京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURA の読書ノート 『戦争孤児を知っていますか?』

2019年08月14日 | KIMURAの読書ノート

『戦争孤児を知っていますか?』

本庄豊 著 千葉猛 寄稿 日本機関紙出版センター 2015年

現在NHKで放映中の朝ドラ『なつぞら』の主人公奥原なつは戦争孤児である。東京大空襲で母親を、戦地で父親を亡くしている。その彼女が父親の親友に引き取られ成長していく姿を描いたものであり、多くの視聴者の心を引き付ける番組となっている。そして、東京大空襲ではなつだけではなく多くの子ども達が親や身内を亡くし戦争孤児となり、また広島や長崎の原爆投下後も多くの子ども達が戦争孤児となっていることも知られている。しかし大きな空襲がなかった京都に戦争孤児がたくさんいたことはあまり知られていない。本書はMBSのアナウンサー千葉猛さんがカンボジアに行った際に出会った戦争孤児たちに出会うことで日本にも同じ戦争孤児がいたことに気づかされ、その研究をしている本庄豊さんから話を聞く形でブックレットとしてまとめたものである。

本書を読んでまず驚かされることは、京都府は戦争孤児数が全国で4番目に多い都府県であるということ。満州から舞鶴経由での引揚者が京都駅に集まったということも一因であるが、戦災が少なかったため駅舎や街が残り、夜露をしのぎ、食べ物が確保しやすかったというのが大きな要因であったようである。実際に孤児たちの間では「京都に行けば食べ物にありつける」という情報が流れ、子ども達が京都駅に集まったということもここに記されている。また、日本における戦争孤児数は世界的にも多いということ。これは当時のGHQの最高責任者マッカーサーが日本に来て、「こんなに孤児の多い国はない」と証言している。戦争があったのだから、戦争孤児はいると漠然とは思っていたものの、他国と比較しても多いということなど本書を読むまで全く考えが及ばなかった。そしてここで教えられるまで考えが及ばなかったことが更にもう一つ。孤児になってしまったことへの補償について。財政的な支援が一切ないばかり、国は謝罪もなかったということ。社会的に擁護されなくてはいけない子ども達が置き去りにされているという現実。敗戦で国が混乱していたとは言え、それが落ち着いた後も何も支援対策を打ち出していないという現実。

本書では実際に戦争孤児として京都駅で生活を一時期していた人にも当時の様子をインタビューし掲載している。わずか当時6歳。一緒に体を寄せ合って寝ていた子が翌朝には冷たくなっていることが日常茶飯事で、それに対してたいそうな考えをもっていなかったという証言に、かえってその過酷さがひしひしと伝わってくる。しかし、これは序の口でインタビューの中にはもっと壮絶で驚愕な体験が語られている。そして、それらの証言を読み進めれば進むほど、ただ、生きていてくれてありがとうという感想しかでてこない。

奥原なつの戦争孤児時代の場面はわずかではあったが、それでもドラマとして涙をさそうものであった。しかし、物語の裏のなつは映像では語ることのできない孤児時代を過ごしたのだろうと、今更ながらに想像してしまう。そして連日観光客でごった返す京都駅。わずか74年前は、行く当てもなくそこでただただその日を生きることだけに精一杯だった子ども達が生活をしていた場所なのである。その上で今の京都があることに改めて戦後のこの時間を考えさせられる。


======. 文責 木村綾子



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