ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

69、プラザ合意

2007年11月16日 | Weblog
今日(2007年11月16日)の円相場は110円台で円高になっています。
このところ125円前後で推移していたので久しぶりの円高水準です。

戦後、日本は1ドル=360円の固定相場制が長く続いていました。
このまま360円の固定相場制が続くものと思われていましたが、1971年にアメリカ合衆国大統領リチャード・ニクソンが既存の世界秩序を変革する2つの大きな方針転換を電撃的に発表しました。
いわゆる、“ニクソン・ショック“と呼ばれるものです。
1つは、ドル・ショックと呼ばれ1971年8月15日に発表されたドルと金の交換を停止し、変動為替相場制へ移行しました。
2つ目は、ニクソン訪中宣言で1971年7月15日に発表され、翌1972年2月の北京訪問にいたる一連の外交です。

1971年12月に、ワシントンのスミソニアン博物館で各国の蔵相会議が開かれました。
ここでドルと金との固定交換レート引き上げ、ドルと各国通貨との交換レート改定が決定されました(スミソニアン協定)。
円は360円から308円へ、16.88パーセント切り上げられました。
この切り上げ幅は各国通貨の中でも最大で、日本の交渉団の予想を大幅に上回るものでした。

“プラザ合意”は1985年9月22日、ニューヨークの「プラザ・ホテル」で行われたG5(先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議)で発表された、為替レートに関する合意です。
当時のアメリカ合衆国の対外不均衡解消を名目とした協調介入への合意で、対日貿易赤字の是正を狙い、円高ドル安政策を採るものでした。
当時アメリカは、財政赤字と貿易赤字という、いわゆる双子の赤字を抱えており、これを是正するための効果的な手段としてドル安円高への誘導がなされたと言われています。
ドル安円高になれば対円の貿易赤字が実質目減りするという効果があるわけです。

発表の翌日1日(24時間)でドル円レートは、1ドル235円から約20円下落しました。
その後も下がり続け、一年後には1ドル=150円になり、その一年後には120円台で取引されるようになりました。
その後も円高は続き1995年4月19日には史上最高値の1ドル=79円75銭まで上昇しました。
その後125円前後に戻し、120~130円位で推移しています。

プラザ合意を受け日本では急速な円高が進行し、円高不況の発生が懸念されたために低金利政策がとられました。
この低金利政策が不動産や株式への投機を加速させバブル景気の過熱をもたらしました。
また、円高により日本経済の規模は相対的に急拡大し、米国資産の買い漁りや海外旅行のブーム、人件費の安い国への工場移転などが相次ぎました。
ロックフェラーセンターや映画会社の買収などジャパン・マネーが闊歩し、旅行者や会社の視察など、日本人が大挙して押し寄せてきました。
毎晩のように接待やパーティーが行われ、ブロードウエイやリンカーンセンターなどの劇場ではショーを見る日本人が多くいました。
日本の歌が歌えるカラオケ・バーが何十軒もできて賑わっていました。

私がアメリカに行った1973年は1ドル=300円位でした。
しばらく300円前後で推移し、それから240円前後になりました。
それがプラザ合意で一気に半分の120円前後になってしまいました。
その時はまだ日本に帰る予定は無かったのでそれ程気にしていませんでしたが、1992年に帰国することになりプラザ合意の影響をもろに受けることになりました。
アメリカで20年間働いて貯めた金を日本に送金する段になって半分になってしまったのです。
その後も円高が進み帰国する直前の1993年3月には111円台になってしまいました。
この時ばかりはプラザ合意を恨めしく思ったものです。
今もアメリカに送金したり、向こうから送金されてくるので円相場は気になります。

 写真はプラザ・ホテルをセントラルパーク南の東端から撮ったものです。
幾つかの国旗が見えますが、各国の要人(大臣クラス)が滞在しているときは国旗が掲揚されます。

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