まあなので、今の私の関心事は20世紀後半の数学教育の主軸となった線形代数と微積分の2本柱の直前までの西洋数学のあり方にあります。
人物で言うとやはりガウスが古典数学の中心に来るみたいで、初期の方はニュートンとライプニッツ、オイラーが目立っていて、山場はリーマンやクライン、とどめを刺してしまったのはヒルベルトやゲーデル、といった感じ。奇しくも宮廷音楽/教会音楽の後期からブルジョア階級台頭期に極限まで発展し、労働者階級(サラリーマン)が普通の人々になった20世紀中頃に瓦解した(ように見える)クラシック音楽と重なります。
ちなみにクラシック音楽らしい大仰なクラシック音楽は見られなくなりましたが、系統で言うと映画音楽や私の感想ではアニメ・ゲーム音楽が大衆娯楽の一種として今も手法上も引き継がれていると思います。異論は認めます。
さて一昨日だったか、終日出張シリーズが終わってやっとのことで近所のショッピングモールに朝食と称してお出かけ可能になった時のこと。平日の昼間から賑わっています。
昼休みに湧いてくるサラリーマンだけでなく(海外からを含む)旅行者や近所の人々で、世界全体としては景気の良いことがこんな所にも伝わってきていると思います。
で、いつものように科学雑誌系を確認しに隣接する大型書店に行きました。目当ての数学雑誌などはまだ棚に無く、技術系の書棚を経て新刊コーナーへ。なぜか目に付いた数学史の文庫本を購入しました。奥付付近を見ると15年前くらいの新書を学術文庫に編入したもののようです。もちろん購入目的は20世紀の前半と後半でなぜこうも日本の数学が変質してしまったかの謎解きに役立つかも、と思って。
すらすら読めると思ったら、どうも偽書というか奇書というか、数学自体の解説はgoodなのですが時系列が壊滅的で、私(著者)の考えた数学物語、の印象。卑近な例で言うとゲーム解説本の感じ。(と思ったので正確な著者名と書名は述べません)
つまり、古代の生活に密着した数学から抽象数学へ昇華していった、というのが著者の歴史観のようです。うむ、まさにクラシックです。
しかし、編集者がやばいと思ったのか、数学教育に関心のある著者よりも15歳ほど若い、とある高齢数学者に依頼して7ページの解説を巻末に追加しました。ここを読まないと現在の読者には危険だと思います。つまり、20世紀中盤まではたしかに数学界はそうだった、のだが今は少し様相が異なる、ということ。
が、この解説にも問題があって、何とナショナリズムとグローバリズムの相克が数学界にも見られるのですと。音楽歴史家によるとクラシック音楽にも同様の相克があるらしく、具体例を言うとベートーベンはグローバリズム指向で、ワーグナーはナショナリズム指向だとのこと。
いや、この解説では産業界の動向に触れているので私はある程度なるほどと思いましたが、さすがにグローバリズムの下りはついて行けません。
こうなった理由は私の妄想によると我が国における数理論理学の軽視、つまり数学が必須としている「証明」とは何か、の観点がすっ飛んでいるからだと思います。今の線形代数と微積分は現代版読み書きソロバンの算盤と私は思っています。これはこれで極めて有用と思いますが、数学のすべてと思ったら大間違いで、思考を修正するには上述した古典を読めですが、時代背景、特に西洋の一般科学(自然哲学)の推移もついでにお忘れ無く、とは私の感想です。