いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

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鹿島村歌は伝えたかった

2018-08-23 06:16:32 | Weblog

     《村歌 「一円圓癒合融合」 に合わせて踊る村人たち=昭和10年代》     
 分類:地


 全国的に昭和の初期は不況の波に襲われて、鹿島村も例外なくその被害は甚大でした。 村内の世相も激しく揺れ動いていた中で、昭和9年に村長に就任した志賀直哉は「一圓融合」を合言葉に荒廃した村政の建て直しを決意しました。   先ず、その手始めに各字(12字)から一本ずつのシュロの木を提供して貰い、鹿島小学校の玄関前に円形に植え、その中央部に二宮金次郎が薪を背負い書物を読み歩く少年時の像を据えました。 村政執行の姿勢に報徳仕法を取り入れて、一圓融合を旗印に村長の融和を基調とし、村勢の再興を期した表れでした。 また、この時期に『一圓融合』(作詞・小泉義浩)の村歌も出来上がり、曲は「山の唄」に合わせて歌えるようになっていました。     この歌は四節までありますが、その全部を紹介します。
     1.東しゃ江名浜 湯本は西よ
          
南 小名浜 北 平
                     
円く固まれ 鹿島よ 村よ
          
一圓融合で 進みましょう

 
     2.字は十二で 名はこそ異(ちが)へ
          
同じ心は 村のため
          
老も若きも 力のかぎり
          
男女も 手をとりて

                                                                            3.国のためなら 水火も辞さぬ                                                    此の腕 此の脚 此の心                                                          サッサ乗り切れ 不況の波よ                                                       村は平和な オラが村                                                                                                                                                                                     4.響く太鼓は 旭日昇天                                                          一圓融合の 鐘の音か                                                            朝は早よから 夜は遅くまで                                                     セッセとかせぐも 誰が為
 


  この歌が小学校児童や村民各層に浸透し、野口実訓導の振付による踊りも鹿島小学校の校庭で行われるようになりました。     

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