京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート『臆病者と呼ばれても』

2016年08月05日 | KIMURAの読書ノート
『臆病者と呼ばれても』
マーカス・セジウィック 作 金原瑞人・天川佳代子 訳
あかね書房 2004年

前回の読書ノートでは、日本国内における第1次世界大戦の一端が記された作品を紹介した。今回は時を同じくしたイギリスでの第1次世界大戦の状況の片鱗を知る作品を取り上げる。

この作品のサブタイトルは「良心的兵役拒否者たちの戦い」となっている。「良心的兵役拒否者」というのは、良心や宗教の教えなどから軍隊に入ることを拒否する人のことである。第一次大戦中のその数は1万6500人を上ったそうである。ちなみに、第二次世界大戦時には、この良心的兵役拒否者として登録した人数は6万人以上にのぼったという。これには、この物語の中心となるハワード・マーテンとアルフレッド・エヴァンズ、及び徴兵反対同盟の尽力によるものである。実際に良心的兵役拒否者として登録したからと言って、おいそれと戦場に行かなくていいというものではない。そこに待ち受けるのは、どの国でもあるように、周りから白眼視され、自由を奪われ、拷問にかけられ、その先にあるのは「死」のみである。それでも、確固たる意志をもって兵役を拒否した彼らの思いと戦争に対する問いをこの物語は読み手に投げかける。

第1章は衝撃的なタイトルで始まる。「すばらしき戦争」。「大戦」を英訳すると、いや、本来ならというべきであろうか、「great war」になる。第一次世界大戦の主戦場は、ヨーロッパである。その地域で「すばらしき戦争」と言われていたのである。何が素晴らしかったのか。作者は物語の中でこのように綴っている。

「戦争を引き起こすことになったそもそもの原因は、ヨーロッパの中でも力を持った国々が、長い間争いをくりかえしていたことにあった。しかし、こうした世界情勢を理解している人は当時ほとんどいなかった。人々は輝かしい勝利を思いえがき、興奮しきっていたのだ。そして、待ってましたとばかりに戦争が始まった」(p17)

このため、イギリスでは、国民のほとんどが参戦を祝ったという。これが「great war」と言われる所以である。今でこそ、テレビがあり、情報網が発達して戦争がどのようなものであるかということが、肌で実感できるが、当時は兵隊に行く人にも、戦場がどのようなものかということを知らされずに戦場に送られたという。その中でただひたすら、「人を殺すのは嫌だ」という一点の理由で兵役を拒否したこの人たちの信念と言うのは、計り知れないものがある。この物語は、その揺るぎのない信念をたどる旅でもある。

それと同時に、イギリスがこの時期、国民を徴兵に借り出す過程も明確に記されている。ぞっとするのが、その過程が今の日本に通されていく法案によく似ているということである。本書は2004年に日本で刊行されてた。巻末の訳者のあとがきには、ニューヨークのテロ事件に触れ、自衛隊の海外派遣について言及している。そして、続けて、「もしかしたら、日本でもふたたび徴兵制がしかれるかもしれない」という不安を綴っている。が、しかしである。それから12年後の今の日本。訳者が想像するよりも展開が早くなっているような気がする。作者の父と母方祖父は良心的兵役拒否者だったという。作者がなぜこの作品を書いたのか、手にした人なら素直にうなずけるであろう。   (文責 木村綾子)

 


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