京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート『空飛ぶ山岳救助隊』

2024年06月16日 | KIMURAの読書ノート


『空飛ぶ山岳救助隊』
羽根田治 著 山と渓谷社 1998年

「登拝」という形で私が山に入るようになって2年が過ぎた。最初は「山に入る」ということが全く分からず、登山道(参道)に足を踏み入れようとした瞬間にその場にいたトレッカーから止められるという経験もした(山に入るには軽装すぎた)。今ではそこそこ「山に入る」ということが分かり始め、「登山」をしているという意識は未だにないが、山岳保険にも加入し、山の情報が常に入るようにしている。そのような中で「山岳救助」に関しておススメする本として紹介されていたのが本書である。

本書は山岳救助に民間のヘリコプターを活用しレスキューに命を懸けた篠原秋彦の半生を綴ったものである。彼がレスキューにヘリコプターを活用するまでは、民間のヘリコプターの役割は林業や山小屋で仕事をする人のための物資などの運搬や山に建設する送電線やパラボラアンテナの工事や、整備事業にそれを使っていた。篠原が当初入社した東邦航空も例に漏れずそのような仕事を請け負っていた。篠原は長野県で生まれ育ち、幼い頃から家業の手伝いとして山に入り、高校生の時には学校の規則を破り八ヶ岳を縦走。山が身近な存在であり、一般の人よりは山を熟知していた。東邦航空に入社し、しばらく経ってから年に2,3件山小屋への荷揚げのついでに、山小屋にいる病人やケガ人を下ろすようになっていた。ある日のこと、とある山小屋に一般登山者から登山者が滑落したという情報が入り、山小屋のスタッフが遭難現場に向かう。遭難者を発見し、警察に連絡、ヘリコプターを要請。この時東邦航空のヘリコプターが初めて遭難現場に出動、搭乗していたのが篠原であった。この当時(1970年代)の山岳遭難事故が発生した場合、一報は所轄警察署に届けられるものの、捜索にヘリコプターを使う場合、民間のヘリコプター会社に依頼するしかなく、警察所有のヘリコプターは導入されていなかった。しかし、このような場合の民間のヘリコプター出動は「仕事外のボランティア」であり、会社からしてみれば、本来の業務でない危険を伴うレスキューには後ろ向きであった。これをきちんとした仕事として確立していったのが篠原なのである。

本書の半分は篠原が関わった遭難事故に関するものであるが、やはり読み応えがあるのは、篠原が確立していったヘリコプターによるレスキューの歴史であろう。もともと山ヤだった篠原が地盤を築き、彼と同じレベルの山ヤや有能なヘリコプターの操縦士をパートナーにし、遭難者を救うことでレスキューをすることの意味に説得力を持たせ、会社をはじめとする関係者を納得させる過程は半端なものではない。そして、今では警察も山岳救助に対するヘリコプターを導入し、民間の会社と協力体制を敷いて、現在も二人三脚で山岳救助をおこなっている。本書の最後では1998年に行われた冬季長野オリンピックにおいて、レスキュー用のヘリコプターをスタンバイさせていたことにも触れている。
 

近年、登山者が増え、それ故に遭難者も増加。無事に命を救ってもらえるのは、篠原が築き上げた山岳救助における歴史の積み重ねがあるお陰である。しかし、私自身実際に山に入って分かったことがある。いくら万全に装備し、注意を払いながら山に入っていっても、遭難する時にはしてしまうのである。遭難した全ての人が軽率な行動によるものではないことだけは伝えたい。それだけ「山」は危険な場所なのである。古代先人たちは山を「神」の住まうところと崇め、修験者は修行のために山に入っていくのは、やはり危険な場所だからに他ならない。そのような場所に私が入っていくのは、先人たちの足跡をただただ辿ってみたいからである。本書を読み改めて気を引き締めながら週末は山に入る私である。

=======文責 木村綾子


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