アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

縁遠い機関車だった「EF61」

2019-03-25 15:00:00 | 国鉄時代(カラー)

アントンKが関東で鉄道撮影を長年続けていて、あまり馴染みのない電気機関車にEF61がある。少数にとどまり、地味な直流電機というイメージがあったが、いつごろまで活躍していたのか定かではない。ここでいうEF61とは、瀬野八用にEF60から改造を受けた100番台や200番台ではなく、SG(蒸機暖房)を持っていた0番台のことだ。その当時はEF58の代わりにも成り得ただろうが、そんなことも叶わずフェードアウトしてしまったから、不運な機関車と呼べるかもしれない。

アントンKが知っている時代は、定期で荷物列車の運用を持っていた時代。しかし浜松以東には入線せず、なかなかお目にかかれない機関車だったのだ。確か当時の荷36レ~荷31ㇾだった記憶があるが果たして?きっとゴハチに混じって臨時仕業等をこなしていたことと思われるが、そんな列車には縁遠かった。御多分に漏れず晩年には、1灯の前照灯のシールドビーム2灯化が進み、撮影意欲が減退していったことも記録が少ない理由かもしれない。

掲載写真は、三河大塚の大築堤をいくEF61の荷物列車。これくらい遠目の写真だと、当時EF61なのか何なのかよく見えず、不満足だった記憶が蘇ってくる。今となってはまだ駆け出しの時代。こんな意識も仕方がないか・・

1979-05     荷31ㇾ  EF615   東海道本線:三河大塚-三河三谷


フランスの香りに包まれたトリフォニー

2019-03-23 19:00:00 | 音楽/芸術

新日本フィル「トパーズ」公演に行ってきた。

今回の聴きどころは、何といってもメインに置かれたマニャールという作曲家の交響曲だろう。フランスのブルックナーと言われているそうで、そんなことも知らなかったが、果たしてアントンKもそう感じるのかどうか、何の予習もしないまま錦糸町へ向かった。

アントンKの趣味の一つである音楽鑑賞は、今はその大部分がクラシック音楽になってしまった。昔は多岐にわたってよく出向いてライブや演奏会に行ったもの。レコードやCDもとりあえず手に入れて、聴き倒し、気に入らないと処分することを繰り返していた。もともとクラシック音楽は、親父の趣味であり、幼少の頃から随分聴かされていたようだった。ようだったというのは、後日談であり、アントンKがまだ意識してない時代から、親父のひざに座り一緒に音楽を耳にしていたらしい。ただ親父と決定的に違うのは、楽曲の聴き方の違いで、親父の聴き方は、ありとあらゆるクラシック音楽の作曲家の録音の収集が主体だった。影に隠れた多くの作曲家の作品のレコードを、もちろん輸入盤で手に入れ、よく自慢げに話してたっけ。しかしアントンKは全く聴き方が逆で、一つの作品を色々な演奏家で鑑賞し、その相違を楽しんでいた。だからアントンKの鑑賞レパートリーは中々広がらないでいたのだ。もし親父が存命だったら、マニャールなんて言ったら、きっと驚嘆したに違いない。そんな懐かしさを感じながらホールを目指していた。

さてそのマニャールの交響曲第4番だが、まず思いのほか聴きやすかった印象をもった。フランス音楽というと、ラヴェル、ドビュッシーあたりを想像してしまうが、総じてテーマも解りやすく4楽章の構成なので古典的とも言えるかも。フランスのブルックナーと言われる由縁は、おそらく第4楽章中間部以降のことで、フーガやコラール主題の出現や、弦楽器の上にロングトーンで管楽器が鳴るといった構成から来ているのではないか。確かにそう思えなくはないが、やはり似て非なるものと感じた。和音の響きがやはり異なり、転調による高揚感や自然を感じさせる空気感は残念ながらなかったように思う。流石にいつもは暗譜で指揮する上岡氏も、今回は譜面台を置いていたが、それでもこの楽曲が身体に染みわたっているかのように、流麗に指揮を取り高貴な美しさを醸し出していた。そして何といっても、今回はいつにも増してオケ全体の意気込みも物凄かった。譜面を見た訳ではないが、楽曲の構成が難解で、とても演奏しづらいのではないかと思えた。ソロパートが交互に現れたり、ハープが雄弁に奏でたり、ティンパニがリズムをリードしたりと、あらゆることをマニャールは書きたかったのか。こういった印象も、実演奏を体験したからこそで、録音だけではここまで明確にはならないのではないか。

前半のモーツァルトの「パリ」、ラヴェルのピアノ協奏曲、そしてアンコールをも含めてもなかなかの秀演であり、今回のプログラムは、かなり玄人好みの印象をもった。

第601回 新日本フィルハーモニー交響楽団定期演奏会「トパーズ」

モーツァルト  交響曲第31番ニ長調 K297 「パリ」

ラヴェル    ピアノ協奏曲 ト長調

マニャール   交響曲第4番 嬰ハ短調 OP21

アンコール 

ラヴェル    組曲「鏡」第2曲~悲しげな鳥たち

ボワエルデュー 歌劇「白衣の婦人」序曲

指揮      上岡 敏之

ピアノ     クレール=マリ・ル・ゲ

コンマス    崔 文洙

2019年3月22日 すみだトリフォニーホール

 


模型屋さん巡りから・・

2019-03-21 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

鉄道趣味のきっかけは、模型の収集に始まった。当時、魚籃坂下にあったカツミ模型店に行き、初めて誕生日にプレゼントされたのが581系電車。最初から編成ではなかったが、それでもエンドレスにレールを敷いて走らせた時の感動は今でも鮮明だ。その後、西荻窪のニットー教材、三鷹のトリオ商会、この2つの模型屋さんには、大変思い出が多い。休みの日には、まず自転車でこの2つの模型店を巡ることが日課だった。特に、三鷹にあったトリオ商会は、線路沿いの三鷹電車区の目の前の立地であり、何かと刺激を受けた場所でもあったのだ。

ある時、いつものように自転車で模型屋さんに出向いた時、ふと電車区を見ると「ぶどう号」と大きなヘッドマークを付けた70系電車が止まっていて、カメラに収めたいという衝動に駆られたのだった。これがおそらく鉄道にカメラを向けるきっかけになった出来事だろう。この時は、撮影出来なかったが、これ以来、カメラを持ち歩くようになっていった。普段は見られない臨時列車は、電車区の事務室を訪ね、快く教えて頂いたことも懐かしい出来事となった。

こうしてアントンKの鉄道写真撮影が始まったが、今振り返って考えてみると、本当の初めは、単なる通勤電車から始まっていることに気づかされる。そして、まだ幼い少年を相手に丁寧にご指導して頂いた鉄道マンに出会ったからこそ、この趣味の奥深さを将来知ることになる訳だ。

掲載写真は、当時のものから中央線の貨物列車を1枚。現在は知る由もないが、三鷹電車区の脇から撮影したもので、模型屋さんに行っては、この付近で撮影していた、アントンKには聖地なようなもの。今見ても大変懐かしい写真なのである。

1976-03-12   3485ㇾ EF15 8         中央線:三鷹-武蔵境にて


米原機関区撮影会にて

2019-03-20 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

機関車の撮影会と言えば、昨年久々に姿を現したEF5861の禁断の撮影会が思い出される。もっともこれは、夏休みのイベントとして大井工場が行った純粋なものではないが、アントンKも久しぶりにこの手のイベントに参加して、そのファンの多さ、年齢層の広さに驚いた。

アントンKも、長年鉄道写真は撮影してきたが、機関区内での撮影はほとんどしてこなかった。撮影してきた大部分が、走行写真と呼ばれる分野になり、動いている列車を写しとめるといったもの。これが基本だった。もちろん国鉄時代には、機関区内で許可をもらい至近距離での機関車の撮影を楽しんだこともあるが、撮影の醍醐味や緊張感は、走行写真の比ではなかった。しかし現在のような、秒単位でカメラを構えてせわしなく撮影する撮影ではなく、もっと納得するまでわがままが言えるような、良き時代だった気がしている。

今回は、米原機関区で行われた撮影会の中から1枚掲載。九州のブルートレイン撮影旅行の往き返りに山口線へ立ち寄り、最後帰京の前に米原の撮影会に顔を出した時のもの。すでにこの時、荷物列車からはEF58は消滅しており、それまで活躍をしていたゴハチが集められ、最後の晴れ姿を我々に披露したのだ。生粋の米原機36号機、そして御召仕様?の74号機の並びを載せておく。

1984-08-04   EF5836  EF5874      米原機関区にて


現実逃避の一瞬を求めて・・

2019-03-19 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

古い画像を並べては、その当時の想いを忘れないうちに書き留めておく事が続き、何だか自分のための備忘録のようになってきた。世の中も大きく変わり、趣味の考え方も多種多様となり、ネット環境でのブログという物の使い方も人それぞれだ。アントンKもこの先どのくらい継続できるのか、よくわからないでいるが、今はこんなスタイルで書き進めればと思っている。演奏会でも、直近のレビューのみならず、過去の思い出の演奏会や、お気に入りのレコードなども書き残していけたらと考えている。将来自分自身で読み返して、その時また新たな発見があるようなものを書きたいが、駄文の羅列に呆れてしまうだろうか・・・

社会人になり数年も経つと、すっかり時間の使い方にも余裕が生まれ、仕事の合間にチョコチョコっと撮影する時間を持つことができた昭和時代。そういった意味では、当時は恵まれていたかもしれない。仕事で毎日のように出入りしていた横浜守屋地区。ここの近くには、今でいう高島貨物線が通っていて、新興駅という貨物駅があった。当時アントンKは、この新興駅をほぼ毎日のように横目で見ながら職場へ向かっていた。必要以上に大きなカバンを涼しい顔をして持ち歩き、必要とあれば、コソッとカメラを構える。スーツにネクタイ姿だが、そんなことはお構いなし!最寄り駅は、新子安駅ということもあり、お昼休みには、荷33ㇾと場合により8111ㇾの2本のゴハチを仕留めて、満足して戻る至福の時間が持てたのだった。当時世間では、この2本の列車のことを「昼のプレゼント」と言っていたが、好みの機番が現れればウハウハで、その日一日がハッピーデーに変わった単純な自分。とても懐かしく思い出される。そんな時代だが、ある時、高島貨物線にゴハチが通ったことがある。その時の写真を掲載してみたい。記録帳には「ミステリー鉄道記念日号」と記述があるが、EF5861が旗を左右に掲げてゆっくり現れ、度肝抜かれたことは昨日のことのようだ。この時、撮影ポイントもままならず、入れ替え中のDE10に邪魔される形で、思うように撮影できなかったのだ。憎きデーテンが行きかう中だから、よく考えればなんてことないはずだが、そんな悔しい想いが今も湧き出る画像を戒めの意味で載せておく。30年以上前の痛恨の1枚だ。

1986-10-14   EF65861 ミステリー鉄道記念日号  高島貨物線:新興駅付近