分類:観 鹿島町を見て歩こう(64) いわき市鹿島町全域 鹿島の湯殿山信仰 鹿島町を歩いていると各地域()ごとに 「湯殿山」 と刻銘した石碑があります。 古くから行われていた山岳信仰からくるもので、走熊の石碑(写真下=左)の年号には、安政二卯年二月吉辰 村中安全と刻まれています。 全体的に文久や安政時代にこれらの信仰は盛んだったようです。 《走熊(はしりくま)地区》 《米田(こもだ)地区》
山岳信仰は山を崇め奉る信仰で、縄文人が山に対する感謝と畏敬の念を以っていたことが始まりとされています。自然の中で生きる上で山を神として崇拝し、豊かな収穫を祈る対象であったので、山の神が農作業の時期に山から降りてきて田の神になるとも信じられてきました。 山岳信仰は、火山系・水分(みくまり)・葬所の3つに分類されます。 水分系は、分水嶺即ち水源の山に対する信仰です。農耕を営む人々にとって山は生命の源であり、かつ水害を引き起こす脅威でもあるので、こうした山に対して感謝の念と畏敬の念が信仰の根源といえます。
《上矢田地区》 《御代(みよ)地区》
《下矢田地区》
写真で紹介した湯殿山信仰の石碑は鹿島町の半分にも満たないが、碑の中に必ず「村中安全」と刻まれているのは、村内(当時は単位)で参詣する同行者が講を組んで行き、帰ってきたところで村人たちの農耕に対する豊作と、安全を記すために建てられた碑です。 農村らしく地域社会の結合が強く、社会慣習の拘束力が如何に強い土地であったかが立証されています。
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