『被爆者』2005年
『続・被爆者』2015年
会田法行 写真・文 ポプラ社
前書のサブタイトルは「60年目のことば」、後書は「「70年目の出会い」となっている。
前書は6名の広島・長崎の被爆者の証言と現在の姿を映し出している。どの人も口をそろえて言うのは、「今願うのは世界の平和」という言葉。しかし、この中でこの言葉すら発することのできない当事者を1人ファインダーは捉えている。体内被曝をし、原爆小頭症を患ったままこの世に生を受けた女性である。彼女は60年たってもひとりで着替えることもトイレに行くこともできない。かろうじて単語を話して意思表示はするものの、父親と終戦後に生まれた姉妹のサポートなしには生活ができない状況である。カメラマンの著者は彼女にレンズを向けながら「自分の気もちをうまく伝えることができない60年は、普通の人の60年よりも長く孤独な時間だっただろう」と綴っている。体内被曝をした人、とりわけその原爆症を患ったままこの世に生まれてきた人の証言を取るのはなかなか難しいことである。彼女の生の言葉を代弁する彼女の表情が、かえってその原爆の後遺症というものの痛ましさと虚しさを多弁に語り、読者の胸をえぐっていく。
後書は前書の最後に取材に応じてくれた女性の10年後の姿からページは始まっている。しかし、ページをめくると思わぬ内容にページをめくる手が止まる。そこにはこのように綴られている。
「2011年3月、東日本大震災によって、福島県にある福島第一原子力発電所が爆発しました」。
「原爆」という言葉でイメージするものは「ヒロシマ」「ナガサキ」であるが「被爆者」と被害者目線の言葉に置き換えると、間違いなく「フクシマ」も含まれてくること、「ヒロシマ」「ナガサキ」の地続きで「フクシマ」があることを改めて思い知らされることになる。著者は続けてこのようにも記している。
「ばくが被害者の人びとを取材していたとき、平和な未来を祈るばかりで、このような大事故が起きることなんて想像もしていませんでした。コントロールを失った原子力発電所が原子爆弾と同じように危険な放射性物質をまきちらすものだと思ってもみませんでした。ぼくは原発事故の取材をしながら、広島や長崎で出会った被爆者のひとびとを思い出し、悲しい気持ちになりました」
前書が出版され10年後の続編。文字ではどうしても伝えきれない10年という歳月を写真は見事に写し出している。著者はそれを「ぼくの時間は止まり、彼女の時間だけが進んでしまったかのように」と表現しているが、10年という歳月はあまりにも過酷で、非情である。この2冊は併せて一つの作品であり、決して1冊だけで完結するものではない。令和という新しい年を迎え戦後74年経った今、被爆者をはじめ戦争体験者は年々減っているという現実。この史実を風前の灯火にしないための著作であることは間違いない。
======= 文責 木村綾子