風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

一つ目考/通奏するテーマがあった!

2007-02-12 23:59:56 | アングラな場所/アングラなひと
 不思議な暗合を見つけてしまった。このところ(2月に入って)続けて書いているボクの記事が、どうやらたったひとつのことに収斂するらしいということに気付いたのだ。
 それぞれは関連しない別のテーマを持ちながらも、根の部分で通奏低音のようにひとつのテーマが浮かび上がると言う意味でである。
 それに気が付いたのは最近読んだ書物に以下のくだりがあったからだ。

 「古老の伝えていへらく、昔ある人、ここに山田をつくりて守りき。そのとき、目ひとつの鬼来たりて田つくる人の男を食らいき。」(『出雲国風土記』)

 わが国最古の書物に登場する鬼が「ひとつ目」であることを知った。そして、「ひとつ目」と言えば柳田国男であろう。柳田は我が国の民俗学の重鎮というか、日本民俗学を作った人物である。柳田に「一つ目小僧」という論考がある。

 「一つ目小僧は……系統を失った昔の小さな神である。……実は一方の目を潰された神である。」(柳田国男『一つ目小僧』)

 この伝承を敷衍するならわが国の鬼は「ひとつ目」で、片目を潰されたものであるらしい。それゆえか、目を突きそうなトゲトゲのついたヒイラギの葉や、目刺し(字句通り「目を刺したもの」)をイワシの臭いとともに嫌うのかも知れない。鬼にも古代からのトラウマがあるのだ。

 さて、ここまでお読みになった方はお気付きかもしれない。そう、ボクは2月に入って書いた記事は節分とその鬼、そして中村宏展(「中村宏/図画事件」)では中村が描くセーラー服の少女が「ひとつ目」であることを書いた。フェティシズムの対象としてのセーラー服ばかりか、それを着た少女たちもじつは呪物的な存在だったのだ。いま、はじめてボクは中村宏の描く少女が、なぜ「ひとつ目」であったのかを理解した。

 さらに、その日に同時に見ることができた「新山海経/チウ・アンション展」では、現代的に解釈されたキメイラをそのアニメ作品の中に認めた。さて、不思議なことに、この『山海経』が、我が国に伝わった鬼の形象に影響を与えたのではないかと言う考え方もある。すなわち、鬼のキメイラ的な姿、牛の角、虎のフンドシは、陰陽道から来る丑寅の(艮=東北は「鬼門」と考えられた)方位の不吉さからくるという説もあるが、『山海経』に展開する想像上の動植物の組み合わせに近いと言う仮設があるのだ(馬場あき子)。

 それにしても、ボクのこの気付きに導いてくれた馬場あき子の次の指摘はやさしい。

 「そこなわれた面貌や、不自由な身体に、苦渋にみちた底しれない神の力と知恵を感じ、敬虔な思いを拡げていった精神史の一端を見る思いがする。」(「鬼の研究」)

 『出雲風土記』に登場するくだりは現在の島根県大原郡大東町にあたる。むかしは阿用といい、鬼に食われた男がアヨアヨと言って食われていく様から阿用と名付けられた由来をもつと記されている。そこにも、鉱山があり、昔からタタラ衆が住んでいたらしい。そして、タタラ跡や鉱山のあるところには鬼の伝説が良く残っていると言う。
 古代のタタラ技術(製鉄技術)は野天で炭を燃やして強風と乾燥法で製鉄した。製鉄には1,200度を越す温度が必要である。それゆえか、タタラの技術者(タタラ衆)は飛んでくる火の粉でよく目を潰したそうだ。そして、このようなタタラ技術をもつ者は渡来人であった可能性がある。その意味でも、異形のマイノリティだったのだろう。つまり、彼らもまた「山人」と目された木地師や、サンカ、まつろわぬ者たち、「隠(on-i)」オニと呼ばれた人たちだった。


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