こんばんは
涼しくなりましたね。
今日は一日中曇り空でした。
月曜日頃からまた少し蒸してくるそうです。
最近は忙しいせいか、夕方にはグッタリするほど疲れています。
こんなときはまた「早く引退したい」と思うんですが、食事をして風呂に入ってよく考えてみると、まあ頑張ろうと思います。
「自分が産まれてなかったら」と考えたことありますか?
当然、今の自分がいないので今こんなことを考えている自分もいないし、宇宙があって太陽があって地球があって小さな島国で生きている自分と言うものを認識することも出来ないので、産まれてないと言うことは宇宙そのものが無い状態ですよね。
じゃあ産まれて60年間生きて来てこれから毎年1年ずつ冥土に近づいて行く自分を考えたとき、自分の「死」つまり自分が消えてなくなると言うことは、自分が生きていると言うことが実感できるからこそ残念なんですよね。
結局、生きることは「快楽」か「苦痛」かと問うたとき、死ぬことが残念と思うと言うことは生きていることが少なからず「快楽」なんだと思います。
そりゃあ、つらいこともたくさんあるし毎日疲れた疲れたと言って仕事をしている自分は「苦痛」を感じているのでしょうけど、産まれてなかった自分と60年間生きて来た自分を比較すると、ずっとずっと幸せなんじゃないかと思う訳です。
あと生きて精々20年、10年かもしれない、でもその間「苦痛」と引き換えの「快楽」を楽しもうじゃないですか。
ということで、もうしばらく仕事を続けようと風呂につかりながら考えた訳です。
分からない話になりましたが、自分なりに納得したと言うことです。
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今日はコレッリのCDから
ヴァイオリンソナタです。
CD7[63:34]
・ヴァイオリン・ソナタ op.5-1~6
レミー・ボーデ, violin
ヤープ・テル・リンデン, cello, G. Grancino 1703
マイク・フェントロス, theorbo
ピーター=ヤン・ベルダー, harpsichord
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300年も前に作られた曲が今もこうやって演奏され聞くことが出来ると言うのは素晴らしいですよね。
有史以来のべ何百億人と言う人が産まれて死んでその中のホンの一握りの人が自分を後世に伝えることが出来るんですよね。
人間の欲求は最終的には「自己実現」と言われます。
自分の存在がどのように残って行くのか、まあ普通の人は戸籍と墓石にその痕跡が残るぐらいでしょうが、すこしでも自分がここにいるここにいたと言うことが残せれば幸せですね。
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緑陰にしゃがむ旅路は楽しけれ己に向かう旅は苦しき 39ギター
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う~ん、イマイチだなあ
もう少しハッとする様な句にならないかなあ・・・
「けれ」の使い方はコレでいいのかなあ?
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明日はまたアーチェリーで遊んできます。