...。
402は、サイズの大きめなふつうの乗用車...
今で言う、407あたりのクルマなのですが、
リアフェンダーにはライオンをモチーフにした飾り、そしてさらには
グリルの上にはマスコットのライオン、402の車名の入れ方...何もかもが、
エレガントです(この車名の入れかたは、402の後期型でもある402Bのもの)。





なお、プジョーにも、ルノーのアルピーヌ的なチューナーがいたのですが、
それが「ダールマ」。
ダールマはこの優れた設計の402を用い、
402レジェールをベースにした「ダールマ・スポール(402DS)」を販売しただけでなく、
レーシングバージョンとしてルマンにも出場した「レーシング・スパイダー」も製作していました。


レーシング・スパイダー
丸い熱気抜き穴が魚っぽい(汗


さいごおまけ。
世界最悪クルマ大全という本で、「プジョーの...あの...なんだっけ
60いくつだっけ?」って言われちゃってた604との2ショット(涙







>>うう、402Bのでっかいリムジンか、402Bレジェールが欲しい。

>>ちなみに402の生産台数は約8万台、402レジェールは2万5千台だそうで、
生産年月が23年にも及び75万台を生産したトラクシオン・アヴァンと比べてしまうと、
だいぶ少なく感じてしまいますね。

>>トヨタ博物館にあるらしいんだよね402。ううむ、見に行きたい。


>>ちなみに402Bの後ろ姿はこんなの。







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【セダン蒐集癖】Vol.264 日本発の欧州車 最後のパルサー・N15型

2011-03-29 | セダン蒐集癖。
1週間休んでしまいました。日本の1億人のセダンファンのみなさんごめんなさい(汗





ということで、今日は日産の5代めパルサー・N15型でございます(後期型)。
いうまでもなく、最後のパルサーですね。

旧チェリーに端を発し、この最終モデルまで「欧風」を貫いたパルサー。
そういう意味では、きちんとしたキャラクターが作られていたクルマです。


むろん、欧州車かぶれのieも、どのパルサーも好きでして、
このコーナーでも、N13、N14と出ています。

なおこのパルサーから、欧州名が「サニー」からアルメーラになっています。


最後のパルサーも、すばらしいパッケージングを持っていたわけではないけど
日産らしい真面目な実用車で、外観もメッキパーツなどもなく、質素なイメージという
「パルサーらしさ」をちゃんと持っていましたね。
欧州車ほどの出来は無くても、「欧風車」としては十分なクルマだったと思います。



欧州版、後期型アルメーラ。グリルとモール付きバンパーがいい。
でもたしかに全体的に欧風だ。





これは前期モデル。同じくアルメーラ。





パルサーは歴々特長あるバリーエーションを持っていたけど、
この代も、いろいろあったなあ。
1.6Lで175psを出すNEO VVL:SR16VEを搭載した「VZ-R」とか、
オーバーライダーとルーフレール付けたなんちゃってRVの「S-RV」とか。

ちなみにこの代で買うなら、CD20ディーゼル積んだやつ(汗
って、もうこの代でもNox引っかかるのかな?





>>うーん、いつものことながら、このクルマが生産終わって10年かあ。
早いというか、クルマの進歩って言うのはなんなのか、また考えてしまうなあ。

>>ちなみに、このクルマの後継は、日本ではブルーバードシルフィ(G10型)。
初代シルフィの記事もご覧あれ。
でもそのボディを持った欧州など向け2台目アルメーラは、このパルサーの後継の番号を貰い、
N16を名乗っているのでした。ややこしいね。

>>さらには、そのシルフィのルノーサムスン版、SM3にいたっては「N17」型だったり。
で、このSM3、日産版でも「アルメーラクラシック」で販売され、
さらにはこのクルマ、仕向け地によって「アルメーラ」だったり「サニー」だったり。
ああー、ややこしやー(汗


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【プジョーな話】番外編(またかw) 拾った画像でタルボ・オリゾンまつり。

2011-03-24 | プジョーな話。


うーん、まずい傾向です(笑

この”まつり”シリーズなんですが、メジャーなPSA、ルノーを差し置いて、
まだまだまつらないといけない車種はいっぱいあるというのに、
二回連続でタルボに行ってしまいました(汗


ということで、本日は一部の方々の熱烈なコールにお答えして(いるのかなw)、
タルボ・オリゾンまつりでございます(号泣


タルボ・オリゾンは、クライスラー・ヨーロッパで開発された、
1974年に登場した初代ゴルフに真っ向から勝負を挑んだ世界戦略車でした。
同時に北米向けにはダッジ・オムニ、プリマス・ホライゾンが用意されているあたりにも、
その本気がうかがえるというものです。



でも、どこの国のクルマかわからんwシムカ・タルボ萌えな理由ですw




登場は1977年。開発は北米仕様も含めシムカ(タルボの前身)主導で行われ、
名称もフランスではシムカブランド(英国ではクライスラー)だったのですが、
クライスラーは1978年、欧州部門をPSAに売却したため、
1979年以降は「タルボット・ホライズン」(英)、
「タルボ・オリゾン」(仏)と呼ばれることになりました。



ゴルフっぽい 超意識してるのわかるね!



どこかで見たことのあるようなこのクルマ、そう、デザインは初代ゴルフの影響を
思い切り受けたものになっています。

メカニズム的にはシムカ1307/1308(これまたマイナーなクルマで、ぜひ紹介したいw)
を継いだ、オーソドクスともいえる横置き直4で前輪を駆動する方式を持ちますが、
ここからがオリゾンの面白いところで、
欧州仕様のエンジンは、オリゾンの前身であるシムカ1100と同じ直4 1118cc/1294cc
および1307/1308と共通の1442cc(いずれもOHV)だったのですが、
シムカ主導でクライスラーが開発し、米国生産が行われたダッジ・オムニおよびプリマス・ホライズンのエンジンは、
アメリカ製のゴルフ、フォルクスワーゲン・ラビットと同じエンジンでした。




ちなみにこれがシムカ1307/1308ね


これまた地味ーな車...萌えーw



さらに面白いのは、欧州版と北米版は外観がこんなに似ているというのに、
サスペンション形式も(欧州:トーションバー、北米:マクファーソン・ストラット)違うし、
前述の通りエンジンも違うし、車体パネルも実はまったく違う(笑)ので
互換性が無かったらしいのです。なんでだ(笑


クライスラーが当時傘下だったクライスラーヨーロッパのシムカに開発を導いてもらったのは、
まあ、ご想像どおりなのですが、
クライスラーには小型車、および小排気量エンジンを作るノウハウが少なかったためなのです。



で、このオリゾン。なのですが。

まずは欧州・フランス版(シムカ/タルボ・オリゾン=Simca/Talbot Horizon)。







これが欧州・英国版(クライスラー/タルボット・ホライズン=Chrysler/Talbot Horizon)。


すごい色だなあ



欧州版の内装。


やばいかっこいいぞ。PSAやルノーに見られないデザイン。ドキドキしてくる(変態)





なお、オリゾンはクライスラーヨーロッパがPSAに吸収されたあと、5速MTや
PSA各車に載せられて実績のあったプジョー製の1905ccディーゼルを追加するなど
バリエーションを拡充していったのですが、
プジョーはタルボブランドの廃止を決定、結果としてオリゾンは1985年に製造を中止されてしまいました。
なお、このクルマの後釜が、PSAグループ内的には、
プジョー309(タルボ・アリゾナとして設計された)なのですね。





で、いよいよこれが北米版。
ダッジ・オムニ/プリマス・ホライズン。

まあ見事なアメリカンテイストなんですけどもね(笑
なお、ダッジ・プリマスで初めてのFF車だったりします。


プリマス版。



これもプリマス版だな。




これはオムニか。しかしこの色遣い!カーデザインの学生時代に散々描いた色合いw


で、内装はごらんのとおり、イメージがまったく違う!色といい、ステアリング形状といい、
いかにもアメリカン!


ステアリングがアメ車だなあ!ダッシュボードは欧州版と基本、同じッぽい。



赤いビニールレザーとか、この内装すごすぎるよ...。




なお、クライスラーがシムカをPSAに売却した後も、これら北米版オリゾンは
欧州版よりも長く、1990年まで作られました。
クライスラーはこの小型FF車から得たノウハウを、のちのKカー、
そしてネオン(直接の後継者はこれになる)へとつないで行く事になります。
PSAにとっては価値のない車だったオリゾンなのですが、クライスラーにとっては
とても有益な車だったようです...。




.....で、実は....オムニといえば、これをベースにしたクーペ版、
オムニ024ってのがあるんですよ...(プリムス版はホライズンTC3という)。
いかにクライスラーが、この小型FF車のシャーシを活用していたかがわかります。





がーん
なんだこれー(涙




なんだか三菱のクルマっぽいんですが、実際、このクルマ、細々と日本に
なんと三菱から販売されていたらしい!
そういえばほかにもクライスラー318とか入れてたなあ三菱...
いろんな意味ですごいよ三菱...(汗







>>ちなみに、こんな地味なクルマなのですが、
当時では斬新なデザイン、フランス車らしい広い室内と快適な乗り心地や、
世界戦略車であるという意味を評価されて、
ホライズン/オリゾンは1979年のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを取っていたりするんですなあ。中身はしっかりしたいいクルマなのでしょうね。
そう、実際はかなり高い評価を得ていた車だったようなのです。


>>まあ...地味の極みであるあのルノー9(ヌフ)もこの賞貰ってるんですよね...。


>>やべえ、おらすっごくドキドキしてきたゾ(笑
「何に乗ってるんですか?」
「タルボ・オリゾンです」
「....え???」
って会話したーい!(爆


>>おまけ。
なんでも救急車にしなさんな(涙




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1984年、まだ外国車がガイシャだった時代のCGを見て、涙する。

2011-03-21 | くるま。
高校生くらいからCG(カーグラフィック誌)を購入しだして、
それからかなり買ってすべて所有していたのですが、
一昨年くらいに、保管場所の関係もあって残念なことにその所蔵をかなり減らしてしまいました
(...今思うとなんて勿体ない!)。
これは!というのは残してあるんですけど、
そんな一冊をひさしぶりに書棚から抜いて、手にしてみて、
うん、なんというか、とにかくびっくり。

今回紹介するそのCGは、1984年11月号。ieが中学一年のときです。

もちろん日本はまだ3ナンバー以上に「禁止税」ともいえる高額税が課され、
3ナンバーの車も、外国車に乗っている人も、稀な時代です。

なお1984年の輸入車の台数は、41,982台。ちなみに、ピークは1996年の323,392台!
2010年は、213,283台。
いかにまだ、外国車が珍しかったか、わかるかと思います。

そんな時代のCGの表紙を飾るのがこれ...。



1984-11号、特集:300万円と400万円の欧州車。


っていうタイトルで、いきなりフィアットアルジェンタだもんなあ(涙)。
正規で入ってたんだ、っていうかチョイスが渋すぎでしょw
そりゃーやられるよ...。



で、気になる「300万円の欧州車」がこれ。



夢のような世界(号泣)
あえてすでに欧州車、外国車としての地位を絶対的にしていた西ドイツ(西ってのが懐かしい)車の選択なしで、
そうすると、ただでさえ少ない外国車市場なのに、
その中でもさらにマイナー系なラテン車がこうして並んでると圧巻です。



取り上げている4台は、
・アルファスッド1.5ti 日英自動車(涙)293万
・フィアット リトモ105TC チェッカーモータース(涙)245万
フィアット レガータ85S 同上 264万
ルノー9 AUTOMATIC キャピタル企業(号泣)282.5万



それにしても、当時はあたりまえだけど欧州のメジャー車ばかり、
でも日本ではどれもこれも珍しいものばかり。
あえてこの中から日本でのメジャーを選ぶとすれば、その後130TCに発展したリトモは、
比較的よく見る車だったと思います。


といいつつレガータの記事の写真。



レガータは、「実にバランスのよい、そつなくまとまった良い車」との評。
まさしくそのとおり。昨今は欧州車ですら、こういう「何の変哲もない実用車」を作ってくれない
(ぷんぷん)!





で、続いて「400万円の欧州車」がこれ。





これまたすごいぜ(汗
・フィアット アルジェンタEI 近鉄モータース(汗)375万円
・ルノー18 AUTOMATIC 日英自動車(R9とは輸入元が違う!)342万円
・アルファロメオ ジュリエッタ 日英自動車 398万円
・サーブ900GLi 西武自動車 

もう、前の2台に関してはサンプル輸入程度で終わってしまったような車たち!




フィアットアルジェンタは、1972年デビューの古株132のマイチェン&改名バージョン。


日本に入っていたのが驚きなんですけど、
このアルジェンタ、その古さゆえの味わい、車内の広さ、運転の見切り、
また古いフィアットゆえの実にオーソドックスで堅実な設計を持つ、
実にすばらしい実用車だと書いています。

「あらゆる点でオーソドックスな、堅実な家庭の友としてのお薦め品。
さらりとこんな車を乗り回していたりすると、くるま道楽の限りを尽くした挙句の、
枯れた境地に見えなくもない。」
と書いてあって、ああ、それはieの目指すところでもあるわけで、
妙に納得してしまいました。


ルノー18の評もいい。
「柔軟無碍の走り味 ”着る”ように乗れる不思議な乗用車滋味あふれるルノー18」
うーん、たしかにそうだ。
ルノー18は友人が持っていたので、ずいぶん乗せてもらったなあ。
ほんとにいい車だった!




それにしても、さすがにCG、総評も素晴らしい。
400万クラスでは、このように書いてあります。


「いずれを取っても、とくに新しいとか、思わず目を引くとか、
ずば抜けて高性能というわけではない。
むしろ、単純に数字だけで評価すれば、たいしたクルマではないものばかりだ。
にもかかわらず、確固たる存在感に満ち溢れていたという点で、さすが彼の地に
このクルマありといわれるだけのことはある、と改めて感銘を受けた。
それぞれの揺るぎない信念に裏打ちされた強さが、なにものにも
代えがたい魅力になっているのだ」

これこそが、外国車のおおいなる魅力の一つなのです。
そこをズバっと書きあげる、こういう文章が好き。
さすが、CGなのです。



いまや外国車はすっかりあたりまえの存在になっています。
個性がない、個性がないと言われても、でもやっぱりアルファはアルファだし、
ルノーはルノーだし、フィアットはフィアットらしいと言えます。


それにしてもこの時代。

この8台のうち、アルファやサーブは当時からブランド力もあり
記号性も高かったのですけど、ルノー9、18、フィアットレガータ、アルジェンタなどは、
「良く出来た平凡な実用車にこそ、欧州車の底チカラを見る」ことが出来るものの、
さきほど引用の評論にもあったように、枯れた魅力、存在感といった
一般的にはわかりにくい個性を持っていた(そして現に、日本では売れなかった)わけですが、
この時代、いや1970年代、そして1990年代の初頭まで、
こういった地味で良く出来た「記号性の無い」車が、案外、黙々と正規で日本に来ていたことが面白いです。



キャピタルのR9の広告。エスポワール=希望...うう、このキャッチ意味がわからん(涙)


だけど、それら(=記号性の無い、本来の意味でのその国のクルマたち)こそ、
外国車選びの醍醐味のきわみでもあった...。と思います。


やはり、この頃はまだ、「外国車」が「ガイシャ」であったと言えます。
というのも、「ガイシャ」は特別な存在のジャンルであり、
一般的なユーザの方々が車を買うときの選択肢の俎上に、
そもそも乗らなかったのです。


だからこそ、この頃の外国車は面白いのでしょうね。
本国の「地味だけど良い車」を入れてくる姿勢がいまよりも高かったのではと思います。






>>しかし、改めていい時代だなあ...となみだ涙。

>>レガータあたりは本当にいい車で、記号性がないゆえ全くと言っていいほど
日本では売れませんでしたが、
小さい車体なのに広い車内で、ラゲッジも広大。
シートはフランス車もまっさおなほど出来がいい。
欧州車らしいすばらしい直進安定性とハンドリングと
無疲労性能を持っていました。
まあその点、自分のR19も同じですね。

>>まあ一概に品質とかトラブルの問題があって、
手放しで外国車の市場は広がる由もなかった時代ですが、
それがかえって、本国のそれらしい車が
入ってこられた理由だったのかもしれません。

>>だから、こんど「また売れないだろうね」ってわかりつつも、
プジョーが508を入れてくるとか、そういう姿勢がとても好きだし、
大事だと思います、応援したいです(買えないけど...涙)。
シトロエンは残念ながらC6の輸入をやめましたし、ルノーはそもそも
ラグナ3も持ってきていないんですけど(涙)
そのメーカーのらしさを本当の意味で持った、そんなクルマを
もっと入れてほしいなー!

>>しかしま、いいなあフィアットアルジェンタ...
これいま、中古で売ってたら飛びつくよ!
1984年の段階でもう、
「凡庸をきわめたその奥底に いぶし銀の光沢をはなつ佳作」だって!
いちばん好きな傾向の車じゃんか(号泣)


どうでもいい1日1枚より)

>>なお、この号、国産車はマーク2の71系、レオーネRXターボとかが試乗記で出ています。
え?RXターボの評価のほうが気になるって!?(笑
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【プジョーな話】番外編? 拾った画像でタルボ・サンバまつり。

2011-03-17 | プジョーな話。


カテゴリがプジョーなのは、まあかつて同じグループだったということで(笑


ということで、今日は「タルボ・サンバ」まつりを開催いたします。
またまたこんなネタですみません(汗


もう気がついた方もおられると思いますが、これって、先週の「シトロエンC15祭り」と同じく、
個人的にも好きな記事(手前みそw)
【シトロエンな話】拾った画像でシトロエンLN/LNA/VISA/C15/AXELまつり。」のドロップ・アウト企画だったりします。



どこの国のクルマか、さっぱりわからないサイドビュー(汗)。


というのも、この「タルボ・サンバ」、
ズバリ、プジョー104=シトロエンLN/LNAの兄弟車だからなのですね!


てなわけで、懲りずに開始です(笑


まずそもそも「タルボってなに?」ってことから始まるわけですが、
現在フランス車のメーカーはプジョー・シトロエン・ルノーなのですけど、
かつて存在した第4のメーカーとでも言いましょうか。

ええとタルボ(Talbot)の説明は行数がかかるな...簡単に説明すると、
もとは1903年、イギリスで、フランスのクレメント・バイヤードなるクルマを輸入するために、
タルボ卿なる方が立ちあげたブランド(なんで、イギリスではタルボットと読む)
だったんですけど、まあこの段階でフランスとのかかわりが強いわけです。
その後は(中略)でOK(笑)、ここからがテストに出る範囲なんですがw、
1958年にタルボはフランスのシムカに買収されるんですが、
そのあと1963年、欧州に市場を築きたいアメリカのクライスラーの
強引とも言われた買収(というか、乗っ取られたらしい)にあい、
「クライスラー・ヨーロッパ」の一員
(含むイギリスのクライスラーUK...旧ルーツ・グループ)とされ、
会社も「クライスラー・フランス」となりました。



シムカ1100。クライスラーに乗っ取られる前までは、フィアットがシムカの株を
50%持っていたので、フィアット設計の影響が大きかったのです。


シムカはもとはフィアットのライセンス生産を行っていたこともあり、
クライスラー・フランスのクルマはフィアット系設計を引き継いでいたのですが、
1978年、クライスラーとの短い蜜月は終わりをつげ、クライスラーはクライスラーUKともども、
PSA(プジョー・シトロエングループ)に売却され、その際、
ブランド名を伝統ある「タルボ(タルボット)」に戻すことになったのでした。

全然簡単にまとまらなかった...(涙



で、今日の主役、タルボ・サンバ(Samba)なんですが、
プジョー傘下になったタルボが初めて出した(そして最後になった)小型大衆車です。
デビューは、1981年。201系量産車と同じですね(そんなことはどうでもいいw)。

PSAではすでに、小型車としてプジョーには104、
シトロエンにはそのボディを流用したLNがあったのですが、
むろんタルボもその方法を取らないはずが無く、
サンバは、104/LN系の兄弟車として
設計されたのでした。



104クーペZ。しかしまあチョロQ的な寸詰まり感が最高!


これも、104クーペZ。Zていうわりには全然強そうに見えないw



で、これがLN/LNA。この個体しょぼい...欲しいなあ。フランスに行くといつも
持って帰りたくなるんですよねLN系(笑


LNが、104の3ドア版...104クーペのボディをそのまま使い、
エンジンのみ自社のフラットツイン(萌)を積んだのに対し
(のちにプジョーの4気筒を積むことになったが)、
サンバは、ドアや一部の窓以外はボディのプレスまで変え、ホイールベースも伸ばす
という凝り方でした。でも逆に、エンジンは104のものを持ってきています。
なお、ホイールベースの短い104クーペをベースにしたのは、
当時開発中だった205とのグループ内競合を避けるためだったそうです。



サンバ。こうして見ると、104/LNとは結構違うのだ



ボディデザインがなんとなくフランス車っぽくない(というか英国車っぽい)のは、
それもそのはず、デザインは旧クライスラーUKによって行われたもので、
これがまたいかにもタルボらしい、悪く言えば味の無い無国籍な雰囲気の理由です。


エンジンは前述の通り、104からの流用が多く、
954ccがベーシック版の「LS」、1124ccが中堅グレードの「GL」 、
そしてなんだか聞き覚えがある1360cc(日本仕様のAXとかでおなじみ)が
ハイエンド版たるGLSに搭載されました。
いうまでもなく、搭載方法は横置きで、104譲りなので
エンジン全体を後方に72度傾けてその下にギアボックスを置く方法でした。
なおGLSだけが5段MTです。


LS。



もいっちょLS。うーん、しょぼい...たまらない(ハァハァw
ホイールが黄色いのはあとで塗ったのかな?
しかしこの黄色いホイル、プラスチックにしか見えないw



内装。104の兄弟車だけあって、ほとんどイメージが一緒。
メータークラスターが大きな違いか。



104



サンバ。プレス写真の銘がタルボでは無く、あくまでもプジョーであることに注目。



モデル途中になって、いちバリエーションとして追加された「sympa(サンパ)」。


サンパの後姿。
あれ、これもホイル黄色いな。と思っていたら、
nekさんのコメントで、これがサンパ用なのではとのこと。情報ありがとうございます!



また、タルボ・サンバといえば...というのが、これ。


うしろのクルマもなみだを誘うね...フィエスタ、初期初期パンダ、R4、127、127。



「タルボ・サンバ・カブリオレ」。
実は日本にもタルボ・サンバは西武自動車販売の手で正規で輸入されていたのですけど、
入ってきたのはこのカブリオレだけなので、日本ではこのイメージが強いかも。
現に、FBMなどでは、サンバ・カブリオレはたまに見かけることが出来ますものね。
日本で唯一乗れると言っていい104/LN系(まあVISAもそうだね)なんだよなあ。
欲しいなあ...。

ちなみに、このカブリオレ、架装はピニンファリーナ!なのです。
ピラーに誇らしげにバッジが輝いております(^^
カブリオレは205CTIが出るまでは競合が無く、そこそこ売れたようです。


このころ...80年代初頭のPSAは、
VISAにGTを用意したり、1981年にはPTS
(プジョー・タルボ・スポール、あのジャン・トッドがいた)を結成したり、
スポーツイメージを前面に押しだしはじめたころで、
実際、1983年には、地味で堅実なメーカーと言う印象だったプジョーを、
若々しく、スポーティなイメージへと革命的に変えた205が登場するに至っています。



タルボも、このサンバにもウェーバーツインキャブで武装した
スポーティバージョンを追加。それがRallye(ラリー)。


(なぜかミニカーの画像ですみませんw)


同じグループ内で205ターボ16がWRCで派手に活躍する傍らで、
サンバ・ラリーはモータースポーツの入門用などとして人気を博し、
ワンメイクレース等も行われていました。



さらには!グループBの「化け物」である、205ターボ16と同じく、
もしくは同じグループ内のVISAのグループBよろしく、
サンバにもグループBモデル、
Peugeot Talbot Sport Samba Rallyeも用意されてました。


ぜんぜんGr.Bのクルマには見えないあたりが素敵w



205のようなPTSカラーをまとった、フランソワ・デルクールの乗るサンバ。




こうして見ると、サンバは名前の印象どおり、とても若々しい、
スポーティなイメージのクルマだったことが分かります。
その印象は、205に引き継がれたといってもいいでしょう。
となると、205が出る2年前に出たこのサンバが、
プジョータルボのイメージアップに少なからず寄与し、
それが205の成功のカギの一つになったのかもしれませんね。






>>いやー、最近まずい、もう、ルノープジョーシトロエンももちろん
気になるクルマ、欲しいクルマはいっぱいあるんですけど、
こういう「タルボ」あたりのクルマに興味津津。
タルボ、乗ってみたい...。
そうそうはわかってくれない...「これなんてクルマ?」って言われちゃうあたり、
変態さんにはたまらないです(ゾクゾクw



>>ちなみに、プジョー309は、
タルボ・アリゾナという、タルボ向け車種として開発されていたものなのです。
それが、タルボブランドの消滅で、プジョーブランドとして登場してます。

>>で、その「アリゾナ」の前身が、これ、「オリゾン(Horizon)」。




>>どう見てもフランス車に見えないところがたまらん(汗
クライスラーがシムカに作らせた欧州戦略車。
思い切り無国籍な一台なのですが、ちゃんとカーオブザイヤーも取ってるスグレモノ。
でも乗ったらどうなんだろ?
うーん。これもかなりいい外しだなあ。


>>「何に乗ってるんですか?」「タルボ・オリゾンです」「....??????」って会話してみたい(馬鹿




>>なんでこのクルマ好きかって、内装がね、カッコいいのよ(涙




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【セダン蒐集癖】Vol.263 やっと見付けた...5代め・最後のマツダ・ルーチェ(しかもセダンだ)

2011-03-15 | セダン蒐集癖。
地震津波の被害にあわれた方々には、心よりお見舞い申しあげます。
仙台・東北の友人、被災地に家族親族がいる友人を持つ身といたしましては、
ほんとうに胸が詰まる思いです。
また、お亡くなりになられた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。


でもこのブログは、いつもの平常進行でいきます。
楽しみにされている方々に向けて、不肖ie、出来ることからいたします!



ということで、週初めの更新は「セダン蒐集癖(いまさらですが、しゅうしゅうへきと読みますw)」の263回目です。



マツダ・ルーチェの5代めセダンです。



しかもこの個体フェンダーミラーで下っ端グレードだ(号泣
SGとかよりも下?誰か教えて(涙
タクあがりかなあ。バンパー樹脂のままだしなあ...。



以前からワタクシのブログでこのコーナーをご覧の方には、
ie実家がマツダスパイラルにあったこと(笑)をご存知かと思うのですが、
ファミリア、カペラはもちろんのこと、最上級車種だったルーチェも、
もちろん乗っていました。

ieの記憶にあるのは、2代め(REのワゴンとセダン)、
3代め(縦目のレシプロと後期型のRE)、そしてこの5代目です。
初代と4代め(俗に言うガンディーニコスモ型)以外で5台も乗ってるんですね(笑
どんだけルーチェ好きなんだウチのオヤジw



マツダはこのルーチェのあと、例の多チャンネル化に走り、
カペラはクロノスファミリーに発展し、ルーチェはセンティア/MS-8に名前を変えました。
そのころの変化がドラマチックすぎるのですが、この最後のルーチェは、
和製ベンツ(とうか広島ベンツ)と揶揄された(似てるとは思わないんだが...)
ような、わかりやすい高級感のあるコンサバなデザインのクルマでした。




巴里ナンバーに注目ねw



この時代を象徴するように、ライバルのクラウン・セド/グロと同じく
セダンとHTボディを持ち、廉価版には4気筒モデルがあり、セダンはタクシーにも
使用されてました。



これがHT。たしかに高級に見える 実際豪華だったんだけども



で、さすがにこのルーチェも減った(生産中止から20年!)ので、
ほんとに見なくなりましたねえ。
でもいつもの意見なのですけど、こういう「ザ・セダン」みたいなクルマって、
ほんとに見飽きないって言うか、安心しますなあ。


個人的にはこのルーチェ、実家にあったのは2LのV6(ほんのわずかな間だけ)だったんですが、
やはり白眉は、「マニアのために残したのかな」って思うような、
ロータリー搭載モデルのラインナップですね(号泣)。
でもメインの販売はすでにV6に移行していたので、ほんとに意地で残してる、
な感じがマツダっぽくて好き(笑
ちなみに途中からアメリカ仕様(mazda929)の5マイルバンパーを付けた
V6・3Lの3000ロイヤルクラシック(この名前だけでクラウンに対抗する気まんまんw)、
さらにはこのV6を4バルブヘッドに置き換えて足回りも欧州仕様に換えた
3000リミテッド・グランツーリスモとかもあったねえ。懐かしい。



>>しかし今見てもかっこいいぞ。
シンプルだけど高級感もあるし、安っぽく見えない。カタマリ感のあるデザイン。
マツダびいきだからそう見えるのかな(笑


>>ということで、マツダ929の欧州(オーストリア?)仕様!かっこいいなあ。





>>つぎ。アメリカ仕様の929。うう、いい。





>>最後におまけ。例のガンディーニコスモHTは、「929クーペ」で販売されてたのですが
これ...フランス仕様だ。日本車には見えないぞ!

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【シトロエンな話】拾った画像でシトロエンC15まつり。

2011-03-10 | シトロエンな話。



どうもこのあたりの非ハイドロなちいさいシトロエンのくるま
(シトロエンに限らず仏車全般w)が大好きなieです。

ということで?
昨年1月にお送りし、たいへんご好評いただいた
「【シトロエンな話】拾った画像でシトロエンLN/LNA/VISA/C15/AXELまつり。」
からさらにドロップ・アウト、今日はC15のみを切り出します(汗
あ、ネタ切れというわけではないです(言い訳w






というわけで、C15です。セ・ケーンズとでもよべばいいのかな?

C15は、ズバリ、ご覧の通り前ドアから後ろをフルゴネットボディ(AK/AZUっぽい)にしたVISAです。
系譜的には、ディアーヌのフルゴネットである、アカディアーヌ(AK)の後継に位置するクルマです。




これがVISA



いいなあ...マジでこれ欲しい...アカディアーヌ(Acadiane)。



ということで、これがC15なわけです。



ちなみに初期はこんな顔だった なんで基本的に泣きそうなんだ?(笑
街中がこんなクルマであふれていたら、みんなやさしい気持ちになれるのになあ(涙


C15は前述の通り、VISAをベースに1984年から2005年まで製造された商用車。
VISAが1988年に製造終了(VISAは125万台近く売れた)後も、
実は隠れたシトロエンのベストセラーだったそうです。

ベースがシンプルな設計のVISAだったこと、プジョー305ブレークやBXで採用された
コイルとダンパーを水平に寝かせたリアサスを流用したことによるフラットな荷室、
長いホイールベース、ライバルのルノー4(F4、F6)やエクスプレスのように
明らかに荷室に段差を設けたことによる高い収容力、など、小さいながらも必要十分、
かつ合理的な設計と、そこはかとない切なさとわびしさ、しょぼさを持つ、
とてもフランス車らしいクルマだと思います。



滅多に見られない、C15の内部。へえー。




なんとも愛嬌のあるスタイルも魅力的。タイヤのサイズはこれでいいじゃんねえ(笑
現代のクルマはタイヤが大きすぎだよ。
それにしてもさりげなくデザインバランスが秀逸で、完璧。





後期は、バンパーにウインカーが移設されて顔つきが変わった。
個人的には初期顔がいいなあ。


VISAがベース故、基本的にはドライブトレーン・パワートレーンは当時のシトロエンの
標準ユニットともいえるもの。
ガソリンだけでは無く、欧州車、フランス車、PSA車らしくディーゼルももちろんラインナップされていました。
ガソリンは1124 ccで、車名は C15E ( E はエッセンス 、ガソリンの意 )、
ディーゼルはC15Dと呼ばれていましたが、当初1769 ccだったディーゼルエンジンは
後に1905 cc に変更されています。



給油口がかわいいw


もちろん、FF。それゆえ、エンジンと前輪以外は、極端なことを言えばくっついてくるだけなので、
こういう状態↑で架装メーカー(カロスリ)に送られ、いろんなボディを積んでいたようです。
日本でも多くのボンネット付きのバンは商用ですけど、後部が箱型ってのがない
(AD MAX除く!?)ので、後ろだけ換える、っていうのはこのサイズの商用では
あまり見かけなくなったかもですね。



ということで、C15コレクション(イメージはアド街でw)!



まずは無難にダンジェルの4×4。
ダンジェルは既存車のヨンク化とかをよく手掛けていたメーカー。


これはダンジェルの504の4×4。ちなみにちゃんとしたカタログモデルだったんです。




トラック!うー、これで仕事したい!




もういっちょトラック!うー、もし農家になったらこれを買うぞ!



ダンプ(涙)VISAのダンプ...土砂積んだら壊れそうだよw
ちなみにタンガラ作っていたティヨールが架装!




冷蔵車!冷えなさそう(涙




6輪!なんでシトロエンはこう6輪にされやすいんだ(号泣
どうももとアンビュランスらしんだが素性不明。ちなみに205の15インチホイルがえらく大きく見えるw




キャンパー!あーこれ欲しい、これならキャンパー族になってPA・SAで暮らしても良いw
でも談合坂登れるのかなあw




もういっちょ6輪、しかもレッカー!
これで何がけん引出来るんだ...切ない(号泣
ミイラ取りがミイラになりそうだーw


いやー、いいわC15。あ、もちろん買うならふつうのフルゴネットボディでいいです(涙
でも4座つきは欲しいよね、やっぱり。



乗用のファミリア―ル。うう、これはこれでいいなー。






>>最後を飾るC15は、C15ベースの「sbarro(スバッロ)aventure(アヴァンチュール)」。






>>うーん、ノーコメント...ジュネーブショーを毎回盛り上げてくれるスイスの改造メーカ
スバッロですが、正直面白いのはわかるんだけど、テイストはニガテです(涙

>>なんかこうなっちゃうのが多くてね...(汗


>>でもこういうバカらしいのは好き。エスパスのスパイダー(爆



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【セダン蒐集癖】Vol.263 4ドアスペシャリティ 2代め日産プレセア(R11型)

2011-03-07 | セダン蒐集癖。
最近このコーナーでもさすがに回数を重ねるにつれ、
この手の「4ドアスペシャルティ」が増え始めたような気がしますw


ということで、最近ほとんど見かけなくなった1990年代の3ボックスデザインのクルマの中でも
さらに珍しくなった4ドアスペシャリティの中でも、さらに珍しいプレセアの、
さらにさらに珍しい2代めです。





トヨタカリーナEDが先鞭をつけた、室内の空間を犠牲にしても小さいキャビンと
低い全高を持つ「4ドア・スペシャリティ」という日本独自のジャンル
(というかまあ、売れに売れたマーク2の80系あたりは、ボディサイズに対する
あのキャビンの小ささ、狭さでじゅうぶんスペシャリティの要素があったけど)。

この新しいスタイルは予想以上に売れ、
その結果、マツダも、三菱も、ホンダも、日産も、あとを追いました。
日産はこのプレセアで勝負を挑みました。

1990年登場の初代プレセアはB13サニーをベースに、
インフィニティQ45にも似たグリルレスフェイスに、インバースしたヘッドライトなど、
それなりに凝ったエレガントな外観、あの頃の日産らしく質のいい内装などを持ち、
トヨタに「伍した」までとは言わないまでも、それなりに台数の出たクルマだと思います。



で、5年後の1995年、プレセアも2台めに移行します。
ベースもB14になって、車体もホイールベースも大型化。っても4.5m以内で、小さいといえば小さい。


だけどこの手のクルマの2代めはなかなかに難しい。
日産の4ドアスペシャリティ=プレセアという図式は崩せないし、
となるとそもそもフォルムは大きく変更できないし、
キャラクターもなかなか変えるのも難しい。
その結果、2代めプレセアは、
キープコンセプトかつ微妙に初代をアップデートしたような感じのするデザイン。
キャビンも大きくなって居住性もあがり、小さいながらも顔にはグリルがつきました。


でも...これはプレセアだけでは無いのですけど、きっと営業サイドからの要請って
無視できなかったんでしょうね。狭いとか、高級感がないとか。
その結果、プレセアは2代めでこうなった(スカイラインはずっとこの繰り返しでしたね)。


そう思うと、なんでもこういうクルマは初代がいちばん志が強いものなのかも。




>>2000年、2代めで結局プレセアは後継車も無くラインナップから姿を消します。
時代も不利にはたらきました。そうもうミニバンの時代が幕を開け、
この手のセダン市場はまさに縮小の一途。

>>またさらには、1999年から日産のリバイバルプランが発動。
これで完全に、プレセアが21世紀を生き残れる算段はなくなりました...。
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【ルノーな話】拾った画像でルノー7(シエテ)まつり。

2011-03-03 | ルノーな話。



ということで、今日の「まつり」は、ルノー7(シエテ)をお送りします。

ルノーの数字ネーミングモデルは、下から3(トロワ)、4(キャトル)、5(サンク)、
6(シス)、7(シエテ)、8(ユイット)、9(ヌフ)、10(ディス)、
11(オンズ)、12(ドゥーズ)、14(キャトルーズ)、15(ケンズ)、
16(セーズ)、17(ディセット)、18(ディズユイット)、19(ディズヌフ)、
20(ヴァン)、21(ヴァンテアン)、25(ヴァンサンク)、30(トラント)とありますが、
その中でも異端といえば、異端のモデルです。


で。これがルノー7(R7)...。



何が異端なのか、ということなのですが...。


外観は、うーん、どこかで見たような...
そう、よーく見ると、初代ルノー5(サンク、俗称縦サンク)のトランク付きサルーンなのです。


なお、前述の数字読みを見て「7」は、なぜフランス語よみの「セット」ではなく、
「シエテ」と読むのか?と気が付かれた方もおられるかと思います。

この「シエテ」というのは、スペイン語読みなんです。





では、なーんで「セット」ではないのか?
というのも、このクルマ、スペインのFASA-RENAULT(FASAルノー)で
1974年から1984年まで作られていた、いうならば「スペイン製のルノーサンク」なのです。


かんたんに言えばサンクのホイールベースを伸ばし、ハッチバックをふさぎトランクをくっつけた、
ie大好きな「後付けセダン」なのですね。



ぎゃーホイールベースながーい!萌えー!w



当時まだ発展途上だったスペインの自動車社会では、まだまだ「セダン」というカテゴリは
需要が多い(この傾向は、21世紀になったいまもって同じ)ためか、
そのままサンクを作らず、セダンを作ることにしたのでした。



後付けセダンなのに違和感のない、スバラシーデザイン。



この子の家のクルマなのかな。誇らしげな笑みがいいね!



ところで、本国のサンクはご存知の通り、デビュー当初は3ドアのみ。
5ドア版は1979年か1980年の登場ですので、
それよりも前...1974年に、リアドアをつけたサンクの4ドア・セダンが
スペインから生み出されていたというわけです。
しかもサンクの5ドアは、このシエテのドア設計をそのまま流用してます。


これが本家サンクの5ドア。たしかにドア形状は一緒。


懐かしや、おいらのポンコツちゃんだw



サンクの特徴でもあった愛らしい樹脂バンパーは、わざわざ(笑)メッキバンパーに
置き換えられていたりしてるのが特徴です。
ただ基本的に中身はサンクのまま。エンジンは当初1037cc、のちに1108ccになりますが、
本国サンクが積んだ1397ccユニットは最後まで載せなかったようです。
むろん、左右で違うホイールベースという設計も、引き継いでいました。




リアビュー。かわいい。でもなぜ日産のディーラーの前でw



FASAルノーは1951年から(2000年まで)ルノーをライセンス生産していた会社です。
このころのスペインは(まあいまでもその傾向はあるが)、
自社開発ではなくフィアット=セアト、ルノー=FASAルノーといった感じで
本国のクルマをアレンジして生産していました。



こういう「本国には無い」ルノーって結構あって、それを全部フォローしてたら
たいへんなのでここでは割愛しますが、
本国のハッチベースでセダン、で最近のものをちょっとだけ集めると、
まさしくサンク→シエテと同じく、
その後継であるクリオ(ルーテシア)をサルーン化したクルマがありまっす。


クリオ2ベース、「クリオ・シンボル」(~2008年)
仕向け地(ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリーなど)では、「タリア」と呼ばれる。




ぶっといCピラーがかっこいい!



2008年、クリオ・シンボルは、単なる「シンボル」へ。外観は完全にオリジナルに。
でも中身はクリオ2のままだにょ。

このクルマも別称で「ルノー・タリア」という名前を持ちます。

なんかすごくデザインが日産ぽいなー(汗





このくるまティーダかサニーとかで売ってくれたら買うよ(涙

どっちもちなみにこのブログでも何回か出てくる、トルコの「オヤック・ルノー製」ですー。





>>う、シエテのうりもの!ぎゃー!欲しい。

>>ちなみにFASAルノーでは、アルピーヌA110も作ってました。
後期モデルではたしか5アルピーヌのエンジン積んでいたような。

>>話がそれるけどA110は他にもメキシコとかでも作っていて、NAVI誌のアオダンさんは
たしかメキシコ製A110を今でもお持ちとお聞きしてます。

>>おまけ。2005/2のエントリー、「小型車の街角」で使用した、
「日産マーチのカタログにルノーシエテがいる」のを思い出したので再掲しちゃいます。





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【セダン蒐集癖】Vol.262 実は立派な輸出用車だった...3代めローレル(C230系)

2011-03-01 | セダン蒐集癖。
いやー久しぶりに見た!感動モノです。
そう、3代めローレルです。






このクルマが現役のころはまったく疑わなかったのですけど、
3代めローレルには、4ドアセダン、4ドアハードトップ、2ドアクーペがあったのです。
いまだったら絶対に成立しないラインナップです(涙


流麗なデザインのハードトップ。


これはライトの丸い前期型。




で、この色懐かしいなあ、後期型です。ie的にはこのほうが印象が強いです。
それにしても、日産の高級車の象徴ともいえた、ボディ同色ホイルキャップが誇らしい!


で。今回補足したこの個体は、セダンの、2000か2800のSGL。
セドグロと違って、2.8Lでも外観の違いが少なかったように思います。

で...さりげなくフェンダーのエンブレムが、「DATSUN200L」という
輸出用バッジに変わっているのが、ミソ。

輸出用?ローレルが輸出?




そう、実はローレルって、輸出されていたんですね。




アラビアにたたずむC230型の200L(前期型)


このローレルの販売時期(1977-1980)の時期でいえば、
ブルーバードの810が、DATSUN200Bという名前で販売されていたり、
ドメの象徴のようなイメージの330セドグロも、DATSUN280Cとして輸出されていたり、
案外僕らの思っているより、いろんな「ドメスティックカー」が海外で走っていたのです。
面白いですねー。


それにしてもこのローレル、ほんとに懐かしいなあ。
エンジンはむろんL20と、4気筒モデルは前期L18→後期Z18(ツインプラグ!)。
あの「ひゅろひゅろひゅろひゅろ」というアンドリング音、
アクセル踏んでもぶわああんって音すれど
タコの針があがらないあの眠たさとか、なつかしい。


ちなみに、この前の2代めローレル、C130型があまりにも有名で、旧車などでも流通しているのに、
3代めローレルは、とんと見なくなりました。旧いクルマを扱うところでも、
少ないように思います。



これがC130ね なおこの世代もDATSUN200L/280Lで海外で売ってました。



それにしても、なかなかシンプルで好ましいデザインだと思いませんか。
言うまでもなく、サイズも5ナンバー内ですし。
ポジション的にはセドグロの下、高級車の範疇でありながら、
何もついてないというペーペーグレードが存在。
そもそも高級車の車格帯に4気筒の1.8L(むかしはあたりまえだったけど)。

二度と、こういうクルマは出てこないでしょう。
ローレルの後継ともいえるティアナはたしかに4気筒メインですけど、
1.8Lで、廉価版なんてないですものね(笑


...そういう意味でも、この「セダン蒐集癖」というコーナーは、
かつて日本には「セダンがあたりまえの時代があった」という歴史を刻む場所にしたいですね(オオゲサw





>>このクラスの「え?ドメ車じゃないの?」という日産車の輸出は、
この2世代あとの仏壇ローレルまで続き、そのあと初代セフィーロがキャラ的にはそのあとを継いでます。
聞いたところだと中東方面に主に輸出されてたようですね。
L6のセフィーロはメインが2.4Lだったっけなあ。



>>C31ローレル英国仕様。この代までがDATSUN200L名前だったはず。
アウトバーンの風、ほんとにアウトバーン走ってたんだ(涙



>>C32ローレル。イギリスだなあ。ヨーロッパにもいるのか仏壇!かっこいい!

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