風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

間違いだらけの地下文化講義

2006-08-01 00:01:21 | アングラな場所/アングラなひと
 「東京大学80年代地下文化論講義」という本がある。今日、書店でペラペラ見ていて、間違いを発見した。東大で講義をした講師と言うのが遊園地再生事業団を主宰する宮沢章夫だったから、余計残念なのだが、文献資料のみで知らぬ事を描くとこういうことになるという自戒をこめて指摘しておく事にする。

 まず、なぜ宮沢章夫だと残念なのかということを先に言っておかねばならない。ボクのHP「電脳・風月堂」を立ち上げて間もない頃(1997年に当初ジィオシティーズに立ち上げた)、宮沢章夫も「遊園地再生事業団」のサイトを立ち上げていて、ボクのサイトを面白いとほめちぎってくれ「おすすめサイト」にリンクしてくれていた。この頃は、まだインターネット上には何万ページビューくらいの情報量しかない今日から見れば、牧歌的な時代で、リンクをはってあることが、はってあるほうのコンテンツの一環と思い込んでベタぼめする宮沢フアンがいたりする素朴な時代だった(およそ9年ほど前)。つまり、この素朴なこの宮沢ファンは「電脳・風月堂」さえも「遊園地再生事業団」のコンテンツだと信じて疑わなかったらしい。

 さて、「60年代の地下文化」という前史、歴史の部分で、東大で講義した宮沢章夫は、いまや新宿の知られざる裏面史でもなんでもなくなってしまった「ビレッジ・バンガード」のネタで間違いをしでかしてしまった。これを最初吹聴したのはビートたけしだ。昼にボーイとしてバイトをやっていたその遅番(夜)を、逃走途中の永山則夫がバイトをしていたと喋りまくったのだ。たけしが喋りまくりだしたのは1998年ころからだ。
 しかし、本当のソースは足立正生の「風景映画」だ。その封印された映画は永山則夫をテーマとしたものだった。たけしはこの映画「略称・連続射殺魔」(1969年)をみて自分もバイトをしていたジャズ喫茶のことを思い出したのだろう。
 宮沢章夫は、60年代地下文化はこのようなジャズ喫茶で醸造されたと言いたかったのだろう。それ自体は間違いでも何でもない。ただ、「ビレッジ・バンガード」と「ジャズ・ヴィレ」をゴッチャにして、この店に中上健次も通ったと講義したらしい。おおきな間違いである。この書物は白夜書房で編集したいわば講義録であるらしい。もしかしたら菊地成孔の「東京大学のアルバート・アイラー」のヒットにあやかろうという下心もあったのかもしれない。「ビレッジ・バンガード」と「ジャズ・ヴィレ」そして、もう一軒「ヴィレッジ・ゲート」は同経営である。現在は、その跡地はそれぞれソープランド、ファッション・マッサージなどの風俗店になっている。

 もうひとりいる。こちら平岡正明はもっといただけない。最近、「昭和」「ジャズ喫茶」「列伝」とか「伝説」というキーワードでやたらと本を書きまくっている平岡は、そのせいか正確度が散漫になっている。
 平岡は「この店(ジャズ・ヴィレ)で永山がバイトをしていたと知ったのは、だいぶ後だ」と『昭和ジャズ喫茶伝説』(2005年)で、書いてしまった。記憶が錯綜して来てしまったらしい。
 それに、平岡は先の足立正生の映画「略称・連続射殺魔」にも関わっていたはずなのだから、余計モウロクしている!

 しかし、永山則夫にふさわしい場所は、まことに「ジャズ・ヴィレッジ」の方であった。今さらながら、そう思い逮捕直前の68年12月から69年4月まで新宿で永山則夫と袖振りあったかも知れない可能性をボクは考え込んでしまった(永山則夫はその間、逮捕直前まで新宿などでバイトをし、歌舞伎町周辺に潜伏していたのだった)。


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