京都発・町家・大工はんなり日記

京都で仕事と道具を楽しみながら毎日過ごす。

昨日のつづき。

2009-02-12 17:37:07 | Weblog
昨日のつづき。

作った棚を据え付けると孫が来て眺めています。

「僕の大事な遊び場にこんな物を置いて」と言わんばかりです。

もう少し立つとここに自分の物を片付けてくれるようになるでしょう。

それも又楽しみなことです。

今日仕事帰りによると可愛い笑顔で迎えてくれました。

良い子に育っているようです。

「こんにちわ」とか「バイバイ」解ってきたようです。

お勧めの曲はビートルズで“This Boy”

棚作り。

2009-02-11 16:46:16 | Weblog
棚作り。

孫も早い物でもうじき1歳になります。

ぼちぼち動きも早くなってきて目を離すとなにやら悪いことをしているようです。

知恵が付いてきた証拠ですが危ないことは困ります。

そこでこんな棚を置いて危ない物は上に置いて置こうというわけです。

そんな訳でこんな階段棚を作りました。

車で運べないので一番上は取り外してあります。

まずは1歳のプレゼント。

健康で良い子に育ちますように。

坪糸。

2009-02-10 17:06:59 | 道具箱
坪糸。

墨坪の糸ですが細くては弱いし太くては仕事が雑になりそうでなかなか決めにくいのです。

この墨坪の糸は織り屋さんから頂いた物で絹糸です。京都西陣で帯を緒って居られる方です。

作業場のみで使っていますが今のところ問題なく使わせてもらっています。

まだ使って間がないので耐久力は解りませんが墨の吸い込み具合はとても良い感じです。


そしてこの墨坪は少し小振りの6寸ですが片手で使えてとても重宝しています。

荏胡麻を染みこませたので汚れも付きにくく良い色合いで少しずつ艶も出てきました。

これからが楽しみです。

お勧めの曲はジャンとディーンで「パサディナのおばあちゃん」 

チョット大きな鉋戴いてきました。

2009-02-08 22:30:42 | 道具箱
チョット大きな鉋戴いてきました。

銘は庄助です。現場のおじいちゃんが使われていた物で埃を被って綺麗に拭いてここまでになりました。

これでも結構迫力有りますよね。

裏は共裏が付いていました。

この後、とりあえず錆の状態でも見てみようと少し落としてみましたが鋼に垂直には入っていないようで安心しました。

刃幅4寸より少し小さいです。台の状態もよくありませんので使うのにはかなり手を入れなくてはならないでしょう。

お勧めの曲はゼムで「グローリア」

それも楽しみですから気長にやってみます。


清久ファン倶楽部102。鏝鑿

2009-02-07 17:23:11 | 道具箱
清久ファン倶楽部102。鏝鑿

素晴らしい鏝鑿が届きました。サイズは6分。

それも顎付きです。この鑿も金物店さんが昭和53年に注文をされたのを復元して頂きました。その時同時期に山田常五郎さん(常弘鑿)にも注文されていたそうです。
そういえば阿保さんのHPに平治さんが復元されたのが載っていますよ。

うっとりさせるラインを持つこの鑿使う所を想像して毎夜眺めているここ何日かです。

もちろん焼き戻しは100°でお願いしてありました。

特に美しいのはこの顎の付いている裏、吸い込まれそうです。

いつもの如く柄は矢沢さんの山桜を入れて頂きました。

大切に使わせて頂きます。

お勧めの曲はバレンタインも近いのでビートルズの「フロム・ミ・ツユー」

大徳寺2。 唐門

2009-02-06 23:28:18 | Weblog
大徳寺2。 唐門

思わずため息が出てしまいました。

豪華絢爛とはこのことでしょう。

漆の上に見事な彫金金具全く隙のない仕事がしてあります。

色彩もあでやかですが上品さは全く損なわれていません。

ゆっくりとご覧下さい。

この唐門 (国宝)聚楽第の遺構と伝える。華麗な装飾彫刻と彩色を持つ桃山建築です。

唐門
村上周防守義明が豊臣秀吉の聚楽第にあったものを拝領したと伝えられてきたが、
2000年から始まった400年ぶりの解体修理の際、”聚楽第遺構”と書かれた木札が
発見され、その信憑性は高まった。

2003年春、解体修理が終了し、建立当時の色彩が蘇った。

この門が有名なのは建築としてよりも、それを飾っている彫刻の豪華さ、豊富さにあり、彫刻を見せるために建築を利用したようなものである。

この門に用いられている彫刻や金具などは、多くの動植物(鯉・鶴・孔雀・麒麟・鳳凰・虎・獅子・椿・桃・松・竹・葡萄等)や自然物(雲・波・太陽)から取材されている。

金具には菊・桐・桐唐草などや一般の唐草などが盛んに用いられている。

このような彫刻に出てくるものは当時の障屏画などにも見られるもので、絵画の立体的表現がこの彫刻だともいえる。
この門には”日暮門”という別名がある。

この門がまだ聚楽第にあった頃、「あまりの豪華絢爛さに見とれているうちに
日が暮れてしまった」ということからその名がついた。





針。

2009-02-06 07:06:22 | Weblog
針。

寒さの中の仕事で腰に来てしまいました。

上手い具合にその日の現場の娘さんは針灸師さんです。

だらしない格好で申し訳ありません。

治療をしてしまった後しばらく眠ってしまうほど心地よかったです。

翌日はかなり楽になってきましたので又お願いしようと思っています。

その時はよろしく。

残り鍋。

2009-02-05 17:35:04 | Weblog
残り鍋。

先日から風邪でお医者さんに行くと熱があると言われて元気なくなってしまいました。

買い物に行くのも辛いので家の中にある物で鍋です。

美味しいのでついつい食べ過ぎて仕舞いそう。

最後はやはり雑炊にしてしまいました。

ゆっぱり冬は鍋ですかねー。

お勧めの曲は吉田拓郎で『古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう』

大徳寺見学会。

2009-02-04 16:59:15 | Weblog
大徳寺見学会。

先週の日曜日大徳寺見学会に行って来ました。

案内は雲林院ご住職の藤田寛蹊さんです。

非常に歯切れの良い話し方で説明も旨くよく理解することが出来ました。

まずは山門(三門)に上がらして頂きました。

お寺など建物は近くで見ると柱もご覧の通りピカピカには仕上げてないのですが全体を見ると実にバランスが良いのが解ります。

三門 (重要文化財)
二層の山門。連歌師・宗長の寄進で享禄2年(1529年)にまず下層のみが竣工し、天正17年(1589年)、千利休が上層を完成させて金毛閣と名づけられた。利休は上層に自身の木像を安置した(つまり、門をくぐる者は利休の下を通ることになる)が、これが豊臣秀吉の怒りを買い、秀吉はこのことを楯に利休に自決を迫ったという。

経堂 (はっとう、重要文化財)
寛永13年(1636年)、小田原城主稲葉正勝の遺志により、子の正則が建立した。

鐘楼

そしてどの角度から見ても美しい山門。