アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

マゼール/ミュンヘン・フィル 絶好調!

2013-04-18 23:54:15 | 音楽/芸術

マゼール指揮するミュンヘン・フィルの演奏会に行ってきた。

最近では、なかなか食指が動く演奏会が少なくなり、欲求不満が溜まるケースが多い中、今日のプログラム後半のマゼールのブルックナーの第3番だけは外せないと思い、早めにチケットを入手していたのだ。このマゼールという指揮者、完全に実演で燃えるタイプの指揮者で、出来不出来も激しい(たぶんそう思う)が、一度スイッチが入ってしまうと、時にかつて聴いたことのないような演奏をするから、目が離せず、アントンKは注目している。かつて、マゼールは(96年頃?)バイエルン放送響を率いて来日したことがあった。このとき芸劇で聴いたブル8は、とんでもない名演で、今も忘れることはできない。ここでは、深く触れないが、純粋なブルックナー演奏か?と聞かれれば、それは違うと答えるだろう。どの曲でもそうだが、、このマゼールにかかれば、彼独特の世界感があり、彼の汗や体臭が楽曲にブレンドされていく。それが合うと思うか思わないかは、やはり聞き手の好みによるところだろうと思う。アントンKにとっては大変面白く興味深い演奏内容に感じている。こんな思いで演奏会当日を迎え、いささか興奮気味の心を抑えながら赤坂へ向かった。

今回のオケは、言わずと知れたミュンヘン・フィルハーモニー。このオケは、ブルックナーをやれば世界一だと断言できる。日本の大フィルがかつてそうだったように、ミュンヘン・フィル(MPO)は、ブルックナー演奏に特別愛着をもって演奏しているように思えてならないのだ。第一、演奏者たちの自信に満ちた表情はどうだ!この音色を持って、我々聴衆をいつもとりこにしてしまうのだ。クナッパーツブッシュに始まり、ケンペやチェリビダッケのブルックナー演奏が今も色濃く影響しているはずだから、そんな伝統あるオケのブルックナー演奏は格別なのだ。

さて、プログラムの前半は、ワーグナーの「タンホイザー」と「トリスタンとイゾルデ」から2曲。いつもだったら、前菜などいらず、いきなりブルックナーを聴きたくなるものだが、今日はちょっと違う。やはりマゼールが、どうワーグナーに立ち向かうか興味がつきないから、タクトを下ろしたときから集中できた。明らかに、後半の「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死に頂点を持ってきた内容で、しかし例によって、音楽の流れの起伏が大きくて、最初耳が慣れるまで苦労するくらい。しかしそれもすぐに同化していく自分がわかった。曲のクライマックスに向かう上り坂で、必ずといってよいほど、クレッシェンドとともにリタルダントを掛け、大見得を切る。これこそマゼールの神髄長だろう。楽譜の小節がわからなくなるくらいの微速前進や、全休符前は、和音をすくい上げるとでもいうべきタクトで、大袈裟にしっかり音楽を止める。これも多々散見できる解釈だった。後半でのブルックナーでは、この大きな全休符がホールの残響と相まって、とても心地よい世界を作っていた。

で、その後半のブル3はどうだったのか?今回の来日に合わせる形で、このコンビのブルックナーの第3交響曲のCDがリリースされたが、アントンKはまだ未試聴。少なくとも今日の演奏を堪能してからと決めていたからだが、現在もこのマゼール指揮のブル3は、結構所有している。大半が、ライブ音源のプライベート盤であり、あまり褒められたものではないが、どれも基本的解釈は同じと言ってよい。で、これらと比較して、これから聴く演奏はどうなっているのか検証してみたい。

第1楽章、冒頭からの序奏部は、思いのほか早めのテンポで始まった。極端に緊張を促すピアニッシモにならず、各声部がはっきり聴きとれるバランス感覚の良さが光る。やはり、ここだけとっても、指揮者マゼールの研ぎ澄まされた耳は普通ではない。ここから第1主題に向かって坂を上りつめ、先ほど言ったクレッシェンドとともにリタルダントが始まり、そして巨大な第1主題が現れる。このあたりは、今まで聴いてきたCDとはさほど差異は感じない。が、さらに洗練され、音の輪郭が明確化している。そして、それに続く弦楽器のフレーズの表情付けが艶めかしい。そして、何といっても、展開部からの、Tpに始まる金管のコラール辺りからの雄弁な解釈は絶品で、マゼールが、ブルックナーのシンフォニーの中でも、最も愛し採り上げている意味を感じることができるくらい的を得たものとなっていた。コーダの最後の音にフェルマータがかかっていても、驚きはしなかったが、その前の小節、ティンパニのトレモロを止めさせ、金管楽器に合わせたリズムを独立して叩かせ、しかも、メロディとは反転させた形で(ドーソ)叩かしていたのにはびっくり。これは初めての経験で度肝を抜かれた思いがした。

続く第2楽章は、アダージョ楽章で、全てのブルックナーのアダージョはアントンKの宝物だ。やはりこれを聴かずしてブルックナーは語れないと思っている。今日の演奏は、第3稿の最終稿で、一番短いタイプだが、メロディや音色が整理されていて聴きやすいことも事実。実際クライマックスでの、金管群の主張も見事で、それが目立ってしまう訳ではなく、全体に溶け込んでいるから素晴らしかった。特にコーダ前の200小節(練習番号M)からの下りが大変美しく、ここでは、やおもすれば、天にも昇らんとする弦楽器のメロディが、金管群にかき消されてしまいがちになる部分だが、さすがにマゼールは、絶妙なトーンで切りぬいており、ここでは自身涙してしまったことを白状する。

次のスケルツォ楽章も、各パートのバランスが素晴らしい。トリオ部の、弦楽器のピチカートの雄弁なこと!また、57小節から始まるHrn(1st)奏者の主張の素晴らしさ。この部分で、ここまで主張した演奏は、ウィーン・フィルとのライブCD以来か。

そして続くフィナーレは、スケルツォとの間をおくことなく、なだれこんでいった。しかし、前半のワーグナーの時から、益々オケの調子も上がってきており、このブルックナーでも、1楽章より明らかに3~4楽章に至っては鳴ってきており、奏者も曲に溶け込んで一体になってきていることがわかった。来日オケで、こう感じることはなかなかないことで、やはりこの曲には自信がうかがえる。演奏の方は、基本はやはり以前とは変わっていなかったが、提示部第二主題で、テーマの最後4小節目にリタルダントをかけることはわかっていたが、今日の演奏では、この部分にさらに大胆にアクセントをつけ、どこかの田舎の舞踊曲風になっていた。まあこれも、マゼールだから許される芸当だろう。自然に受け入れてしまうから不思議なものだ。(このやり方、以前ウィーン・フィルがアルノンクールと来日した時、何とモーツァルトでやっていたが、ちょっとそれとは違うかな?)

ますます絶好調でコーダに突入し、我々聴衆を熱狂させたマゼールとMPOであったが、こんなに熱く濃いブル3の後、アンコールで何といきなり「マイスタージンガー」が始まってしまった!前半使用したハープが舞台にそのまま鎮座してあったり、金管群に空席があったから、それなりに期待はしていたが、「マイスタージンガー」とは、マゼール/MPO恐るべし!といったところだろうか。通常、ブルックナーの後には、アンコールはいらない。ここで全てが完結し燃焼してしまい、心の整理がつかず、しばらく音は何もいらない状況になるからだ。でも、彼等は、「まだまだこんなものでは終わらないよ」とでも言いたげに、フォルテッシモで演奏を開始したわけだ。来日最終公演でもあるし、マゼールもよほど好調だったのだろうか。ご存じの方も多いとは思うが、このマゼールの指揮するワーグナー、特に、この「マイスタージンガー」第1幕への前奏曲は、恐ろしい演奏なのだ。この一曲で、マゼールのやりたいことが凝縮されているといってもよいくらいの解釈なのである。(SONY 35DC 45 マゼール/フィルハーモニア管で聴くことができるが現在廃番かもしれない)予想通り、CDよりさらに即興性も加わり、曲の後半では、その息の長い重厚な指揮ぶりに圧倒されまくってしまった。興奮冷めやらん会場をあとにして、4月にしてはかなり寒い赤坂を離れた。想定内と言えば、それ以上の内容で満足したが、そんな演奏会でも、満席ではなく、8割強といったところ。やはり日本で聴くには、チケット価格が高すぎると言わざるを得ない。ロリン.マゼール83歳。この個性のなくなりつつある音楽界に、まだまだ君臨してくれることを切に願って帰路についた。



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1 コメント

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忘れられない演奏 (こっこ)
2018-04-29 02:57:10
はじめまして。
このマゼールの演奏会を幸運にも聴くことができました。いまだにここ数年でナンバーワンの演奏だったと思っております。四月だからか、思い出されて、思わずコメントさせていただきました。
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