『同調圧力』
望月衣塑子 前川喜平 マーティン・ファクラー 著
角川書店 2019年6月1
本書の帯に「6/28(金)公開!映画『新聞記者』の劇中座談会も収録」とあったのが、本書を手にしたきっかけである。前回の読書ノートで私はまさに映画『新聞記者』について取り上げ、その中で「スクリーン内に映し出されるテレビ番組の討論会では、東京新聞記者の望月衣塑子氏や元文部科学省事務次官の前川喜平氏が実名で意見を交わし合っている。」と記した。しかし、これはあくまでも映画の中の一コマであり、まさかそこで本当に座談会が繰り広げられているとは全く思ってもみなかった。雰囲気だけを作り上げたものだと思っていたのだ。映画ではほんのわずかなシーンであるが、カメラが廻ろうと廻っていなかろうと3名が意見を交わし合った内容というのはかなり興味がある。その部分は巻末付録の中で記してあるが、「付録」と言っても、約50ページ近くあり、「付録」と言うよりは一つの章立てとして十分に通用する量である。
第1章では望月氏が官邸の記者会見上で彼女自身に対する嫌がらせとも受け止めかねない出来事に対しての状況説明や記者クラブについて論じている。一般の人からは知ることのできない一つの組織の中でそれでも「記者」という職業に責任を持って職務を全うしようとしている姿がうかがい知れる。それが結果として映画『新聞記者』へとつながったのだと考えると彼女の姿勢は「記者」という枠を超えた一人の人間の職業意識の高さを思い知らされる。
第2章、前川喜平氏は自身が文部科学省に勤務していた時のことを主に現在の教育行政について語っている。それは誰もが知りたいと思っている、ここ数年に渡り世間を賑わせている問題、また自身の価値観と業務上それとは全く逆の考えのものに対してどう折り合いをつけていくのかということまで、官僚という仕事の矛盾をあくまでも自分自身のことではあるがとしながらも、かなり精神的に厳しい職務であることをうかがわせる内容であった。
第3章、マーティン・ファクラー氏の話もかなり衝撃的である。日本とアメリカを比較した時、両国とも新聞の発行部数は落ちているということから話は始まるのであるが、その対処法としてあくまでもアメリカの記者は自身が足でかせいで特ダネを取り、読者が知りたい情報を提供しているのに対し、日本の場合、そのような危機感がすでにないという。その理由がかつて日本の新聞社の副次的だった不動産業が現在その柱となっているためであり、経営そのものが深刻になっていない、いやその深刻さが働いている者に伝わらないという。この発言だけを拾っても、今の日本の報道が下降線をたどっていると言わざる得ない状況であることが伝わってくる。彼はこのようにも言っている「正確で公正な情報を届けてくれる、信頼に足るメディアを自分自身で選び、確保して欲しい(p206)」。
そしていちばん気になるところの「巻末付録」。映画「新聞記者」で私は「内調」のことについて妄想を膨らませて綴っているが、どうもそれが妄想ではないようである。読んでいてこれまた衝撃の鼎談であった。やはり、映画はフィクションではなかったのか。
映画を観に行く時間が取れない方にも是非、本書の「巻末付録」だけでも、そして斜め読みでも構わないから手にして欲しい。そんな思いにさせてくれる1冊である。
======文責 木村綾子
望月衣塑子 前川喜平 マーティン・ファクラー 著
角川書店 2019年6月1
本書の帯に「6/28(金)公開!映画『新聞記者』の劇中座談会も収録」とあったのが、本書を手にしたきっかけである。前回の読書ノートで私はまさに映画『新聞記者』について取り上げ、その中で「スクリーン内に映し出されるテレビ番組の討論会では、東京新聞記者の望月衣塑子氏や元文部科学省事務次官の前川喜平氏が実名で意見を交わし合っている。」と記した。しかし、これはあくまでも映画の中の一コマであり、まさかそこで本当に座談会が繰り広げられているとは全く思ってもみなかった。雰囲気だけを作り上げたものだと思っていたのだ。映画ではほんのわずかなシーンであるが、カメラが廻ろうと廻っていなかろうと3名が意見を交わし合った内容というのはかなり興味がある。その部分は巻末付録の中で記してあるが、「付録」と言っても、約50ページ近くあり、「付録」と言うよりは一つの章立てとして十分に通用する量である。
第1章では望月氏が官邸の記者会見上で彼女自身に対する嫌がらせとも受け止めかねない出来事に対しての状況説明や記者クラブについて論じている。一般の人からは知ることのできない一つの組織の中でそれでも「記者」という職業に責任を持って職務を全うしようとしている姿がうかがい知れる。それが結果として映画『新聞記者』へとつながったのだと考えると彼女の姿勢は「記者」という枠を超えた一人の人間の職業意識の高さを思い知らされる。
第2章、前川喜平氏は自身が文部科学省に勤務していた時のことを主に現在の教育行政について語っている。それは誰もが知りたいと思っている、ここ数年に渡り世間を賑わせている問題、また自身の価値観と業務上それとは全く逆の考えのものに対してどう折り合いをつけていくのかということまで、官僚という仕事の矛盾をあくまでも自分自身のことではあるがとしながらも、かなり精神的に厳しい職務であることをうかがわせる内容であった。
第3章、マーティン・ファクラー氏の話もかなり衝撃的である。日本とアメリカを比較した時、両国とも新聞の発行部数は落ちているということから話は始まるのであるが、その対処法としてあくまでもアメリカの記者は自身が足でかせいで特ダネを取り、読者が知りたい情報を提供しているのに対し、日本の場合、そのような危機感がすでにないという。その理由がかつて日本の新聞社の副次的だった不動産業が現在その柱となっているためであり、経営そのものが深刻になっていない、いやその深刻さが働いている者に伝わらないという。この発言だけを拾っても、今の日本の報道が下降線をたどっていると言わざる得ない状況であることが伝わってくる。彼はこのようにも言っている「正確で公正な情報を届けてくれる、信頼に足るメディアを自分自身で選び、確保して欲しい(p206)」。
そしていちばん気になるところの「巻末付録」。映画「新聞記者」で私は「内調」のことについて妄想を膨らませて綴っているが、どうもそれが妄想ではないようである。読んでいてこれまた衝撃の鼎談であった。やはり、映画はフィクションではなかったのか。
映画を観に行く時間が取れない方にも是非、本書の「巻末付録」だけでも、そして斜め読みでも構わないから手にして欲しい。そんな思いにさせてくれる1冊である。
======文責 木村綾子