風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

聖少女・倉橋由美子

2005-06-14 22:33:58 | トリビアな日々
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今日も訃報と追悼の文章になるのかと思うとつらい。またその作家が10代のころ、スタイルとして影響を受けたひとであれば、なおさらだ。しかし、今回は思いきったことを書きたい。というのも、その作家自身がフランツ・カフカのエピゴーネンと目されていた作家だからだ。

女性学生作家のはしりであった倉橋由美子さん(以下敬称略)が10日、拡張型心筋症で69歳で死去した。倉橋さんが69歳にもなっていたことにも驚くが、彼女は1960年の60年安保の最中に『パルタイ』という明大の学生新聞に発表した作品で一躍世に知られた作家で、さもありなんであった。『パルタイ』とはドイツ語で、前衛党、党派つまりパーティのことである。政治党派を観念的に、ある意味カフカ的なとりわけ『審判』で描かれたような得体の知れない謎のようなものと描いた悪夢的な作品だった。
その流れは『スミヤキストQの冒険』でも、さらに敷衍されて拡大される。スミヤキストとはマルキストのパロディであり、この奇妙な命名は倉橋ワールドの悪夢性がイデオロギーや、思想性の批判、パロディを日本的感性でとらえたものだということが分かる。
倉橋由美子の文学の継承もしくは流れとしてどこに位置付けられるのかは、長い間文芸評論家という奇妙な職業のひとたちを悩ませたに違いない。

思いきって言おう。倉橋文学は観念文学の系譜にあると……。
『パルタイ』という作品が、いわば誤読されてきた背景は、日共(日本共産党)という組織がいまだ革命政党であるという幻想がなりたち、ソビエトロシアが中共が、それぞれの革命が波及して国際的な連帯(第三インター、第四インターなど)、世界革命を用意するものというとてつもない夢想が幻想されていた世界観のもとに規定されるだろう。
倉橋由美子と言う作家は、ある意味では早世の作家であったがゆえに一時(71年から80年まで)の沈黙を余儀無くされる。倉橋由美子はその沈黙の10年間にアイオワ大学に留学する。彼女に翻訳もの(絶筆となったのは『星の王子様』の新訳だったらしい)が、多い理由はこのへんに由来する。
沈黙(休筆)のきっかけとなった『暗い旅』(1971年)は不運な作品だった。そのスタイルが、ヌーヴォー・ロマンというかアンチロマンの作品のパクリではないかと揶揄されたのだ。だが、そんなフランス風のスタイルは当時、文芸評論のスタイルがおしなべて「構造主義」風であったのよりはましだった。文芸評論家もマスコミも、杓子定規な視点しか持ち得なかった。

倉橋文学の初期には、それでも『聖少女』『妖女のように』『蠍たち』『ヴァージニア』といった一連のアンチロマン風の主客を混乱させるような妖艶な作品がある。勝手な命名が許されるなら聖ロリータものと言いたい作品群だ。しかし、そこに登場する少女たちはこれまた飛び抜けて観念的な、現実には存在し得ないほどエロチックでそれでいて性を離脱していた。

実は、ボクはこれらの論考をただただ記憶で書いている。だから思い違いや、間違いもあると思う。しかし、倉橋由美子が生み出した少女たちは、読後35年ほど経っていても印象がうすれることがなかった。それどころか、ボクらはある時期、倉橋由美子的な少女・少年を生きようと空しい桃色遊戯にふけったことがあるくらいだ。倉橋由美子は当時、ボクらの聖少女として君臨した。いまはおそらく顧みるものがいないそれらの作品群にボクらは熱狂したのだった。だから、ボクらは深夜ジャズ喫茶のトイレの中で、恥垢まみれでセックスしても美しかった! そう、倉橋由美子さんのおかげで、ボクらは観念の中で美しかった! 奇妙だが、そうありえたのだった。

ボクらに、美しき観念の桃色遊戯を教えてくれた倉橋由美子さんに感謝し、その死去を哀惜します。合掌。


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2 コメント

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そうですか。お亡くなりになったんですか。 (おもとなほ)
2005-06-15 23:24:18
そうですか。お亡くなりになったんですか。
高校生の時、担任に勧められて、初期のエッセイとパルタイを、大学生の時に友だちに勧められて、聖少女を読みました。なんだかとても冷たい視点で一生懸命頑張っている人をみているような感じで、その当時、一生懸命頑張っていた私は、なんだか嫌な気持ちになりました。

今読んだら、どんな気分だろう……。
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なるほど、あの冷徹な視点が生理的に受け付けなか... (フーゲツのJUN)
2005-06-16 19:33:56
なるほど、あの冷徹な視点が生理的に受け付けなかった訳ですね。冷徹すぎて近親相姦などのテーマがまるでいやらしくない。暗くもない。なんでしょう。これはボク一人かも知れませんが、まるでギリシャ神話もしくはギリシャ劇のように地中海風土で繰り広げられる物語のように読んでしまいました。
血を流しても初めから乾いた血糊で、当時見た映画で『春の目覚め』といういまだ忘れられないギリシャ映画があるのですが、その乾いたエロスとダブルイメージさせてしまいそうでした。
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