随分前に買っていた同小説、先日から再び読み返していた。この作品は、真田一族の短編7編を集めたもので執筆者は錚々たる小説家の皆さんである。
池波正太郎「獅子の眠り・・真田信之」、井上靖「真田影武者・・真田幸綱」
新宮正春「安南の六文銭・・真田の忍び」、滝口康彦「旗は六連銭・・真田幸村」
広瀬仁紀「謀略の譜・・真田幸隆」、宮本昌孝「龍吟の剣・・真田信之の妻」
南條範夫「徳川軍を二度破った知将・・真田昌幸」・・・・の各氏。
これらの短編の中で、井上靖氏が「真田幸綱」として、幸村の嫡男大介を描いているが、「真田幸綱」とは広瀬仁紀氏の「真田幸隆」と同一人物であって、後年幸綱を改め幸隆としたとのことである。海野氏から派生した真田一族の祖が真田幸隆であって、なかなかの謀略家でその生き様が昌幸に受け継がれている。
その昌幸が一番輝いたのは、南條範夫氏の「真田昌幸」に記されているように二度の上田城における徳川軍との攻防である・・・しかも二度も徳川軍に勝利しているから恐れ入る。正に昌幸の戦ぶりは、父・幸隆譲りの調略、知略によるもので、これこそが弱小軍団の強さである。
滝口康彦氏の「真田幸村」は、大坂の陣における幸村の働きぶりが描かれている。幸村が表舞台に登場するのは、実にこの大坂の陣のみであったが、この凄まじい戦ぶりによって「日本一の兵(ひのもといちのもののふ)」と呼ばれることとなった。
さらに井上靖氏の「真田幸綱」は、幸村の嫡男・大介幸昌のことであり、これも大坂の陣を描いた短編である。
宮本昌孝氏の「真田信之の妻」とは、信之の正室小松姫である・・・徳川氏譜代家臣の本多忠勝の長女で気の強い、頭の切れる女性で良妻賢母である。なお、徳川家康の養女となって、信之に嫁いでいる。
関ヶ原の戦い前夜、犬伏の陣において信之が徳川方に、昌幸と幸村が石田方に味方することを決した。そのことが分かった小松姫は、義父・昌幸が上田城への帰途、沼田城に立ち寄り「孫の顔が見たい」と所望したことに対し、小松姫は戦装束で「敵味方となった以上、義父といえども城に入れるわけにはいかない」と申し出を断った。
止むなく昌幸が近隣の正覚寺で休息を取っているところへ小松姫は子供を連れて現れ、昌幸の願いをかなえたと言う有名な話が残されており、このことを主軸に書かれている。
池波正太郎氏の「真田信之」について、徳川秀忠の真田嫌いは関ヶ原に遅延の原因となった上田城攻防に端を発している。家康が亡くなった後、真田家を取り潰そうといろいろと工作を行う。
信之の晩年で隠居している頃、時の老中・酒井忠清が難癖をつけて真田取り潰しを目論むが、信之は家康から真田家安泰への密書をもらっていた・・・これが真田家を守ることとなり、信之は遂に明治維新まで家名を守ったのである。
以上の6編については、いろいろな場面で知見を得ており、真田戦記物で読んでいたが、新宮正春「安南の六文銭・・真田の忍び」はこれらとは異質の真田小説であった。
その異色の物語は、何となんと大阪城で秀頼と運命を共にした幸村の嫡男・真田大助、実は大助は、幸村から密命をおびて薩摩に逃れ再起を期したが、無念の最期を迎えた。
その遺児・幸広は、忍びの次兵衛と共に安南(ベトナム)の日本人町に逃れ、六文銭の旗のもとすくすくと育ったが、時は流れ日本では徳川幕府の手によって鎖国令が出されていた。
これにより、日本に帰国することができなくなり、安南の日本人町で大助の遺児・幸広たちは、連日目的のないままの生活を送ることとなった。ところが、ある時ポルトガル人との間に諍いが起こって・・・・。そして、物語のお終いに幸広の思わぬ出生の秘密が解明された。
独特の雰囲気と異国での荒んだ生活ぶりなど、今までの真田一族の物語とはいかにも異質の物語となっているが、どこか不思議と惹かれるものがあった。
どこに惹かれてしまったのか、それでも実に面白いのである。
正に執筆者たちも”機略縦横”である。(夫)
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池波正太郎「獅子の眠り・・真田信之」、井上靖「真田影武者・・真田幸綱」
新宮正春「安南の六文銭・・真田の忍び」、滝口康彦「旗は六連銭・・真田幸村」
広瀬仁紀「謀略の譜・・真田幸隆」、宮本昌孝「龍吟の剣・・真田信之の妻」
南條範夫「徳川軍を二度破った知将・・真田昌幸」・・・・の各氏。
これらの短編の中で、井上靖氏が「真田幸綱」として、幸村の嫡男大介を描いているが、「真田幸綱」とは広瀬仁紀氏の「真田幸隆」と同一人物であって、後年幸綱を改め幸隆としたとのことである。海野氏から派生した真田一族の祖が真田幸隆であって、なかなかの謀略家でその生き様が昌幸に受け継がれている。
その昌幸が一番輝いたのは、南條範夫氏の「真田昌幸」に記されているように二度の上田城における徳川軍との攻防である・・・しかも二度も徳川軍に勝利しているから恐れ入る。正に昌幸の戦ぶりは、父・幸隆譲りの調略、知略によるもので、これこそが弱小軍団の強さである。
滝口康彦氏の「真田幸村」は、大坂の陣における幸村の働きぶりが描かれている。幸村が表舞台に登場するのは、実にこの大坂の陣のみであったが、この凄まじい戦ぶりによって「日本一の兵(ひのもといちのもののふ)」と呼ばれることとなった。
さらに井上靖氏の「真田幸綱」は、幸村の嫡男・大介幸昌のことであり、これも大坂の陣を描いた短編である。
宮本昌孝氏の「真田信之の妻」とは、信之の正室小松姫である・・・徳川氏譜代家臣の本多忠勝の長女で気の強い、頭の切れる女性で良妻賢母である。なお、徳川家康の養女となって、信之に嫁いでいる。
関ヶ原の戦い前夜、犬伏の陣において信之が徳川方に、昌幸と幸村が石田方に味方することを決した。そのことが分かった小松姫は、義父・昌幸が上田城への帰途、沼田城に立ち寄り「孫の顔が見たい」と所望したことに対し、小松姫は戦装束で「敵味方となった以上、義父といえども城に入れるわけにはいかない」と申し出を断った。
止むなく昌幸が近隣の正覚寺で休息を取っているところへ小松姫は子供を連れて現れ、昌幸の願いをかなえたと言う有名な話が残されており、このことを主軸に書かれている。
池波正太郎氏の「真田信之」について、徳川秀忠の真田嫌いは関ヶ原に遅延の原因となった上田城攻防に端を発している。家康が亡くなった後、真田家を取り潰そうといろいろと工作を行う。
信之の晩年で隠居している頃、時の老中・酒井忠清が難癖をつけて真田取り潰しを目論むが、信之は家康から真田家安泰への密書をもらっていた・・・これが真田家を守ることとなり、信之は遂に明治維新まで家名を守ったのである。
以上の6編については、いろいろな場面で知見を得ており、真田戦記物で読んでいたが、新宮正春「安南の六文銭・・真田の忍び」はこれらとは異質の真田小説であった。
その異色の物語は、何となんと大阪城で秀頼と運命を共にした幸村の嫡男・真田大助、実は大助は、幸村から密命をおびて薩摩に逃れ再起を期したが、無念の最期を迎えた。
その遺児・幸広は、忍びの次兵衛と共に安南(ベトナム)の日本人町に逃れ、六文銭の旗のもとすくすくと育ったが、時は流れ日本では徳川幕府の手によって鎖国令が出されていた。
これにより、日本に帰国することができなくなり、安南の日本人町で大助の遺児・幸広たちは、連日目的のないままの生活を送ることとなった。ところが、ある時ポルトガル人との間に諍いが起こって・・・・。そして、物語のお終いに幸広の思わぬ出生の秘密が解明された。
独特の雰囲気と異国での荒んだ生活ぶりなど、今までの真田一族の物語とはいかにも異質の物語となっているが、どこか不思議と惹かれるものがあった。
どこに惹かれてしまったのか、それでも実に面白いのである。
正に執筆者たちも”機略縦横”である。(夫)
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