ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

925、伊達・シャラポワ破る

2010年09月28日 | Weblog
有明コロシアムで行われている「東レ・パンパシフィックテニス」2日目の27日、シングルス1回戦でクルム伊達公子は、7-5、3-6、6-3で昨年の覇者、マリア・シャラポワ(ロシア)を下し、初戦を突破しました。
伊達のこの大会での勝利は優勝した1995年以来です。
伊達は1970年9月28日生れ、この日は30代最後の日で「こういう日に、ベストパフォーマンスの試合ができたのはうれしい」と語っています。
復帰後の伊達を見ていて、改めて彼女のすごさを感じます。
日本人の女子テニス選手として、初の世界ランキングトップ10入りを果たし、自己最高は4位(1995年11月)でした。
「ライジング・ショット」の名手として知られています。
これは、相手の打ったボールが自分のコートでバウンドした直後の上がり端を打ち返す非常に高度な技術です。
4大大会で女子シングルス準決勝(ベスト4)に3度進出し、これを含めて4大大会でのベスト8入りは6回で、世界のトッププロと互角に戦っていました。
1994年には日本人選手として初めて女子テニスツアー年間最終戦の「バージニア・スリムズ選手権」に出場権し準決勝まで進出しました。
当時のバージニア・スリムズ選手権は、世界ランキング16位以内の選手のみに出場資格が与えられる、トップ選手の大会です。
マディソン・スクエア・ガーデンで「バージニア・スリムズ選手権」が行われていた頃は何度か見に行きました。)

しかし、伊達は1996年9月24日に現役引退しました。
これを聞いたとき「なぜ?、まだ早い。」と思いました。
25歳はテニス選手としては最盛期で、さらに強くなる年齢でした。
それから12年後の2008年4月6日、現役復帰を決意し37歳でプロ復帰します。
その理由を「世界と戦うためではなく、若い選手へ刺激を与えるため」と語っています。
復帰後も世界のトップ選手と互角に戦い2010年 5月25日、全仏オープン1回戦で第9シードのディナラ・サフィナ(ロシア)に 3-6, 6-4, 7-5 で逆転勝ちします。
伊達にとって4大大会での勝利は、準決勝に進んだ1996年のウィンブルドン以来14年ぶりでした。
全仏女子オープンにおける39歳7カ月での勝利は、1968年以降の同大会で歴代2番目の記録です。

キム・クライシュテルスは2007年5月6日に現役引退を表明しました。
2009年に現役復帰をした彼女は2009年と2010年の全米オープンで連覇します。(2005も優勝)
912、7人目の生涯グランドスラム」を参照
クライシュテルスの場合は2年で復帰しましたが、伊達の12年は遅すぎました。
もし、1996に引退しなかったら、引退しても2~3年で復帰していたら、日本人初の世界ランク1位、日本人初のグランドスラム優勝もあったのではないかと想像してしまいます。
905、エアK」で錦織選手は苦戦しても勝つ、と書きました。
伊達選手はその技術で相手を翻弄し勝ってしまいます。
今年の「東レ・パンパシフィックテニス」も、若手の森田あゆみ選手や奈良くるみ選手は善戦しますが敗退してしまいます。
今日40歳になる伊達選手はシャラポワ相手に7―5、3―6、6―3で競り勝ち、日本勢でただ一人2回戦に進出しました。

伊達の活躍は日本人女子選手に影響を与え、多くの日本人が世界に出て行きました。
1995年の全米オープンでは8人の日本人選手が本戦に直接出場するなど、日本勢全体の活躍が目立った時期でした。
伊達の引退後は杉山愛が日本女子テニス界をリードし、活躍しました。
44、日本人パイオニア」で井上悦子選手を日本人選手の先駆者で、大リーグの野茂英雄選手に匹敵する、と書きましたが、伊達選手はイチローに匹敵するかも知れませ。