分類:地
場所 : いわき市鹿島町久保
現場付近は未だに片道1車線通行
県道小名浜・平線(通称:鹿島街道)に沿って存在し、市指定文化財だった 「久保の磨崖仏」 は岩山の崩落に巻き込まれ姿を消してから間もなく1ケ月になります。
崩壊したのは8月24日の午後11時頃の出来事でした。
《崩れた周辺は未だに大きな土嚢(どのう)が積み重ねられている》
現場は鹿島街道が走り本来ならば片側2車線なのですが、崩落以降いまだに片側1車線の規制が行われているために朝夕などはラッシュが続いている状況です。県によると4車線での全面復旧のメドは立っていないとの事でした。
《経年劣化による影響とみられる崖崩れは鹿島街道を妨げている》
もともと、この岩山は昭和30年(1955)頃までは石切り場として使用されていて、山の中は4~6mくらいの空洞があって危険なので周囲にフェンスを張って「危険」の看板を立ててあった場所でした。
山の崩壊の起因は、一般的に長引く降雨(あるいは一時的な豪雨)や地下水によるものと解釈されますが、現場では雨や地下水はなかったというのが専門家の意見でしたから、そうなると原因は只ひとつ、「空洞になっていた岩盤表面が風化してきて、山の重圧に耐えられなくなった」 と、結論づけてよいものなのでしょうかね?
《かつて、複数の磨崖仏があった時の写真だが、残念ながら全滅してしまった》
昔から 「鹿島街道」 は、商都平と国際港を抱える小名浜を直結する大動脈であり、地域経済のホットラインとして活用されてきました。
一刻も早く上下4車線が復活してくれるのを誰もが待ち望んでいます。
場所 : いわき市鹿島町久保
現場付近は未だに片道1車線通行
県道小名浜・平線(通称:鹿島街道)に沿って存在し、市指定文化財だった 「久保の磨崖仏」 は岩山の崩落に巻き込まれ姿を消してから間もなく1ケ月になります。
崩壊したのは8月24日の午後11時頃の出来事でした。
《崩れた周辺は未だに大きな土嚢(どのう)が積み重ねられている》
現場は鹿島街道が走り本来ならば片側2車線なのですが、崩落以降いまだに片側1車線の規制が行われているために朝夕などはラッシュが続いている状況です。県によると4車線での全面復旧のメドは立っていないとの事でした。
《経年劣化による影響とみられる崖崩れは鹿島街道を妨げている》
もともと、この岩山は昭和30年(1955)頃までは石切り場として使用されていて、山の中は4~6mくらいの空洞があって危険なので周囲にフェンスを張って「危険」の看板を立ててあった場所でした。
山の崩壊の起因は、一般的に長引く降雨(あるいは一時的な豪雨)や地下水によるものと解釈されますが、現場では雨や地下水はなかったというのが専門家の意見でしたから、そうなると原因は只ひとつ、「空洞になっていた岩盤表面が風化してきて、山の重圧に耐えられなくなった」 と、結論づけてよいものなのでしょうかね?
《かつて、複数の磨崖仏があった時の写真だが、残念ながら全滅してしまった》
昔から 「鹿島街道」 は、商都平と国際港を抱える小名浜を直結する大動脈であり、地域経済のホットラインとして活用されてきました。
一刻も早く上下4車線が復活してくれるのを誰もが待ち望んでいます。
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