分類:観
鹿島街道を歩いてみよう(57)
いわき市鹿島町下矢田地区 鹿島街道(旧道)の思い出
鹿島町の旧道を小名浜から平方面に向かって撮りました。
この辺りが下矢田地区と走熊地区の境になるところです。 童謡 ♪村の外れのお地蔵さんは……でも分かるように昔は部落ごとに地蔵堂が建っていて、それが境界を表す標の役割を果たしていたり、余所村からの疫病除けとして守ってもいました。 この写真から左側約100mほど隔てたところに鹿島街道が並行して伸びていて、右にはいわきニュータウンの一部が高台に見ることができます。道の前方、左寄りに白三角形をした建物が見えるのが村松歯科です。 《旧・鹿島街道の白坂バス停があった付近で、赤い屋根が見える所は地蔵堂》
昭和40年代までは道幅が狭く、舗装されていなかったので雨が降ると泥濘(ぬかるみ)、日照りだと埃が舞い上がり難儀する道路でした。
〈旧道に関するエピソード〉 小学6年の時の思い出ですが、平に洋画専門の 「ひかり座」 という映画館があって、そこで映画を観ての帰りで私は暗い夜道を走るバスの中にいました。丁度この辺り(写真)に差し掛かった時にバスの運転手が「すいませんが一寸お待ちください」と言って外へ飛び出していったのです。 外は真っ暗でヘッドライトが照らしている前の道だけしか見えません。乗客の1人が心配になって「こんなとこで運転手は何をしているんだ?」と呟きながら立ち上がって前を確認しながら「道端でションベンしてらぁ」と言ったので5,6人いた乗客は一斉に笑いだしました。 ……と、その時です。運転手がいないのに少しずつ動き出したのです。惰性が付いて徐々に早くなってきたので、みんな笑いから悲鳴に変わりました。バスは右寄りに動いているのでこのままでは田圃に落ちます。それに気付いた運転手が慌てて駆け寄ってきましたが飛び乗れません。 みんな顔面蒼白になって、もはや一巻の終わりという場面に遭遇した瞬間、後部座席にいた40代の男性が機転を利かせてブレーキペダルを踏んだのでした。 いま思い出しても、背筋が寒くなるほどの恐怖感を覚えた経験をしました。 《昭和初期に鹿島街道を走った乗合バス 道悪と砂埃をご覧あれ》
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