そんなわけで。
セカンドオピニオンの病院から元の病院に戻ってきました。
その2日後に医者同士の勉強会で
「私が診ます。」とおっしゃったというDr.のところへ。
たらいまわしが一周戻ってきたらば、
次のDr.の診察室が前肝臓内科Dr.の診察室の隣だった
というオチつきでした。
診察室に入って、姉がここまでの経緯を説明したところ
「それは大変でしたね。」
とおっしゃっていただけました。
はい、ほんとに大変でした、この1か月。
腹水に対しては入院適応の利尿剤があり、
効くかどうかは人によりますが、それをやりましょう。
ということで、再入院が決定しました。
「サムスカ」という利尿剤です。
8月退院時に処方された利尿剤はフロセミド20mg。
セカンドオピニオンで行った病院でこれに追加して
アゾセミド30mg、スピロノラクトン25mg。
そして、入院でサムスカ7.5mgが追加。
入院時に54kgぐらいあったのが、毎日体重が順調に減っていき、
入院して4日目ぐらいに大量に尿が出てお腹がぐんと小さくなって、
無事7kgぐらい体重が減って、1週間ほどで退院できました。
腹水が溜まりまくっていたせいでまともに歩けなかったのが
腹水が減ったら歩きやすくなったそうで、
退院時は車いすにも乗らずにゆっくりですが歩いて退院できました。
退院の2日後には一族恒例の墓参りがあり、
それにも、よたよたしつつ参加できました。
「墓に入りそびれましたって挨拶しとき。」
というブラックジョークを飛ばしたのは私です。
退院後は4種類の利尿剤が継続でしたが、
少しずつ減って、今はサムスカ7.5mgとスピロノラクトン25mgだけです。
利尿剤を使っているとカリウムが下がるので、
処方されていたアスパラカリウムも半分に減りました。
1.8ぐらいまで下がっていたアルブミンも3台にまで復活。
中途半端にやった1コースだけの抗がん剤のおかげで
IgGも3000台継続で、白血球も3000ぐらいにまで復活しました。
結局、最初の肝臓内科のDr.の言っていた
「肝臓に変化はないので血液内科の副作用。」
というのは当たっていたということです。
(ヤツは性格には難があるが、腕には問題ないというのが定説)
肝臓内科と血液内科、どちらにも腹立たしい思いがありますが、
末期で看取りといった血液内科のほうがより罪が重くないか??
というか、同僚なら、ヤツが仕事せんっていうぐらいわかってるはずだ。
(患者だって知ってる。)
腹水が減って元気になったのはよかったけれど、
元気になったらなったで、また腹が立ってくるという。
姉は同じ医療者として、どう考えても今回の事件は許しがたいと言って、
結局、二人で相談窓口の看護師長さんに今回の経緯を訴えました。
平たくいうと、クレームってやつですね。
「そんなことがあったとは俄かには信じがたいです。
でも、両方の先生に確認したうえで、院長にも報告します。」
と言っていただき、後日、院長より
「私から責任をもって指導します。」
という返事はいただきました。
。。。ほんまやろな。。。
私自身は二度と血液内科のDr.の顔は見たくなかったのですが、
母がそのままで言いというし、
亡くなった友達に免じて許すしかないか・・・と思うことにしました。
(それでも、今も時折腹がたってくる。)
血液内科のDr.は患者に神のように崇められているので、
患者からクレームきたのなんて初めてかもしれません。
大病院の看板を背負っていると、いつの間にか過信が生まれたのかも。
バックの力を自分の力だと思ってはいけない・・・というのは
他山の石として、自分自身にも戒めたいです。
5月末から、忙しいはずの弟も折を見て帰省してくれて、
10月には介護ブザーを取り付けてくれました。
その日以降、数か月ぶりに自分の部屋に戻って眠ることができました。
我が家はきょうだい3人の仲がいいので、
乗り切れたのだろうとは思います。
3人寄れば文殊の知恵といいますしね。
(&ほぼ4人目として僧侶の友達が暗躍、違、めっちゃ助けてくれました。)
今回をもって、この半年間のお話は終了です。
なんとか、年内に終わりました。
現在の母は家事もだいぶこなせるようになり、
買い物は私と一緒に行っていて、
老人会の活動も再開させました。
今、仕事がめちゃくちゃ忙しいので、
母が復活してくれて助かっています。
明日から年末までやるべきことを片付けていきましょう~。
(ただし、現在は水星が逆行しているので、なかなか物事がうまく進みません。💦)
お母様が元気になられて良かったです。
3人のお子様の協力のおかげですね。
私はどこかに医者を信じていません。
というのは、義父が大病院の事務局長をしていました。
義父が言うには、医者なんてろくでもない奴ばかりだと言っていました。
医者の裏面をよく知っているからだと思いました。
お母様のこと、ほんとにほんとにお疲れ様でした。
あまりよい言い方ではないかもしれませんが
あゆさんとお姉様の粘り勝ちかと
姉弟のチームワークのよさは
親の介護をする上で必要不可欠だと思います。
私は昨年認知症の母の治療のあれやこれやで
セカンドオピニオンもいたしました。
語弊があるかもしれませんが
相性がよく、安心して診てもらえるお医者さんは
こちらから探しにいく必要があるのだなと
そして探しに行くだけでなく
運も必要なんだなと思った次第です。
(ケッコンもきっとそうなんだな^^)
お母様がそこまで回復されたのは
個人的にちょっとうらやましく思いますが
ご家族みなさま
できるだけながく健やかに過ごせること
祈ってます^^
どうなるのだろうと、ハラハラしながら読みました。
お母様もあゆさんがおられたから、がんばられたと思います。
今日、膵臓の受診日でした。
母の死のことも話しましたが、主治医は「そうやったね」だけでした。コロナ陽性で、ぐったりしてるのに、自宅療養して亡くなっているのにです。がっかりしました。
寒くなりますので、お身体ご自愛くださいね。
それにしてもお母様の生命力には脱帽です
よくぞ復活されました、お見事です
姉弟仲の良いことも素晴らしい、一人っ子の私にはうらやましい限りです
あゆさん、お体ご自愛下さい
すぐにこちらにはコメントを入れていただき恐縮しております。
あのまま医者の言うことをうのみにしていたら、今頃は喪中はがきを書いているかもしれません。
無用な延命はいりませんが、元気になるのであれば治療はしてほしいですね。
>義父が言うには、医者なんてろくでもない奴ばかりだと言っていました。
>医者の裏面をよく知っているからだと思いました。
姉からも色々聞きますが、概ね同意でございます。
だいたいがお金に汚いですね。
あと、自分たちが頭がいいからといって、庶民は見下して当然と思っている方も多いようです。
ただ、たまには本当に表裏のない、腕のいいDr.もいるようです
・・・が、そういう人は大病院では出世できないようです。(笑)
看取りといわれて納得したら終わってましたからね。
年齢も年齢ですが、二人とも、いや、まだ寿命はあるだろう、というのがあったのと
20年前から肝硬変末期と言われ続けているので
多発性骨髄腫はともかく、肝硬変でそんなに早くは死なないだろうとも思いました。
が、その後の経緯を見る限り、血液内科のDr.は本当に末期だと思っていたらしいので、
やはり医者の能力の当たりはずれ、というか、医者の言うことを素直に信じてはいけないなあと思った次第です。
>運も必要なんだなと思った次第です。
何事も運は必要ですね。
母の今回の紆余曲折を思うと、私は良い主治医に恵まれたなあ。。。と感謝の心が芽生えました。(笑)
母もいつまで元気でいられるかわかりませんが
もう少し人生を楽しんでほしいです。
もう少し元気になれば家族で旅行に行こうと計画しております。
いつもいっている病院なのに入院できないといわれるのはつらいですよね。
もし、あの時に入院対応できていたら・・・と思われるかもしれませんが、
サクランボさんは十分お母様によく尽くしておられたと思います。
お母様もお幸せだったのではないでしょうか。
>お母様もあゆさんがおられたから、がんばられたと思います。
ありがとうございます。
でも、どっちかっていうと私は日々の通院とかで完全グロッキーだったので、
姉と僧侶の友人が頑張ってくれましたね。
遠くの親戚より近くの他人、というのも実感した今回の事件でもありました。
母は、シベリア抑留の生き残りで享年105歳の祖父の娘ですから、
やはり生命力が半端なかったのだろうと思います。
最初の肺炎の時に、今後は在宅酸素生活かな?とも思ったので
多少足が弱ったとはいえ、日常生活を問題なく遅れるようになったのは本当にうれしいです。
弟が帰省してきたら、深夜まで何をしゃべってるねんと思いつつ、
毎回しゃべりたおしている私たちきょうだいです。