![baku_1 baku_1](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5a/fc/152e9d2440116c553e0e0e9148b06755_s.jpg)
家々の
家々の戸口をのぞいて歩くたびごとに
ものもらひよ
街には沢山の恩人が増えました。
恩人ばかりを振ら提げて
交通妨害になりました。
狭い街には住めなくなりました。
ある日
港の空の
出帆旗をながめ
ためいきついてものもらひが言ひました
俺は
怠惰者(なまけもん) と言ひました
(詩:山之口 貘)
なんだか、高田渡さんの死をきっかけとして、ボクの思考は「ものもらい」、「乞食(こつじき)」、「放浪芸」といったところをグルグルグルグルいつまでも廻っている!
横浜でホイト(「祝言」という意味から派生したこれも「乞食」「門づけ」という意味)芸の黒田オサム翁と共演し、昨日はゴゼ唄の伝承者だった人間国宝の小林ハルさんのことを追悼した。
そして、ずっといまこそ読みたいと思っていた山之口貘の詩にこの「ものもらひの話」という詩を発見した時、奇妙なこの暗合、収斂はいったい何なんだ! と、考えてしまった。
今度、じっくり話をきく機会があるだろうが(実は近所なのだ)、黒田オサム翁は、その生きざまがサカキ・ナナオや、山尾三省に近いものがありながら、「部族」や「和製ヒッピー」との交流はなかったという。まして、新宿風月堂は横目で見るだけだったという。でありながら、戦後間もない頃、食いつめた仲間たちと農村地帯をまわり、それこそ門づけのような芸をやって「ものもらい(おもらい)」で食い繋いだと言う。
(続く)
(写真は詩人・山之口貘/1903―1963 バクさんと親しみをこめて呼ばれた山之口貘は終生、お金とは無縁のそれでいて高踏的ではない詩人だった。高田渡さんが、アメリカン・フォークのメロディで換骨奪胎して歌い紹介した。)
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