分類:観
鹿島町を見て歩こう(51)
いわき市常磐上矢田町 (旧鹿島村) 追い剥ぎが出た「くうじ山」 写真(下)の右側道路は鹿島街道で、獺沢(おそざわ)バス停から平方面を見た風景ですが、昭和40年初期に郷ケ丘ニュータウンの宅地造成によって突き当りの山は中央から右が削り取られ道路も大幅に広がりました。 昔は、山の頂上が鹿島と平の境界で約50メートルの洞門(トンネル)があって、明治の中頃には 「追い剥ぎ」 が巣食っていて暗闇が訪れると数人の男たちが洞門の中に寄り集まり、男根丸出しで焚き火に手あぶるしながら通行人を脅して金品を巻き上げたという話が伝わっています。その山というのがくうじ山です。 《前方の山が「くうじ山」の1部だが、立て看板から右側は開発されて跡形もない》
くうじ山の由来は、慶応4年(1868)の戊辰戦争の時に、列藩側が軍事上の作戦拠点として要塞を築き抗戦した山というところから軍事山と呼ぶようになり、長い間の口伝によりくうじ山に訛ったものです。 この昼なお暗い、細くて急な坂で難儀していた山を切り割り道路にしたのは明治30年前後らしくて、工事に当たった土方(土木作業員)は遠地から来た土方職人と、近郷の農民たちによって構成されていた。 《約50人ほどの部屋人夫が寝泊まりした坂下にあった民家》
官選知事、三島通庸(みちやす)が在任した時に、平~小名浜間の道路(今でいう鹿島街道)が県道に指定されたといわれますが、当時のことですから、県道指定による道路改良とはいっても、荷馬車が通行できる程度のものでした。
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