いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
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鹿島小学校発祥の碑

2018-03-24 06:55:11 | Weblog

                                              分類:観                                     鹿島町を見て歩こう㉔                                                         鹿島小学校発祥の碑    ⒈金光寺(久保)本堂横                                                                                  ⒉鹿島神社(上矢田)階段口

  旧、鹿島村では明治6年(1873)に二つの小学校が同時設置されました。                            場所は現在の、いわき市鹿島町久保の金光寺に啓蒙小学校、いわき市常磐上矢田町の鹿島神社(延喜式内社・旧郷社)の下に成徳小学校ができました。成徳小学校は明治7年6月、官吏村史等協議の上、下矢田の真浄院に移転し矢田小学校と改称されました。                                                  成徳小学校の校名は中国の古典などからとって名付けられたといいます。教師については養成機関ができなかったので、塾や寺子屋の師匠が教員として採用され、創立当時は1校1~2名でした。                   初めは僅かに上矢田・下矢田・松久須根の3ケ村で成立していましたが、走熊・米田・三沢の3ケ村は境界が隣接していて児童の往復に便利であるということから、真浄院に移転と同時に学区連合となりました。                                                                       《金光寺(久保)境内にある鹿島小学校発祥の地の石碑》

  久保の啓蒙小学校(金光寺内)では、久保・飯田・上蔵持・下蔵持の4村の生徒を預かり並行教育が行われました。生徒数 男14名、女2名の総計16名とあります。                                                          その後、幾多の紆余曲折を経て大正13年4月に1村1校が実現し、昭和9年10月に至って現在の鹿島小学校(鹿島町走熊)への移転改築が決議されました。 

                                   《鹿島神社(上矢田町)にある鹿島小学校発祥の地の石碑》

 ▲石碑は黒御影石で、どちらも同じ大きさ・刻字・形状で出来ています。

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