新しいイベントのしょっぱなのテーマ「森ガール」に紛れ込ませてボクは、少年時代から偏愛するある映画に触れないわけにはいかなかった。それが『シベールの日曜日』だった。この映画は日本公開は1963年(昭和38年)で、その年の『スクリーン』誌の洋画部門のベスト3に選ばれている。ちなみにこの作品はアカデミー賞の外国語映画部門のオスカーを受賞した。
この映画は近所の「根津アカデミー」(文京区根津二丁目あたりにあった名画座)で見た。ボクは15歳くらいで、多感な年頃だったが、中学生ころから「鍵っ子」だったボクは、よく「根津アカデミー」に通っていたのだ。以前、ジュール・ヴェルヌのことを書いたときに触れた『悪魔の発明』(カレル・ゼマン作品)もこの映画館のスクリーンで見たものだ。→http://blog.goo.ne.jp/angura_1967/d/20050402
そこはボクにとってのアカデミー=学士院だったに違いない。世界中の風土をそこで学んだ。ギリシャ、タヒチ、アメリカ、フランス、アフリカなどなど……。
そもそもボクが映画好きになったのは、こういう事情だったのかもしれない。東京に来て母が電気工事士のS氏と暮らしだし、新しく出来た親戚にS氏の妹さんがいて、つまり叔母に当たるこの人が浅草の「大勝館」のモギリをやっていた。当時は文京区千駄木三丁目に住み始めた頃で、小学生のボクは「大勝館」を顔パスで入ることができ、ロボットロビンが出てくるSF映画『禁断の惑星』などをタダで見ていた。浅草が銀座にならぶ、繁華街でにぎやかであった頃だ。
ボクは、小学4年生くらいで編入され道灌山の坂の上にあった千駄木小学校に通った。ヨタロウ(ヨタロウは落語からもあったが、その頃あった人気マンガの主人公の名)と呼んでいたYくんと仲良しになり、マンガを共作した。彼は坊主の息子で、ボクに「地獄絵」などを見せてくれた。友人としてのユタロウくんとの共通項はSFとマンガ好きだったことで、それもボクらはジュール・ヴェルヌを好んだ。
永遠の引っ越し少年だったボクとともだちになったヨタロウは、ボクとは違って「カギっ子」ではなかったせいか、ボクのようには頻繁に映画に通うことはできないようだった。そんな金をどこから工面したのか、いまでも不思議なんだが、ともかくボクは洋画は根津アカデミー、邦画は動坂シネマとよく行った。東映映画と貸本マンガで育ったようなボクの好みは圧倒的に洋画だった。
記憶にある限りの作品で、60年代半ば当時見たベストスリーを選ぶなら以下の作品を押す。その後、長い間偏愛し、また見たいと願い続けていた作品である。
1.『春のめざめ』ギリシャ映画、1963年(日本公開1964年)
2.『シベールの日曜日』フランス映画、1962年(日本公開1963年)
3.『チコと鮫』イタリア/フランス合作、1962年(日本公開1963年)
次点、『悪魔の発明』チェコ、カレル・ゼマン、1958年
個別の作品については稿をあらためよう。
この映画は近所の「根津アカデミー」(文京区根津二丁目あたりにあった名画座)で見た。ボクは15歳くらいで、多感な年頃だったが、中学生ころから「鍵っ子」だったボクは、よく「根津アカデミー」に通っていたのだ。以前、ジュール・ヴェルヌのことを書いたときに触れた『悪魔の発明』(カレル・ゼマン作品)もこの映画館のスクリーンで見たものだ。→http://blog.goo.ne.jp/angura_1967/d/20050402
そこはボクにとってのアカデミー=学士院だったに違いない。世界中の風土をそこで学んだ。ギリシャ、タヒチ、アメリカ、フランス、アフリカなどなど……。
そもそもボクが映画好きになったのは、こういう事情だったのかもしれない。東京に来て母が電気工事士のS氏と暮らしだし、新しく出来た親戚にS氏の妹さんがいて、つまり叔母に当たるこの人が浅草の「大勝館」のモギリをやっていた。当時は文京区千駄木三丁目に住み始めた頃で、小学生のボクは「大勝館」を顔パスで入ることができ、ロボットロビンが出てくるSF映画『禁断の惑星』などをタダで見ていた。浅草が銀座にならぶ、繁華街でにぎやかであった頃だ。
ボクは、小学4年生くらいで編入され道灌山の坂の上にあった千駄木小学校に通った。ヨタロウ(ヨタロウは落語からもあったが、その頃あった人気マンガの主人公の名)と呼んでいたYくんと仲良しになり、マンガを共作した。彼は坊主の息子で、ボクに「地獄絵」などを見せてくれた。友人としてのユタロウくんとの共通項はSFとマンガ好きだったことで、それもボクらはジュール・ヴェルヌを好んだ。
永遠の引っ越し少年だったボクとともだちになったヨタロウは、ボクとは違って「カギっ子」ではなかったせいか、ボクのようには頻繁に映画に通うことはできないようだった。そんな金をどこから工面したのか、いまでも不思議なんだが、ともかくボクは洋画は根津アカデミー、邦画は動坂シネマとよく行った。東映映画と貸本マンガで育ったようなボクの好みは圧倒的に洋画だった。
記憶にある限りの作品で、60年代半ば当時見たベストスリーを選ぶなら以下の作品を押す。その後、長い間偏愛し、また見たいと願い続けていた作品である。
1.『春のめざめ』ギリシャ映画、1963年(日本公開1964年)
2.『シベールの日曜日』フランス映画、1962年(日本公開1963年)
3.『チコと鮫』イタリア/フランス合作、1962年(日本公開1963年)
次点、『悪魔の発明』チェコ、カレル・ゼマン、1958年
個別の作品については稿をあらためよう。
僕もこの3作、見ました。印象に残っています。根津アカデミーだったか、動坂シネマだったか、はたまた、神楽坂の名画座だったかは定かではありません。
昔は、フランス、イタリア、スペイン、ロシア、イギリスと、結構ヨーロッパものが主流でしたね。でも、いまや、アメリカ映画、一辺倒。何とかないませんかね。
今年、連休にマリオンのイタリア映画際で3作ほど見てきました。質の違いを感じましたね。
ottocentoさんもこの3作をご覧になっていましたか!
あの頃のシネマに愛着をもつのは、とにもかくにも思春期に見たモノクロ映画(「チコと鮫」のみカラー)と言う要素が大きいと思います。
それにヌーベルバーグ以降、シネマという表現手段が一番完成され芸術的だったと言えると思いますね。
お元気で!
せっかく1,000円で映画館へ行ける年齢になったのに、見たい映画がないなんて寂しいことになりませんように……。
いい映画だったなあ・・・・