京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート『超訳古今和歌集』

2023年10月02日 | KIMURAの読書ノート


『超訳古今和歌集』
noritamamai 著 ハーパーコリンズ・ジャパン 2023年7月

夏前頃から書店では「超訳」となる古文の本があちこち平積みで配架されているのを目にする。以前から読書ノートでも取り上げ書いていることであるが、簡単に古文が読めるならそれに越したことはない。これまでは、古文の物語を読んできたが、今回は数ある超訳の本の中から和歌に手を出してみた。

そもそも「超訳」というのはどういうことなのか。本書にはこのように書かれている。

「超訳とは……原歌を現代語訳したものを、さらに意訳。2段階の訳を経て、読みやすくかみ砕いたものです。そのため、必ずしも原歌どおりに正しく訳すのではなく、意味合いを重視した訳になっています。
【原歌】⇒【忠実な訳】⇒【意訳】」(p6)

とりあえず、古今和歌集の中から誰でも耳にしたことのある和歌を取り上げてみる。まずは百人一首にも選ばれている小野小町の和歌。
「花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」
超訳になると、
「昔はかわいいかわいい言われて結構モテたんだけどな~」
確かこれを直訳すると「桜の花の色がすっかり色あせてしまったように、私の容姿もすっかり衰えてしまった。春の長雨が降り続き、私がもの思いにふけっている間に」のような感じだったはずである。しかし、超訳になるとこの歌を詠んだと思われる季節はあっさり削除。小野小町の想いだけを表に出したものになっているが、結局はこれがいちばん言いたいことだろうということがとてもよく分かる。それと同時に超訳だと、小野小町の時代も今の時代も考えていることが一緒であるということまで明確に分かってくる。

これを踏まえた上で、私が納得したり笑わせてもらったりしたものを幾つかピックアップする。

物部吉名
原歌:「世の憂き目 見えぬ山路へ 入らむには 思ふ人こそ ほだしなりけれ」
超訳:「転職してー てか、仕事したくねー でも辞めたら、嫁に殺されるー」

凡河内躬恒
原歌:「世を捨てて 山に入る人 山にても なほ憂き時は いづち行くらむ」
超訳:「あいつ、また仕事辞めたってよ もう行くとこないんじゃね?」

大江千里
原歌:「月見れば ちぢに物こそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど」
超訳:「月見たら 泣けてきちゃうんだ ボクってほんと繊細」

壬生忠岑
原歌:「有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし」
超訳:「徹夜明けの月を見ると 振られたときのこと 思い出すんだよね ……(T_T)」

本書の超訳を読んでいて気付いたことは和歌を詠んでいる男性陣がかなり女々しいということ。でも、それを心にしまうのではなく、歌として気持ちを表に出しているのは何とも微笑ましくも感じるが、ふとこれって今のX(旧Twitter)と同じ手法。そう考えると「超訳」は突拍子な訳ではないということではないだろうか。

そして最後に、国歌「君が代」の元となった歌を紹介する。
原歌:「我が君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」
超訳:「たいせつなあなた 長生きして元気に暮らしてください あの小さな石が いつか大きな岩になる、その日まで」
素直に「国歌万歳」と思ってしまった。そして、この国歌の単純明快な想いに沿った政治を宜しくとも思う

=====文責 木村綾子


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする