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■ 鎌倉市の御朱印-7 (B.名越口-2)

■ 鎌倉市の御朱印-1 (導入編)
■ 鎌倉市の御朱印-2 (A.朝夷奈口)
■ 鎌倉市の御朱印-3 (A.朝夷奈口)
■ 鎌倉市の御朱印-4 (A.朝夷奈口)
■ 鎌倉市の御朱印-5 (A.朝夷奈口)
■ 鎌倉市の御朱印-6 (B.名越口-1)から
■ 鎌倉市の御朱印-7 (B.名越口-2)
■ 鎌倉市の御朱印-8 (B.名越口-3)


24.祇園山 田代寺(長楽寺) 安養院(あんよういん)
鎌倉市Web資料
鎌倉市観光協会Web
坂東三十三観音公式サイト
鎌倉市大町3-1-22
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:坂東三十三箇所(観音霊場)第3番、鎌倉三十三観音霊場第3番、鎌倉二十四地蔵霊場第24番、相州二十一ヶ所霊場第8番、小田急沿線花の寺四季めぐり第17番

大町にある浄土宗の名刹で、坂東三十三箇所(観音霊場)第3番札所として広く知られています。
このお寺は複雑な由緒をもたれます。

まずは山内由緒書から(抜粋)。
「建立 嘉禄元年(1225)、開山 願行上人、開基 北条政子」
「北条政子が夫・頼朝公の冥福を祈るために佐々目ガ谷に建立した祇園山長楽寺が前身。鎌倉末期に善導寺の跡(現在地)に移って安養院になったといいます。延宝八年(1680)に全焼したため、頼朝に仕えていた田代信綱がかつて建立した田代寺の観音堂を移します。こうして『祇園山安養院田代寺』になりました。」

つぎに鎌倉市観光協会Webから(抜粋)。
「当初この地には尊観が開いた浄土宗の善導寺があり。のちに北条政子が夫・頼朝公の菩提のために笹目に建てた長楽寺が焼失したため、鎌倉末期にこの地に長楽寺を移し、政子の法名・安養院を号し、さらに江戸時代の始めに田代寺の千手観音を移した。」

以上より、長楽寺・善導寺・田代寺という3つの前身寺院が関係していることになります。

『鎌倉市史 社寺編』から以下抜粋引用します。
「もと律宗。昌譽の時浄土宗となったという。もと名越派の本山、延享四年(1747年)六月の諸宗寺院本末改により京都知恩院末となる。開山、願行房憲静。開基、北条氏政子。寺伝では嘉禄元年(1225年)、頼朝夫人政子が頼朝の菩提のため佐々目の長楽寺谷に律寺を建立。願行を開山としたという。『壇林鎌倉光明寺志』には記主良忠門資として、良弁尊観を相州名越安養祖としている。これは善導寺の祖とすべきであろう。延慶三年(1310年)十一月、失火あり鎌倉中の大火となった。(『武家年代記裏書』)寺伝には、高時滅亡の後、稲瀬川の辺から現在の地、善導寺の跡に移りそれ以降安養院と号したという。延寶八年(1680年)十月、門外町屋から失火、全焼した。再建の時比企ヶ谷にあった末寺、田代観音堂を境内に移した。」

ところが『新編鎌倉志』には「名越の入口、海道の北にあり。祇園山と号す。浄土宗、知恩院の末寺なり。此寺初め律宗にて、開山願行上人なり。其十五世昌譽和尚と云より浄土宗となる。昌譽より前住の牌は皆律宗なり。初長谷の前稲瀬川の邊に在しを、相模入道滅亡の後、此に移すと云伝ふ。本堂に阿彌陀坐像、客殿にも阿彌陀の坐像を安ず。共に安阿彌が作なり。」とあり、前身3寺の所縁は明示されていません。

そこで『新編相模國風土記稿』の安養院の項を当たってみました。
こちらには山内絵図とともに詳しい記述がありました。要点のみ抜粋引用します。
「古ハ笹目ヶ谷ニ在。祇園山長楽寺と号ス。浄土宗。昔ハ無木(本)寺ニテ。名越一派ノ本山ナリ。延寶四年(1676年)諸宗寺院本末御改ヨリ。京知恩院末に属ス。嘉禄元年(1225年)二位ノ禅尼。故頼朝菩提ノ為。笹目ヶ谷邊(西方長谷村界笹目ヶ谷ニ長楽寺谷ト云フアリ。是当寺ノ舊蹟ナリ)ニテ。七堂伽藍ヲ営ミ。律寺ヲ建立シテ。僧願行ヲ開山トシ。又●年七月二位禅尼逝去アリシカバ。願行導師トナリ当寺ニ葬送シ。法名ヲ安養院ト号スト云フ。後兵火ノ為ニ。堂宇残ラズ烏有トナリシカバ。当所善導廃寺蹟ニ移テ堂宇ヲ営ミ両寺を合シテ再建ス。鎌倉志ニ当寺初長谷ノ前。稲瀬川ノ邊ニ在シヲ。相模入道滅亡ノ後此ニ移スト云伝フ云々。是ニ拠バ正應二年(1289年)ノ兵火ナルベシ。又善導寺モ其頃退転セシナルベシ。寺伝ニ彼善導寺開山ハ記主禅師ノ法嗣尊観ナリ。某年名越一派ヲ立。爰ニ一宇ヲ建立シ正和五年(1316年)寂スト云フ。後年現住昌譽カ時。律宗ヲ改メ今ノ宗派トナルと云フ。天文十三年(1544年)北條氏直敷地ヲ寄附ス。延寶八年(1680年)失火シテ諸堂残ナク焼亡ス。其頃比企谷ノ内田代ニ観音堂アリ。当院の末ナリシヲ。当寺再建ノ時境内ニ移シ。夫ヨリ三ヶ寺合成ノ梵宇ト称ス。」

『新編相模國風土記稿』には本堂、観音堂についての記事もありました。
「本堂 本尊阿彌陀 安阿彌作安ス。堂中頼朝又二位禅尼ノ牌。地蔵堂。本尊ハ石像(弘法大師作ト云フ)ニテ。鎌倉二十四所ノ一ナリ。子安地蔵ト云フ。」

「観音堂。本尊千手観音ナリ。立像長五尺四寸恵心作。坂東三十三所ノ札所第三番ト云フ。昔田代冠者信綱此像ノ●中ニ守本尊三面ノ千手観音ノ画像(立像ニテ長九寸許。天竺竜樹菩薩筆)ヲ籠メ。更ニ比企谷田代ノ地ニ堂舎ヲ造建シテ安置シ。白花山普門寺ト号セリ。土俗ハ多く田代寺又田代堂ナド称セリ。厨子ニ納テ内殿ニ安スト云フ。延寶八年(1680年)当寺焼亡ノ後此境内ニ移セシナリ。前立ニ同像ヲ置キ脇壇ニ阿彌陀ノ座像ヲ置ク。恵心作。是ハ二位禅尼ノ持念佛ト云フ。」

さらに、田代寺についてWikipediaから引いてきました。
「田代寺は1192年(建久3年)田代信綱が尊乗を開山として比企ヶ谷(ひきがやつ)に建立」(原典不明)

引用だらけですみません。
でも、これらの情報がなければ安養寺の由緒(というか3箇寺合一の経緯)がたどれません。

上記資料の青字の箇所が、(おそらく現在地にあった)旧・善導寺についての記述です。
長楽寺、善導寺と合寺後の由緒が混在しているので、すこぶるわかりにくくなっています。

まずは、開山関係から当たってみます。

■ 願行上人憲静(長楽寺)

鎌倉の古寺をたどるときしばしばその名が出てきますが、史料が少なくナゾの多い高僧。
今後のこともあるので、『願行上人憲静の研究(上)』(伊藤宏見氏)」、『願行上人憲静の研究(下)』(同)から経歴・事績の要点を引いてみます。

願行上人憲静は、健保三年(1215年)出生、永仁三年(1295年)寂の鎌倉時代の高僧です。

〔法統・真言宗系統〕
・建長四年(1252年)鎌倉の佐々目谷の遺身院において守海より潅頂を受ける。三宝院流。(『血脈類集記』)
・弘長元年(1261年)定清?から潅頂を受ける。定清は金剛王院流を奉じた小野流の事相家(『血脈類集記』)
・文永九年(1272年)三宝院流を意教上人より受ける。(『真言宗年表』『鶏足寺譜』)

三宝院流は真言宗醍醐派の一派で、醍醐寺三宝院門跡初代勝覚を派祖とし、いわゆる「小野六流」のひとつ。
真言宗醍醐派は古義真言宗で修験道の一派、当山派の中心でもある。派祖は理源大師聖宝。
これより、願行上人は真言宗醍醐派三宝院流の法流を受けられていることがわかります。

〔法統・律宗系統〕
・月翁智鏡に律部を受学。月翁智鏡は泉涌寺来迎院の開山で泉涌寺四世。当時の泉涌寺は律・密・禅・浄土の四宗兼学(密を天台、東密に分けると五宗兼学)の道場。
『鎌倉初期の禅宗と律宗』(中尾良信氏)には、「北京律の祖とされる泉涌寺の俊芿」「北京律の中心たる泉涌寺」「月翁は俊芿から教律を学んだ」とある。

月輪大師俊芿(1166-1227年)は渡宗され、天台と律を学び建暦元年(1211年)帰朝。泉涌寺の実質的な開山といわれ四宗兼学の道場として再興されました。
その律は北京律(ほっきょうりつ)といわれ、日本における開祖とされます。
この北京律が、月輪大師俊芿-月翁智鏡-願行上人と伝わったとみられます。

以上から、願行上人は真言宗三宝院流と北京律兼学の高僧で、祇園山はこの流れから当初律宗(北京律)とされたとみられます。

〔鎌倉での活動〕
願行上人の鎌倉下向期間については錯綜気味ですが、「鎌倉下向僧の研究 - 願行房憲静の事跡 -」(高橋秀栄氏)には下記のとおりあります。
・弘長三年(1263年)から正応三年(1290年)までの28年間。

ただし、「建長四年(1252年)鎌倉の佐々目谷の遺身院において守海より潅頂を受ける。三宝院流(『血脈類集記』)」という記録があり、それ以前に下向されているかも。
また、文永二年(1265年)意教上人に従って関東に赴くという諸伝もあります。

「勝賢開山の佐々目西方寺にはじまり、関東の三宝院流はここに発祥し、大門寺、遺身院その他の寺院群が佐々目の地にあった模様である。守海は成賢の資の一人憲深から受法している。」(『願行上人憲静の研究(上)』P.5/血脈類集記より)

これによると長谷の佐々目(笹目)は当時真言宗三宝院流の本拠地で、願行上人はこの地(遺身院)で守海より三宝院流を受法の記録があります。

佐々目西方寺は現在の補陀洛山 西方寺(横浜市港北区新羽町)とされ、西方寺の公式Webには「西方寺は源頼朝卿の頃、建久年間(1190)に鎌倉の笹目と言う所に『補陀洛山、安養院、西方寺』として創建され、開山は大納言通憲公の息、醍醐覚洞院座主、東大寺の別当であった勝賢僧正」とあります。

なお、西方寺は現在真言宗系単立のようですが、公式Webによると極楽寺(真言律宗)との関係が深かったようです。
願行上人と関係のある金沢の称名寺も真言律宗なので、佐々目の三宝院流はのちに真言律宗とかかわりを強めたのかもしれません。

「(願行上人は)金沢越後守平実時堂廊に能禅方(西院)の灌頂を授けている。北条実時が金沢文庫を開設するのはそれよりのちの建治元年(1275年)である。その翌年願行の自筆文書が残っている。願行はのちにこの住持審海をも弟子として指導しているのであるから、その教界での位置を想像することができる。かくて建治の頃はすでに極楽寺とならぶ新興の律院の称名寺において、伝法灌頂を授けるほどの名徳(以下略)」(『願行上人憲静の研究(上)』P.18)

佐々目の守海は願行上人と頼助(佐々目僧正)に受戒しており、頼助は鎌倉幕府4代執権北条経時の子です。
Wikipediaには頼助は「父経時の菩提所である鎌倉佐々目の遺身院を拠点とし、佐々目頼助とも呼ばれる。」とあり、経時の没年は寛元四年(1246年)なので、「(願行上人が)建長四年(1252年)鎌倉の佐々目谷の遺身院(北条経時の菩提寺)において守海より潅頂を受ける。三宝院流。(『血脈類集記』)。」という記録はタイミング的に符合します。

同僚の頼助が執権の子という有力者なので、願行上人の鎌倉での立場も強かったとみられます。
また、師・意教上人が一時、高野山金剛三昧院(実朝公菩提のため北条政子が発願)に入られたことも、願行上人と鎌倉幕府の結びつきを強めたという説があります。

『本朝高僧伝』には「乃至稲瀬川滸。設念仏会。名祇園山安養院」とあり、これは「文永十一年(1274年)~建治元年(1275年)、願行上人が鎌倉稲瀬川のほとりで頼朝公の霊のお告げに従い、説法念仏会を37日間行う」という諸伝と符合します。

『新編鎌倉志』の(覚園寺)地蔵堂の項には「地蔵を、俗に火燒地蔵と云ふ(中略)【沙石集】には丈六の地蔵とあり。鎌倉の濱に有しを、東大寺の願行上人、二階堂へ移すと云へり。」とあり、願行上人の稲瀬川念仏会との関連を指摘する説もあります。

さらに安養院所蔵の願行上人像胎内銘に「鎌倉由井浜安養院開山願行上人、建治二年(1275年)八月廿八日、未剋往生。春秋八十二」とあり、説法念仏会の前後に鎌倉稲瀬川に安養院ないしその前身となる寺院を開山された可能性があります。

なお、上記の参考資料によると、願行上人が係わられた関東の代表的な寺社はつぎのとおりです。
二階堂永福寺真言院、鎌倉観音寺、(金澤)称名寺、相州大山寺、二階堂理智光寺、二階堂大楽寺、二階堂覚圓寺、大町安養院、最明寺(足柄上郡大井金子)、鶴岡八幡宮。

■ 尊観上人良弁(善導寺)

鎌倉市Webの「当初この地には尊観が開いた浄土宗の善導寺があり」および、『鎌倉市史 社寺編』の「もと名越派の本山、『壇林鎌倉光明寺志』には記主良忠門資として、良弁尊観を相州名越安養祖としている。これは善導寺の祖とすべきであろう」から探ってみました。

「記主禅師」(良忠上人)は、光明寺ゆかりの高僧です。
「記主禅師」(良忠上人)とは、嘉禎三年(1237年)浄土宗第三祖となられた高僧で、多くの門下を育てられました。 文応元年(1260年)鎌倉へ入られ北条朝直の帰依のもと悟真寺に住され、これがのちに浄土宗大本山光明寺となりました。


■ 光明寺の開山 記主禅師の御朱印

光明寺は名越エリアにあるので「名越一派」は大本山光明寺の流れかと思いましたが、「浄土宗 名越派」で検索してみるとなんと一発でヒットしました。
浄土宗「WEB版新纂浄土宗大辞典」の「名越派」(なごえは)です。
(「鎮西流(鎮西派)」は知っていましたが、不勉強で「名越派」は知りませんでした。)

ここには「三祖然阿良忠門下六派の一つ。派祖は良弁尊観。名越流とも称される。また、尊観が相模国鎌倉名越谷善導寺で布教したため善導寺義ともいう。」とありました。
いわき市山崎の専称寺と栃木県益子町の円通寺が本山格であったようですが、江戸時代は増上寺の支配下にあり、大正以前に浄土宗として統一されているようです。

さらに尊観についても記載がありました。
「延応元年(1239年)—正和五年(1316年)三月一四日。鎌倉時代中期の僧。字(あざな)は良弁。名越派派祖。また鎌倉名越谷の善導寺で布教したため、後世尊観の流派を名越流もしくは善導寺義という。」
どんぴしゃです。これで決め打ちです。

「名越一派」は「浄土宗名越派」をさし、「善導寺」は尊観上人が「浄土宗名越派」の布教の拠点とした寺院です。
これで『新編相模國風土記稿』にあった「名越一派ノ本山ナリ」のナゾが解けたことになります。

■ 田代冠者信綱(普門寺・田代寺)

『新編相模國風土記稿』の安養院観音堂に「昔田代冠者信綱此像ノ●中ニ守本尊三面ノ千手観音ノ画像」として登場し、普門寺(田代寺)の開基とみられます。

『鎌倉攬勝考』には以下のとおりあります。
「田代観音堂 普門寺と号す。妙本寺の南東なり。安養院末、堂の額に白華山と有。本尊千手観音、坂東第三番の札所。此西の方を田代屋敷と唱ふ。田代冠者信綱が舊跡。今は畑なり。」

「田代冠者信綱」は、おそらくWikipediaに「伊豆国司と狩野茂光の娘の子。石橋山の戦いで頼朝公挙兵時の武士の一人。平家物語の三草山の合戦や一ノ谷の戦い及び屋島の戦いにも登場し。義経公挙兵時の武士ともなり源義仲を追討した。しかし義経公の門下となったと同時に頼朝公から破門の書状を受け(た)。」とある鎌倉幕府草創期の武士とみられます。

これで、ようやく安養院の前身3寺のプロフィールが揃いました。
ごちゃごちゃになったので(笑)、ここで整理してみます。

1.現在地(大町)には、もともと尊観上人(正和五年(1316年)寂)が開かれた浄土宗名越派の善導寺があった。
(正應二年(1289年)の頃(現在地に?)退転したという記録もあり。)

2.一方、長谷笹目ヶ谷には嘉禄元年(1225年)北条政子が夫・頼朝公菩提のために創建した祇園山長楽寺(律宗)があった。開山は二階堂の理智光寺を開いた願行上人憲静。
嘉禄元年(1225年)、二位禅尼(北条政子)逝去の際、願行上人が導師となって当寺に葬送し、法名を安養院と号したという。
また、建治二年(1275年)前後の説法念仏会の折、願行上人が稲瀬川あたり(長谷~由比ヶ浜)に安養院ないしその前身となる寺院(祇園山)を開山された可能性もある。

※ただし、願行上人の鎌倉下向は弘長三年(1263年)から正応三年(1290年)までの28年間とみられ、二位禅尼(北条政子)逝去の嘉禄元年(1225年)と時代が合いません。
長楽寺は当初長谷稲瀬川にあり、正應二年(1289年)の兵火を受け笹目に移転した可能性もあるので、願行上人がこれにかかわり、その際に安養院と号したのかもしれません。

3.比企ヶ谷田代には建久三年(1192年)、伊豆の武士田代冠者信綱が尊乗上人を開山に建立した白花山普門寺(田代寺)があり、千手観世音菩薩を御本尊としていた。
普門寺(田代寺)は善導寺ないし長楽寺の末寺であった。

4.笹目の長楽寺は元弘元年(1333年)の兵火で焼失、大町の善導寺に統合されて『安養院長楽寺』と号した。安養院は政子の法号にちなむもの。(*Wikipedia)

5.統合時の安養院は律宗だったが後に浄土宗となり、天文十三年(1544年)には後北条氏第5代北條氏直の寄進を受ける。江戸時代の延寶八年(1680年)失火により諸堂焼亡する。

6.比企ヶ谷の普門寺(田代寺・田代観音)も同年延寶八年(1680年)に焼亡、焼亡した安養院再建の折に比企ヶ谷から本寺であった安養寺の境内に移る。この時点で3つの寺院の合一が為る。

7.坂東三十三箇所の札所本尊の千手観世音菩薩は、比企ヶ谷の普門寺(田代寺)から遷られての御座。

8.延享四年(1747年)六月の諸宗寺院本末改により、京都知恩院末となる。

以上から安養院は、
1.浄土宗名越派の派祖・尊観上人が名越派の当初の本山とされた善導寺
2.北条政子が頼朝公菩提のために創建。開山願行上人の祇園山長楽寺(律宗)
3.伊豆国守の子、田代冠者信綱が自身の守り本尊・千手観音を奉安した普門寺(田代寺)
という3つの由緒ある寺院の合寺であることがわかりました。

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※ 令和3年12月時点で当山山内は撮影禁止となっています。
以下の写真は撮影禁止となる前に撮影したものです。


【写真 上(左)】 参道入口
【写真 下(右)】 坂東札所標

県道311号大町大路に面して参道入口。
「坂東第三番田代観音」の札所標と「浄土宗名越派根本霊場」の石標。


【写真 上(左)】 参道
【写真 下(右)】 名越派根本霊場碑

石段の先に切妻屋根本瓦葺の四脚門で、門下の木箱に拝観料を納めます。
山門をくぐって右手の地蔵堂は鎌倉二十四地蔵霊場第24番の結願所で、札所本尊の日切地蔵尊が御座します。
坐像の石像で弘法大師の御作とも伝わり、子安地蔵ともよばれたそうです。


【写真 上(左)】 地蔵堂
【写真 下(右)】 山内


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 本堂向拝


【写真 上(左)】 木鼻の獅子
【写真 下(右)】 鬼板と兎毛通

正面の本堂は権現造のような複雑な意匠で詳細不明。
向拝側の屋根に千鳥破風、向拝軒に唐破風の二重破風となっています。
軒下の水引虹梁両端に雲形の獅子木鼻、頭貫上に斗栱、身舎側に海老虹梁、中備に龍の彫刻を置いていますが全体にシンプルなイメージ
見上げには山号扁額。


【写真 上(左)】 山号扁額
【写真 下(右)】 堂内向拝

堂内の外陣には札所の御詠歌板などが掲げられています。
格子扉越しに御内陣が拝め、扉うえには院号扁額。
「坂東第三番」の札所だけに、さすがに風格があります。


【写真 上(左)】 院号扁額
【写真 下(右)】 坂東霊場札所板

御本尊の阿弥陀如来は伝・安阿彌作。観音霊場札所本尊の千手観世音菩薩は立像長五尺四寸で恵心作と伝わります。
本堂内には北条政子像も安置されています。

こちらは相州二十一ヶ所霊場第8番の札所で、御朱印も授与されています。
こちらの札所については小町の宝戒寺で書きますが、浄土宗でありながら弘法大師霊場の札所となっているのは、旧・長楽寺の開山・願行上人が真言宗醍醐派三宝院流であったことも関係しているかも。

このほか、本堂裏手にある(らしい)、尊観上人の墓で鎌倉最古と伝わる宝篋印塔(国重要文化財)、伝・北条政子の墓、尊観上人お手植えの槙の大木などのみどころがあります。


【写真 上(左)】 撮影禁止看板
【写真 下(右)】 山門から山内

5月のオオムラサキツツジが有名ですが、令和3年12月時点で山門内は撮影禁止となっています。
御朱印拝受時に理由をお伺いしたところ、カメラマンの振る舞いのあまりの酷さにたまりかねての処置とのこと。(当山は以前から三脚類使用禁止でした)

こちらは全国から巡拝者が訪れる坂東霊場札所。巡拝記念に撮影されたい向きも大勢いるのでは? と問い掛けたところ、申し訳なさそうに、たしかにその通りだが、山門外からの撮影は禁止していないのでそちらからの撮影を案内しているとのことでした。

とくに鎌倉の古寺では、にわか(?)カメラマンの傍若無人な撮影っぷりをよく目にしますが、そういうことを続けていくと撮影禁止のお寺さんがどんどん増えていきそうでとても残念です。

〔 御本尊・阿弥陀如来(六字御名号)の御朱印 〕



〔 坂東三十三箇所(観音霊場)の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 御朱印帳

〔 鎌倉三十三観音霊場の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 御朱印帳

〔 鎌倉二十四地蔵霊場の御朱印 〕

  
【写真 上(左)】 専用納経帳(結願御朱印)
【写真 下(右)】 御朱印帳

〔 相州二十一ヶ所霊場の御朱印 〕

  
【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 御朱印帳


25.稲荷山 超世院 別願寺(べつがんじ)
鎌倉市大町1-11-4
時宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:鎌倉三十三観音霊場第13番

大町にある時宗寺院で鎌倉三十三観音霊場第13番札所です。
鎌倉公方家ゆかりの寺院で、基氏、氏満、満兼三代の菩提寺であったといわれ、山内には第4代足利持氏公の供養塔と伝わる宝塔があります。

創建開山は不詳ですが、もとは真言宗の能成寺で、弘安五年(1282年)公忍上人(後に覺阿)が時宗に帰依して改宗し、別願寺に改めたのが開基のようです。

『新編相模國風土記稿』には以下のとおりあります。
「名越町ニアリ 稲荷山超世院ト号ス 時宗(藤澤清浄光寺末) 本尊彌陀ヲ置ク 銅佛立像長二尺二寸 佐竹稲荷ノ神作ト云フ 往昔ハ真言宗ニテ能成寺ト云ヒシトゾ 起立年代開山等詳ナラズ 弘安五年(1282年)五月遊行始祖一遍廻國ノ時 住僧公忍故有テ改宗し 則一遍弟子トナリ 今の寺院号ニ改メ 名ヲモ覺阿ト改ム 故ニ此僧ヲ開基ト称ス
(中略)寺寶 阿弥陀像一幅行基筆(中略) 足利持氏墓 本堂ノ西ニアリ 五輪塔ニテ 長春院殿其阿彌陀佛 永享十一年二月十日ト彫ル 持氏追福ノ為後ニ建タルモノカ 来由詳ナラズ」
『新編相模國風土記稿』には寺領寄進の記録が延々とつづき、管領足利氏満、持氏、満兼、北條の臣大道寺駿河守政繁などの名がみえ、寄進地は下総相馬御厨、下野國薬師寺庄など広域に及んでいます。

『新編相模国風土記稿』には、御本尊の阿弥陀如来は「佐竹稲荷ノ神作ト云フ」という不思議な記述があり、それに因んでか本山の山号は稲荷山です。
ふつう稲荷神の本地は上社(御前):十一面観世音菩薩、中社(御前):千手観世音菩薩、下社(御前):如意輪とされるので、阿弥陀如来との関連はよくわかりません。
また「佐竹」が気になりますが、鎌倉の佐竹氏の屋敷は大町の大寶寺付近とされていますが、こちらとの関連を示す史料はみつかりませんでした。

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【写真 上(左)】 県道からの山内
【写真 下(右)】 寺号標

県道311号大町大路に面し、安養院のすぐそばにあります。
山門はなく開かれたイメージの山内。
境内に藤棚があり、藤の寺としても知られています。


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 本堂向拝

本堂の様式はよくわかりません。
本堂は妻入りで千鳥破風をみせており、その前に付設した向拝の軒も千鳥破風様になっています。
向拝に寺号扁額。


【写真 上(左)】 寺号扁額
【写真 下(右)】 札所板

向拝扉は開く場合があり、なかは外陣で鎌倉観音霊場の札所板が掲げられています。

こちらの札所本尊はめずらしい魚籃観音(ぎょらんかんのん)で、中国の馬郎婦観音と同体とされます。
三十三観世音のひとつで、法華経を広めるために現れた観音とされ、羅刹・毒龍・悪鬼の害を除くことあらたかと信仰されています。

ふつう一面二臂で魚籃(魚入れの籠)を持たれますが、いろいろな像容例がみられるようです。
東京三田・魚籃寺の魚籃観音(江戸三十三箇所観音霊場第25番)は有名で、寺名に由来する魚籃坂の名はいまものこります。

なお、こちらの本堂は令和3年10月に建て替えられていますが、掲載写真は建て替え前のものです。

御朱印は庫裡にて拝受しました。

〔 御本尊・阿弥陀如来の御朱印 〕



〔 鎌倉三十三観音霊場の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 御朱印帳


以下、つづきます。


26.多福山 大寳寺(だいほうじ)
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市大町3-6-22
日蓮宗
御本尊:三宝諸尊(『鎌倉市史 社寺編』)
札所:-


27.八雲神社(やくもじんじゃ)
神奈川県神社庁Web
鎌倉市大町1-11-22
御祭神:須佐之男命、稲田姫命、八王子命、佐竹氏霊
旧社格:村社、神饌幣帛料供進神社


28.慧雲山 常栄寺(じょうえいじ)
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市大町1-12-11
日蓮宗
御本尊:三宝祖師(『鎌倉市史 社寺編』)
札所:-


29.中座山 大聖院 教恩寺(きょうおんじ)
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市大町1-4-29
時宗
御本尊:阿弥陀如来三尊
札所:鎌倉三十三観音霊場第12番


30.長興山 妙本寺(みょうほんじ)
公式Web
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市大町1-15-1
日蓮宗
御本尊:三宝祖師(『鎌倉市史 社寺編』)
札所:-


31.金龍山 釈満院 宝戒寺(ほうかいじ)
公式Web
鎌倉市小町3-5-22
天台宗
御本尊:地蔵菩薩
札所:鎌倉三十三観音霊場第2番、鎌倉二十四地蔵霊場第1番、相州二十一ヶ所霊場第1番、鎌倉・江ノ島七福神(毘沙門天)、鎌倉六阿弥陀霊場第5番、小田急沿線花の寺四季めぐり第28番


32.叡昌山 妙隆寺(みょうりゅうじ)
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市小町2-17-20
日蓮宗
御本尊:日蓮聖人(『鎌倉市史 社寺編』)
札所:鎌倉・江ノ島七福神(寿老人)


33.蛭子神社(ひるこじんじゃ)
神奈川県神社庁Web
鎌倉市小町2-23-3
御祭神:大己貴命
旧社格:村社、神饌幣帛料供進神社、小町一帯の産土神
元別当:妙厳山 本覚寺(鎌倉市小町)


34.長慶山 正覺院 大巧寺(たいこうじ)
公式Web
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市小町2-17-20
単立
御本尊:産女霊神(『鎌倉市史 社寺編』)
札所:-


35.妙厳山 本覚寺(ほんがくじ)
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市小町1-12-12
日蓮宗
御本尊:三宝祖師(『鎌倉市史 社寺編』)
札所:鎌倉十三仏霊場第3番、鎌倉・江ノ島七福神(恵比寿)
司元別当:蛭子神社(鎌倉市小町)


36.天照山 蓮華院 光明寺(こうみょうじ)
公式Web
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市材木座6-17-19
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:鎌倉三十三観音霊場第18番、鎌倉二十四地蔵霊場第22番、東国花の寺百ヶ寺霊場第94番、七観音霊場第3番、鎌倉六阿弥陀霊場第3番、小田急沿線花の寺四季めぐり第25番、三浦半島四十八阿弥陀霊場第48番、関東十八檀林


37.天照山 蓮乗院(れんじょういん)
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市材木座6-16-15
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:鎌倉三十三観音霊場第19番、相州二十一ヶ所霊場第11番


38.天照山 千手院(せんじゅいん)
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市材木座6-12-8
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:鎌倉三十三観音霊場第20番


39.石井山 長勝寺(ちょうしょうじ)
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市材木座2-12-17
日蓮宗
御本尊:日蓮聖人(『鎌倉市史 社寺編』)
札所:-


40.隨我山 来迎寺(らいこうじ)
公式Web
鎌倉市材木座2-9-5
時宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:鎌倉三十三観音霊場第14番


41.五所神社(ごしょじんじゃ)
神奈川県神社庁Web
鎌倉市材木座2-9-1
御祭神:大山祇命、天照大御神、素盞嗚命、建御名方命、崇徳院霊
旧社格:村社、神饌幣帛料供進神社、材木座の氏神


42.弘延山 實相寺(じっそうじ)
鎌倉市Web
鎌倉市材木座4-3-13
日蓮宗
御本尊:一尊四士(『鎌倉市史 社寺編』)
札所:-


43.南向山 帰命院 補陀落寺(ふだらくじ)
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市材木座6-7-31
真言宗大覚寺派
御本尊:十一面観世音菩薩
札所:鎌倉三十三観音霊場第17番、相州二十一ヶ所霊場第10番、新四国東国八十八ヶ所霊場第81番


44.内裏山 霊獄院 九品寺(くほんじ)
公式Web
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市材木座5-13-14
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:鎌倉三十三観音霊場第16番、相州二十一ヶ所霊場第9番、小田急沿線花の寺四季めぐり第18番


45.円龍山 向福寺(こうふくじ)
公式Web
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市材木座3-15-13
時宗
御本尊:阿弥陀三尊
札所:鎌倉三十三観音霊場第15番


46.海潮山 妙長寺(みょうちょうじ)
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市材木座2-7-41
日蓮宗
御本尊:三宝祖師(『鎌倉市史 社寺編』)
札所:


47.由比若宮(ゆいのわかみや)
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市材木座1-7
御祭神:応神天皇、神功皇后、比売神
旧社格:鶴岡八幡宮の元宮(元八幡)


48.帰命山 延命寺(えんめいじ)
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市材木座1-1-3
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:鎌倉三十三観音霊場第11番、鎌倉二十四地蔵霊場第23番


25.稲荷山 超世院 別願寺(べつがんじ)
鎌倉市大町1-11-4
時宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:鎌倉三十三観音霊場第13番


26.多福山 大寳寺(だいほうじ)
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市大町3-6-22
日蓮宗
御本尊:三宝諸尊(『鎌倉市史 社寺編』)
札所:-


27.八雲神社(やくもじんじゃ)
神奈川県神社庁Web
鎌倉市大町1-11-22
御祭神:須佐之男命、稲田姫命、八王子命、佐竹氏霊
旧社格:村社、神饌幣帛料供進神社


28.慧雲山 常栄寺(じょうえいじ)
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市大町1-12-11
日蓮宗
御本尊:三宝祖師(『鎌倉市史 社寺編』)
札所:-


29.中座山 大聖院 教恩寺(きょうおんじ)
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市大町1-4-29
時宗
御本尊:阿弥陀如来三尊
札所:鎌倉三十三観音霊場第12番


30.長興山 妙本寺(みょうほんじ)
公式Web
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市大町1-15-1
日蓮宗
御本尊:三宝祖師(『鎌倉市史 社寺編』)
札所:-


31.金龍山 釈満院 宝戒寺(ほうかいじ)
公式Web
鎌倉市小町3-5-22
天台宗
御本尊:地蔵菩薩
札所:鎌倉三十三観音霊場第2番、鎌倉二十四地蔵霊場第1番、相州二十一ヶ所霊場第1番、鎌倉・江ノ島七福神(毘沙門天)、鎌倉六阿弥陀霊場第5番、小田急沿線花の寺四季めぐり第28番


32.叡昌山 妙隆寺(みょうりゅうじ)
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市小町2-17-20
日蓮宗
御本尊:日蓮聖人(『鎌倉市史 社寺編』)
札所:鎌倉・江ノ島七福神(寿老人)


33.蛭子神社(ひるこじんじゃ)
神奈川県神社庁Web
鎌倉市小町2-23-3
御祭神:大己貴命
旧社格:村社、神饌幣帛料供進神社、小町一帯の産土神
元別当:妙厳山 本覚寺(鎌倉市小町)


34.長慶山 正覺院 大巧寺(たいこうじ)
公式Web
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市小町2-17-20
単立
御本尊:産女霊神(『鎌倉市史 社寺編』)
札所:-


35.妙厳山 本覚寺(ほんがくじ)
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市小町1-12-12
日蓮宗
御本尊:三宝祖師(『鎌倉市史 社寺編』)
札所:鎌倉十三仏霊場第3番、鎌倉・江ノ島七福神(恵比寿)
司元別当:蛭子神社(鎌倉市小町)


36.天照山 蓮華院 光明寺(こうみょうじ)
公式Web
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市材木座6-17-19
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:鎌倉三十三観音霊場第18番、鎌倉二十四地蔵霊場第22番、東国花の寺百ヶ寺霊場第94番、七観音霊場第3番、鎌倉六阿弥陀霊場第3番、小田急沿線花の寺四季めぐり第25番、三浦半島四十八阿弥陀霊場第48番、関東十八檀林


37.天照山 蓮乗院(れんじょういん)
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市材木座6-16-15
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:鎌倉三十三観音霊場第19番、相州二十一ヶ所霊場第11番


38.天照山 千手院(せんじゅいん)
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市材木座6-12-8
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:鎌倉三十三観音霊場第20番


39.石井山 長勝寺(ちょうしょうじ)
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市材木座2-12-17
日蓮宗
御本尊:日蓮聖人(『鎌倉市史 社寺編』)
札所:-


40.隨我山 来迎寺(らいこうじ)
公式Web
鎌倉市材木座2-9-5
時宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:鎌倉三十三観音霊場第14番


41.五所神社(ごしょじんじゃ)
神奈川県神社庁Web
鎌倉市材木座2-9-1
御祭神:大山祇命、天照大御神、素盞嗚命、建御名方命、崇徳院霊
旧社格:村社、神饌幣帛料供進神社、材木座の氏神


42.弘延山 實相寺(じっそうじ)
鎌倉市Web
鎌倉市材木座4-3-13
日蓮宗
御本尊:一尊四士(『鎌倉市史 社寺編』)
札所:-


43.南向山 帰命院 補陀落寺(ふだらくじ)
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市材木座6-7-31
真言宗大覚寺派
御本尊:十一面観世音菩薩
札所:鎌倉三十三観音霊場第17番、相州二十一ヶ所霊場第10番、新四国東国八十八ヶ所霊場第81番


44.内裏山 霊獄院 九品寺(くほんじ)
公式Web
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市材木座5-13-14
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:鎌倉三十三観音霊場第16番、相州二十一ヶ所霊場第9番、小田急沿線花の寺四季めぐり第18番


45.円龍山 向福寺(こうふくじ)
公式Web
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市材木座3-15-13
時宗
御本尊:阿弥陀三尊
札所:鎌倉三十三観音霊場第15番


46.海潮山 妙長寺(みょうちょうじ)
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市材木座2-7-41
日蓮宗
御本尊:三宝祖師(『鎌倉市史 社寺編』)
札所:


47.由比若宮(ゆいのわかみや)
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市材木座1-7
御祭神:応神天皇、神功皇后、比売神
旧社格:鶴岡八幡宮の元宮(元八幡)


48.帰命山 延命寺(えんめいじ)
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市材木座1-1-3
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:鎌倉三十三観音霊場第11番、鎌倉二十四地蔵霊場第23番


【 BGM 】
■ Look Who's Lonely Now - Bill Labounty


■ Emily - Dave Koz


■ I'll Be There - Jack Wagner
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