まったり アイマス2

アイドルマスター2 超ライトユーザーのプレイ日記

3905. 計算機序論

2022年11月25日 | 日記

 何やらサッカーのワールドカップで我が国代表が活躍したらしく、ネットが騒然としています。私の少年時代なんかだとまさかサッカーで世界と戦えるとは夢にも思わなかったです。それでもサッカー漫画やアニメはありましたし高校サッカーはある程度の人気を誇っていましたから、スポーツの中でも突出している感じはありました。

 その私の少年時代の頃の本、電子計算機基礎講座は3冊取り寄せて、昨日読んだのは数学者一松信先生の「計算機序論」です。1973年刊です。これが読みたかったので、参考にと計3冊取り寄せたのでした。

 私が古典数学 ― 20世紀前半までの数学、との繋がりとして重宝している共立・数学公式の改訂増補版は1969年刊で、電子計算機の項目が新規に取り入れられていて、その参考文献に一松先生の名前が複数あります。一松先生は生粋の数学者ですからその頃は我が国の関連各分野のトップの頭脳が1950年代に突如として出現した真空管(エレクトロニクス)の化け物、電子計算機を何とか産業利用しようと必死になっていたことがうかがえます。つまりすでにその頃には一松先生は学術界の有名人だった、ということ。

 何だかなれなれしく言うのも、つい最近のとある古典幾何学書の翻訳計画(出版済)で一松先生と関わってしまったからです。もちろん現在も雲上の方なので直接お会いしたことはありません。ただそのために20世紀前半の数学を知っている同氏の数学への取り組みについてある程度知りたいと思った訳です。その私との接点の一つが計算機科学ということ。

 intelの4004と呼ばれる世界初のモノリシックIC上に描かれたCPUは1971年のことで、パーソナルコンピュータを可能とした同社の8080は1974年ですからその頃の我が国の電子計算機業界の実情がある程度分かります。このあたりの事情に関してはTRON OSで有名な坂村健氏(一松氏より25歳ほど若い)の記述が有名ですが、それとは別の視点が分かります。

 とはいえ、電子計算機基礎講座では少し遠慮なさったのか、あるいはもうすでに自身の社会的影響力を考慮してか、無難な記述になっています。当時すでに50歳あたりで、当時ですからそろそろ人生のまとめに入る時期の感じだったのだと邪推します(その50年後の今もご健在です)。1974年の日付が入っている巻頭の端書きでは、本書の内容についての壮大な計画があったことを示唆しています。計算機体系設計哲学と書かれていますが、現在の言葉ではおそらく計算基礎論でしょう。ここは少し以前に本ブログで話題にしたラムダ計算あたりを指していると思います。

 我が国の第五世代コンピュータプロジェクトは1982年からの話で、私が学問界に関わったのはその頃ですから、時代が10年ほど遡ります。邪推するに、最初は高速な算盤のつもりで我が国は電子計算機に接近したのだと思います。この本でもそんな感じです。が、肝心の米国では(おそらく欧州でも)ごく初期から計算行為の論理構造に注目していた(多分、あくまで一部のみとはいえ)ので、一松先生はそれに気付いたのだと思います。しかし、我が国政府は電子計算機のハード面のキャッチアップにすでに全力で邁進していた、と想像します。さあて、どうするか。

 偉そうに言いますが、今の観点から言うと計算基礎論と数学基礎論のギャップは私にはほんの少しの違いにしか見えません。晩年(と言ったら失礼か)の著作「数の世界」でその話題に回帰しているので、華々しい微分幾何学や統計・確率の現代風展開とは逆の方向に、もしかしたら関心が赴いたのだと想像します。

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