昨日亡くなられたという・・・今日の夜mixiを開いて知った。。
『短歌』5月号には3ケ月前からものが食べられないという歌が。。
『短歌』7月号には夫君の永田和宏氏が河野裕子さんの容態が予断をゆるさないという談が載っていた。。
それでも信じたくなく・・もう少し先と思っていたかった。
人の悲しみを図ることなどできない・・しかし単に配偶者ではなく、ともに歩む歌人であり結社「塔」を支えあってきた同志であり・・・永田和宏氏の悲しみはと思うと。。
ご冥福をお祈りします・・ありきたりな言葉で。。
河野裕子は好きな歌人ではない(初期の歌を除いて私の好みの傾向の歌でない)と何度もいろいろな場所に書いていても、なぜかとても気になって情報を集めていた。
本当は好きだったのだなと思う。。
歌人としてではなく、生身の人間として魅力的な方。
真っ直ぐに生きてきた方。
恋に子育てに、日々の生活に全力投球の方だった。
家族への愛の深い方だった。
河野裕子さんの歌くらいその生活の様子が透いて見える歌はなかった。
永田和宏さんとの日常の夫婦の生活を想像してしまったり。。
こんな夫婦になれたらと羨ましい気持ちになったり。。
今日はお盆の手伝いで疲れ果てていたのだが・・・書かずにいられなかった。
僕は一昨日、新聞で知りました。
思わず「あっ!」とひと声あげたあと、なにも言えなくなってしまいましたが、すぐに河野さんのことを心配しておられた沙羅さんのことを思い出しました。
新聞の連載記事でもお元気そうに思えたので、僕もまだまだ大丈夫だろうと思っていましたが、突然のことで本当に残念です…
わたしも(沙羅さんはご存知のように)河野裕子さんを尊敬し、好きだった者のひとりですから、なにか大きな穴が開いたような感じがしています。
出雲で永田和宏さんが急いで帰られたのを見て、だいぶお悪いのだなあ、とは思っていましたが…
沙羅さんがおっしゃるように、永田和宏さんはじめご家族の悲しみはわたしたちとは比べようもないものでしょうね。
もう新しい歌を拝見することも批評を拝見することもできない。淋しいかぎりです。
亡くなられた日もそうだったそうです。
歌人としての生を全うされたこと見事としか。
でも悲しくて寂しいです。
今日は近江地方の醒ヶ井に旅してきました。
真水という言葉を河野裕子さんはお好きしたね。
近江は清らかな豊かな水の国・・河野裕子さんの感性を育てたのは近江の風土だと思うのです。
また記事にアップするつもりです。