京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート『津波の霊たち 3・11死と生の物語』

2021年05月03日 | KIMURAの読書ノート

『津波の霊たち 3・11死と生の物語』
リチャード・ロイド・パリー 著 濱野大道 訳 早川書房 2018年
 
この3月、東日本大震災から10年を迎えた。正直もう10年も経ったのかというのが正直な思いである。なぜなら私自身、この震災に関しては遠く離れた京都に住みながらも、わが家においてはかなりの影響を与えた震災であり、当時のことを今も尚、昨日のことのように思い出されるからである。しかしながら、今年はコロナ禍にあり多くの関連行事が縮小され、報道も思ったよりは少なく、当事者以外のところで風化されていくのではないかと懸念を感じている。その中で出会ったのが本書である。著者は20年以上東京に暮らし、現在イギリス「ザ・タイムズ」紙アジア編集長及び東京支局長である。彼は震災直後から被災地に入り取材を行う中で、大川小学校で起きた事故の遺族に出会う。なぜ事故が起きたのか、時間をかけ遺族に丁寧な取材を行い、数々の証言を得ている。その一方で、取材の最中に被災者の間で「幽霊を見た」という話を耳にすることとなる。そしてその除霊をしているというお寺の住職を巡りあうこととなる。大川小学校の事故と幽霊目撃談が取材している内に重なり合ってくる。6年かけた綿密な取材のもとにまとめられたルポタージュである。
 
この震災に関して、これまでもそれなりの著書を読んできたが、本書はやはり外国人の目を通して記されているということがこれまで私が読んだ著書と大きく異なる点である。そもそもなぜ著者はこの事故に関心を持ったのか。もちろん子どもたちが数多く犠牲になったということは理解できる。しかし、彼によるとそれだけではない理由があった。他国で同様の震災が起こった場合、子どもたちへの被害は何倍にも及んだであろうが、日本の学校は世界で最も耐震性が高く、もっとも厳しく規制された建造物であり、更に日ごろから避難訓練が行われている。仮に激しい地震に襲われるとしたら、考えられる限りで最も安全な場所は日本の学校であると指摘しているのである。実際にこの地震の揺れで物理的損害を受けた学校はなく、避難中に子どもが犠牲なったのは、高台に避難中の他校の男子児童1名とこの大川町学校の児童たちのみで、他の子どもたちは全員が安全な場所に避難することができていると明記している。つまり、私たち日本人以上に、この大川小学校の事故が外国人の彼にとっては奇異に見られたのである。しかしながら、彼は被災者家族を取材することで、日本人特有の死生観にも出会う。それが幽霊の話とつながっていくのである。
 
彼は除霊をしたという住職だけでなく、大川小学校の被災者家族もまた霊能者や占い師を心の拠り所にしていることを知る。著者はこのことに関して肯定も否定もせずただ淡々と目の前で起きた出来事、取材相手の証言を書き記している。それでも日本の宗教観を取り上げながら、彼自身この震災で発生した霊や日本人の受容の精神について自問自答していることは興味深い。
  

最後に、今だからこそかなり目にひく記述を見つけてしまった。それをそのまま引用する。「第二次安部政権が誕生することになる選挙期間の真っ最中、私は大川を訪ねたことがあった。会った人は誰ひとり、選挙に興味を示さなかった。それどころか、選挙が行われていることを意識さえしていなかった。あたかも、選挙は別の次元の出来事であるかのようだった(p224)」。この夏に行われる予定である「オリンピック」はもともとこの震災の「復興」を掲げたオリンピックだったはずである。しかし、恐らく被災者は当時から「オリンピック」も別次元の出来事と思っていたのではないだろうか。当事者を置き去りとしている「復興のオリンピック」もいつしか、「コロナに打ち勝つオリンピック」に様変わりしている。このように軸があいまいとなっている「オリンピック」は果たして成功するのであろうか、いや必要なのであろうか。本書で改めてこの点についても突き付けられた。

               文責 木村綾子

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