『福田村事件』
辻野弥生 著 五月書房新社 2023年7月
昨年9月に公開された映画『福田村事件』。かなり話題になったのだが鑑賞する機会を得ることが出来なかったため、その基となった本書を遅ればせながら手にした。ご存じの方も多いだろうが、この「福田村事件」は関東大震災のあった5日後(1923‐大正12年9月6日)千葉県福田村(現在の野田市)で香川県から来ていた薬の行商の一行15人が地元の人たちに襲われて9人が亡くなったという事件である。正確には妊婦さんもいたためお腹の子を含めると10人が殺害されたことになる。
この事件の背後には明治政府がアジアにおける植民地支配競争に乗っかってしまったことにある。1910(明治48)年日本は大韓民国を併合し大韓民国は消滅。以降、35年間の日本の植民地支配となる(この時から「朝鮮」と呼ばれるようになる)。韓国を併合した日本が韓国における政策は「愚民化政策」とも言われるほどひどいものであった。そのため朝鮮では食べていけなくなった多くの人たちが日本に流れ込む結果となり、強制連行で日本に連れてこられた人たちも含むと230万人にものぼったという。そこで朝鮮人に待ち受けていたのが日本人の差別と偏見と悪条件による肉体労働である。それに対しての朝鮮人による激しい抵抗運動。日本国内は常に緊張状態となった。このような中で「関東大震災」が起きたことで誰ともなく流した「朝鮮人来襲」というデマが飛び交い、あたかもそれが真実のように人々の間に駆け巡ってしまう。そして、日本人を朝鮮人と間違えて殺してしまうという事件へと発展していくのである。
が、ここで間違えてはいけないのは、「日本人は殺してはならず、朝鮮人はいいのか」という論法である。当然、日本人であろうと朝鮮人であろうと殺してはいけないのは当然である。そして、ここには事件の背後にある朝鮮の人たちへの差別と偏見が明白なものであることが分かるのだが、更に別の差別が複雑に絡み合っていることが分かっている。これらの差別に関しての歴史や論考は本書を含めて多くの本が出版されているので、そちらに譲りたい。
本書を読んで私がいちばん驚いたことは実はこの差別ではなかった(差別を軽視している訳ではない。これまでにこれらに関する本を幾つか読んでいるため知識を少し持っていたためである)。私が驚いたのは関東大震災が起こった直後の被災者の行動様式である。被災者は大八車に荷物を載せて逃げたという。そして、地震発生がお昼時だったため、あちこちから火の手が上がったという。本書によると江戸時代から消火作業の妨げになるため、火事の場合家財道具を持ちだすことは禁止となっていたらしい。それでも、人々はそのことを守らず大八車にそれらを載せて逃げてしまったため、それら荷物に火の粉が移り大火災になったというのである。火事が原因での死者の割合は全体の55%になるらしい。また、𠮷原で働く女性は「商品」として扱われていたためこのような事態においても、女性が廓外に逃げ出さないよう、廓内に閉じ込めたという。
奇しくもこのお正月に能登で地震が起きた。沿岸部のスーパーの店長さんはその直後に従業員やお客さんたちを素早く高台に避難させた(車で来ていた人は車をそのまま放置させ手ぶらで)ことにより全員津波による被害から免れている。そして同様のケースが幾つか報道された。決してスーパーにとって貴重なお客さんだからと言って、店内に閉じ込めておくようなことはしていない。これは決して笑い事ではない。わずか100年前にはそれをやっていた事実があるのである。振り返れば、まだ関東大震災から100年しか経っていないのに被災者の行動様式の変容には大きな進化があることをこうして対比するものがあるからこそ気付くことがある。そして政府の動きもまさにそうである。大震災時はこのデマを政治利用して、巧みに日本人をあおり、朝鮮の人たちを悪者扱いにしているのである。しかし、今回の能登地震での政府の対応は目を見張るほどの速さだと感じている。人間どころかペットにまで心を配る対応をしてくれている。勿論それが十分であるとは言えないし、まだまだ復興には時間がかかるとは思う。それでも、今回の震災に関しては被災者も支援する側も歴史から学んだことが活かされていると感じる。そして政府は更に歴史から得るものを吸収して、この復興に全力投球して欲しいと願う。
文責 木村綾子